始まる介護崩壊。世代間扶助型社会保障の破綻から目を背けるな

五十嵐 直敬

Viktor Aheiev/iStock

介護崩壊が始まった

2023年10月23日の日経朝刊一面に「介護就労者初の減少」の一報が掲載された。ついに来たか、という感がした。

超高齢化が「本番」今後高齢化率40%を超え要介護者、認知症者それぞれ1000万人以上と予測されるにも関わらず、支え手の介護職は減りだした。このままでは介護難民どころか介護崩壊し、自宅や介護施設が「姥捨て山」になる。食事もままならず着替え風呂など無理、便尿にまみれて死ぬことになり得る。

それが嫌なら、今こそ抜本的な対策、特に介護職の給与改善策を講じなければならない。そもそも「子孫世代に金もケアもツケ送りして面倒みてもらう」世代間扶助による社会保障制度は、少子化によりもはや破綻し持続可能性が無い、「痛みある社会保障改革」するしかない。

減り続ける介護職志望者

介護職は令和5年の現時点で実働約220万人、しかしすでに20万人以上不足していると言われるが、介護福祉士の養成校(大学または専門学校)入学者は毎年減少を続けこの15年間で1/4、わずか6802人に激減した。現場での養成コースである初任者研修、実務者研修も、データが乏しいが養成講師としての実感また養成校側の話としても受講者が減っているようだ。

平成25年度の初任者研修すなわち無資格から介護職への入門コースの修了者が7万6千人ほどだが、この時点でも減少傾向が指摘されていた。養成者数を公表していた武蔵野市によれば、最大だった平成16年度の65人から令和4年度にはなんとわずか7名、1/10に激減している。

コロナの影響もあるとはいえ「あまりの不人気」だ。同じケア職でも看護師は毎年6万人弱の国家試験合格者があり、現在120万人ほどが実働している。

「お年寄りが好きだから」と介護職を目指す若い人は、かつては介護保険制度創設と事業所設立ラッシュもあり多かった。しかし今や薄給で仕事がきつい3K職場と社会的に認識されてしまい「喰っていけない」と敬遠されての結果である。

十数年前だが若い介護職さんたちが「家庭を支えられない生活できないから辞める」と居酒屋で話していたのを聞いた。以来、国や政権は超高齢化社会の支え手である介護職に、何ら報いてこなかったが故の結果である。いや待遇改善施策はあったが、焼け石に水いや「中抜き」されてしまった。

まさに現代の「蟹工船」

近年大企業の介護事業進出が目立つが、介護は現場での人手によるケアつまり人材集約型産業である以上、組織の大規模化は間接部門と上級管理職つまり間接経費増を意味する。

介護職の平均給与は令和4年末時点で月額31万8千円ほどだが、全産業平均より4万円以上低い。全産業平均年収は400万円台半ばだが、介護職は夜勤しても300万円台、パート介護職の平均収入月額は12万円程度と言われる。この差から、夜勤そして事務管理職が汗せずして高給を取る中抜き搾取で全体平均を押し上げているに過ぎないと分かる。

この10月、特別養護老人ホームの6割が赤字との報道があった。特養は公的施設と位置付けられ営利企業は参入できない。そのため長らく農家などの大地主が社会福祉法人を設立し公的補助金でホームを作り、一族が理事として高給を食み高級車を乗り回す「社福ビジネス」と揶揄されるシステムがあった。それもコロナ禍と物価高で崩壊し始めている。

介護保険制度の介護報酬そのものは低くはない。オムツ交換や入浴着替え等を含む訪問介護(ホームヘルパー)は一時間あたり3,960円~、通所介護(デイサービス)は要介護度によるが一日6,550円~から11,420円~等である。

経営効率が悪いために、汗を流す介護職が搾取され薄給に甘んじている。現代の「蟹工船」あるいは「ああ゛野麦峠」ではないか。

しかも近年、戦前までの規範意識が崩れた戦後世代が要介護化したためか、介護の場(医療でも)利用者からのセクハラや暴力が日常茶飯事だ。飲み物を勧められ断れずに飲んだら睡眠薬を盛られてレイプ未遂や、暴力で大怪我して働けなくなったような事例も毎年報道されている。

近年はネットでニュースを読んだり検索すればパーソナライズされて関連情報が次々表示されるから、介護に関心があれば否応なく否定的情報も目にする、そして皆逃げ出すのだ。福島県大野病院事件後の産科医療崩壊「立ち去り型サボタージュ」同様に。

介護職は社会保障の最前線の担い手であるが、自ら介護をする上に「平均より低い収入から年金老人医療費介護費を支出する」。

2040年頃すなわち高齢化率が最大になる時期に、高齢者一人を現役世代1.5人で経済的に支えると予測されている。厚生年金受給者の平均月額が15万円弱と言われるので年180万円とすると、一人の現役世代がざっと年120万円、プラス医療費年73万円の2/3の46万円(2020年1月4日・日経)、プラス介護費を支出する計算になる。

年収400万円足らずなのに高齢者のために年150万円以上も「貢ぐ」など、到底持続可能性が無い。金を搾り取られて介護までさせられて社畜いや介畜ケア畜というべき悲哀である。

90年代からともに働き教えてきた者として、涙せずにいや義憤に燃えずにはいられない。いや私もついに劣悪な環境で膝半月板断裂の「重傷」を昨年明けに負ってしまった。本来手術しリハビリなり療養なりすべきところ、そんな余裕もなく無理して現場を移し立ち続けているが。

シニアポピュリズム、ばら撒き老人医療の成れの果て・・・

年金老人医療介護が「世代間扶助=子孫世代にツケ送りリボ払い」これは人口増が続かなければ破綻する、ねずみ講そのものだ。それは30年前から予測され「痛みある社会保障改革」が言われ、民主党政権時には新聞各社も試案を出しようやくと想ったが、安倍政権返り咲きで雲散霧消した。もはや改革の気配などどこにもない、シニアポピュリズム・バラマキ老人医療さらに介護である。

いや、介護そのものがシニアポピュリズム・バラマキ老人医療により「作られた」とも言える。平均寿命が70歳超えたのは70年代ちょうど老人医療費が無料化された頃である。当時は医療レベルも低く脳卒中は多く、その発症は「コロリ死」だった。健康なら長生きし「長老」となり、そうでなければコロリ。 

ところが老人医療費が無料化され医療レベルは向上、「死に損なうようになった」。一度倒れたくらいでは死なないが、倒れるごとに障害は重度化し要介護化する。「百寿は本当にめでたいか」で筆者が調査の通り、百歳では9割は寝たきり同然である。どんな状態であれ生きていれば年金も食むし介護もされる。ケアも保険料も担い手は減るのに、取る者ばかりが増えていく。

我が国は大事なことを間違えた。自力で生きられない者を医療で無理やり延命する、それをしかもタダ同然にすることも、そのために子孫世代にツケ送りする制度にしたことも、なのに子孫を増やすための予算施策をなさなかったことも、わが国と政権与党は「全部間違えた」のである。

若い人たちが将来に希望を持ち、報われる未来のために

しかし介護職は減るのに要介護者認知症者が増える、という現実がある。どうするのか。筆者は臨床の現実を鑑み敢えて、健康保険による盲目的延命医療の給付制限を提起する。

要介護者ないし認知症患者が容体悪化し意識回復が望めない場合、延命医療を保険給付から外す。これにより際限なく寝たきり老人が増えることは無くなり、人口構成が若返り始める。要介護者増が減じるから、介護職需要も減る。意思表示不能での延命は厚労省の調査でも盲目的延命が本人の意思によらず開始されることが明らか、周囲のソンタク余計なお世話だ。

定期通院者や要介護者の無料健診を廃止すれば、年に1000~2000億円前後の医療費が削減できる。定期通院や要介護なら健康ではない、治療に必要な検査以上の内容ではない「健康診断」などナンセンスだ。「平穏死」を提言する石飛医師の経験談「村ではいよいよ動けなくなったら枕元に水だけ置いておきます、生きる力があればそれ呑んで生きるし、そうでなければ天寿です」は「本来あるべき看取り死生観」だ。

高齢者金融資産は1200兆円を超えしかも偏在する、資産があるなら介護費はまず自己負担すべきだ、要介護者は高齢者の2割、自力で頑張る人の方が多いのだから。介護保険は基本的に自己負担1割。富裕層が介護は汗水たらす人の金でちゃっかり格安、資産温存し子孫にタナボタ、まさに格差で不公平だ。

上記により誰も幸せにならない盲目的延命寝たきり老人も盲目的延命医療費介護費もどんどん減り、資産保有者が汗を流す人の金で財を遺す搾取を解消できる。これからの国、社会を担う若い人たちは大分負担(感)が減るはずである。それでこそ若い人たちが将来に希望を持ち報われる未来を信じ、働き恋愛し結婚し妊娠出産育児し、国が再び繁栄するのだ。

我が親がいつか言った「子が親のためにあるのではない、親が子のためにあるのだ」。

【参照】