人類は、生存環境の危機、絶えざる武力衝突、不合理な差別と格差などの人類に共通する基本的な課題を解けずにいる。それは、一つには、人類を一つの政治的結合に組織できていないからである。政治が国家に分断されている限り、絶えざる武力衝突を止めることができないばかりか、むしろ、国家の対立が常に新たな武力衝突を生み、経済的利害の国家間の不一致は、生存環境の危機を深刻化させ、不合理な格差と差別を増幅させている。
故に、国家間の政治的結合と協調への努力が不断になされていて、一方では、国際連合等の国家の枠を超えた国際機関の活動は一定の成果を生み、また、EUは多年の努力によって領域を拡大させてきたのだが、他方では、強制力を伴わない国際機関の力の限界は多方面で露呈し、ついに英国のEU脱退という事態にも至ってしまったのである。
しかるに、現代の企業活動はグローバルである。そして、グローバルはインターナショナルではなく、その二つは本質的に異なる。なぜなら、インターナショナルは、字義通りに、国家と国家の関係だが、グローバルは、字義通りに、地球という超国家の次元にあるからである。つまり、国家は、他の国家との間にインターナショナルな関係を構築でき、国際連合のような組織を構成できても、グローバルになることはできないのである。
そもそも、国民国家の成立によって近代社会の始まりが画されて以来、今日に至るまで、同じ国家に属する人同士の関係、即ちドメスティックな関係は、異なる国家に属する人同士の関係、即ちインターナショナルな関係と本質的に異なるものとして続いてきたのだが、グローバルは、国民国家の枠を超えた人と人との端的な関係として、全く新たな地平の上に登場したのである。
そこで、例えば、日本企業がアメリカの顧客に商品を売るというのは、日本とアメリカとの国家間の関係を前提にしているため、インターナショナルな発想であるのに対して、グローバルな発想では、単に一企業が一顧客に商品を売るだけのことにすぎないのである。真のグローバル化とは、そうした発想の転換のことでなければならないわけだ。
そして、事実、その発想の転換は、現代のグローバル経済のもとで実現しつつあって、もはや、企業活動は国境を越えて展開されていて、企業の国籍自体が無意味化している。従って、ここまでくれば、人類に共通する課題の解決における主体として、グローバルたり得ない政治よりも、グローバルになりつつある企業活動に対する期待が高まるのは当然のことなのである。
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森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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