「ユダヤ人のトラウマが再び蘇った」(Judisches Trauma wieder erwacht)という見出してオーストリア国営放送(ORF)のヴェブサイドは2日、大きく報道していた。同国では1日未明、ウィーンにあるユダヤ人墓地の関連施設が何者かに放火され、墓地の外壁にはナチス・ドイツのシンボルだったハーケンクロイツ(鍵十字)と「ヒトラー」という文字が書かれていた、という出来事が報じられたばかりだ。
パレスチナのガザ地区を2007年から実効支配しているイスラム過激テロ組織「ハマス」が10月7日、イスラエルとの境界網を破り、近くで開催されていた音楽祭を襲撃し、キブツ(集団農園)に侵攻して多数のユダヤ人を虐殺したテロ事件以来、多くのユダヤ人は再びトラウマに襲われているという。
「世界ユダヤ人会議執行評議会」のビニ・グットマン氏は、「ハマスがユダヤ人を襲撃した奇襲テロの10月7日はホロコースト以来最大のポグロムが起きた日だ」と述べている。ハマスの大規模なテロ攻撃は、多くの人々に心理的負担を与えているが、特にユダヤ人は、メディアやソーシャルネットワークを通じて流される画像や動画に苦しんでいる。ホロコーストからヨムキプール戦争(第4次中東戦争)に至るまで、過去のトラウマが再び呼び覚まされるからだ。
具体的には、国民の安全を守ってくれると信じてきた国家(イスラエル)が安全ではなかったこと、ハマスはイスラエルという国家を狙っているのではなく、ユダヤ人を襲撃対象としているという事実に強い衝撃を受けているのだ。オーストリアのラビの1人は、「多くのユダヤ人にとって、10月7日はパラダイムシフトをもたらしている」と語っている。
1973年のヨムキプール戦争(Jom-Kippur-Krieg)を体験したユダヤ人によると、当時の衝撃は現在ほど深刻ではなかったという。当時も諜報機関は機能不全に陥ったが、民間人はほぼ犠牲を免れた。当時は「敵は外からやって来て外に留まっていたが、今回は敵は庭に入り込み、台所にまで侵入してきた」のだ。そして今回の犠牲者の大半は民間人だったのだ。
ハマスのテロ奇襲から時間が経過するにつれて、ユダヤ人犠牲者への同情心や連帯感は薄れ、中東紛争でこれまでよく見られた加害者と被害者の逆転現象(Tater-Opfer-Umkehr)が起きてきている。反ユダヤ主義やテロを美化する行為や言葉はイスラム世界に限定されず、欧州の都市でも拡散され、数多くの親パレスチナデモが行われてきた。時にはハマスの残虐行為を賛美し、イスラエルの殲滅を叫んでいる。
反ユダヤ主義事件はここにきて急速に増加している。ドイツ連邦憲法擁護局のトーマス・ハルデンヴァング長官は最近、独週刊誌シュピーゲルで、「ドイツの路上でのユダヤ人への憎しみはドイツ史上最悪の時代を彷彿させ、この新たな反ユダヤ主義の波が長期にわたって我々を悩ませることになるだろう」と懸念している。また、ウィーンのユダヤ人コミュニティの反ユダヤ主義報道センターによると、「ハマスのテロ攻撃以来、反ユダヤ主義事件は3倍になった」と報告している。
10月7日の出来事は、全てのユダヤ人にとって実存にかかわる体験であり、脅威だ。世俗的であれ宗教的であれ、自分たちもハマスや同類のテログループの標的にされているユダヤ人だという認識だ。ドイツ系フランス人ジャーナリストで政治家のダニエル・コーン=ベンディット氏は、「ハマスはイスラエルのことではなく、ユダヤ人のことだけを語る。イスラエルのユダヤ人、そして世界中のユダヤ人についてだ」と独紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングに語っている。
ホロコーストのようなことが再び起こるかもしれないという、DNAに刻み込まれた恐怖が湧き上がると表現するユダヤ人もいる。欧州にはアラブ諸国から多くの移民が住んでいるが、彼らからの「輸入された反ユダヤ主義」もユダヤ人にとって潜在的な懸念だ。その一方、多くはないにしても「ユダヤ人の過剰警戒」と受け取るユダヤ人もいる。
以上、オーストリア国営放送(ORF)の記事「ユダヤ人のトラウマが再び蘇った」の概要を参考にまとめた。
いずれにしても、ユダヤ人の生活が警察の警備と軍隊の強化によってのみ守られるという現実は、何かが間違っている、何かがあったからだといわざるを得ないわけだ。その「何か」が分からないために、多くのユダヤ人は焦燥感と恐怖を抱くわけだろう。
【参考資料】
「『反ユダヤ主義』のルーツの深さ」2013年11月6日
「反ユダヤ主義は耐性化ウイルスか」2013年11月20日
「なぜ反ユダヤ主義が生まれたのか」2015年1月28日
「『輸入された反ユダヤ主義』の脅威」2019年3月26日
「なぜ反ユダヤ主義が消滅しないのか」2020年12月6日
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年11月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。