資本主義の「衰弱」か「変質」か:「社会資本主義」と対比して

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衰弱し変質する資本主義の展望

アゴラで2023年4月11日に開始された濱田康行による「衰弱する資本主義」の連載は、11月5日に14回「未来へ(2)」をむかえ、いよいよ佳境に入って来た。

当初からの問題意識は「資本主義の衰弱」であったが、その根底には「衰弱」ではなく「変質」という認識があり、そこから「資本主義の未来」をできるだけ展望するという方向性でこれまで展開されてきたように思われる。

連載14回では、拙著『社会資本主義』では触れていない市場と国家論が、経済学の視点から詳しく語られた。とりわけ市場論については経済学者の面目躍如であり、専門の銀行制度の功罪などが分かりやすくまとめられている。

さらに日銀は改組されるべきであり、「通貨の発行と、その価値の維持、通貨の番人に専念し機能を縮小する。銀行への監督権限は業界団体の自主規制におきかえる」という論文末尾での結論は、社会学者にはストレートに届いた。その他「労働分配率」や「投資と利潤」についても教えられた。

社会学からのコメント

ただ上記以外では、経済学と社会学との接点がいくつかあるので、ここではそれらについてのコメントを行い、さらなる意見交換の素材としてみたい。

まずはラワースの「国家の役割」として、公共財の提供(『社会資本主義』では都市のインフラとしての社会的共通資本、以下同じ)、家計の支援(消費、人間文化資本)、コモンズの活性化(コミュニティ、社会関係資本)、市場の力を利用しての環境保護、労働者の保護(投資、経済資本)が挙げられたが、この方向では国家の機能が肥大するだけだと指摘された。

私は、これら4大資本の融合による経済社会システムの「適応能力上昇」がイノベーションを伴う「成長」によって得られるとしたが、濱田の場合は市場論と国家論になった。

国家論の重要性と限界

特に国家論では、資本主義論と重ねて期待される民主主義の現状がそれに歯止めをかけるには力量不足であることが嘆かれた。加えて外交が国家の特権であることには変わらないが、ロシアのウクライナ侵略戦争やイスラエルによるガザ地区への猛爆を国連という国家連合が阻止できない現状では、それもまた期待薄になる。

国民ニーズの多様性と過剰なサービスを受け止めざるを得ない現代国家はますます肥大化し、財源不足と官僚制組織の硬直化によって、機能不全となりやすい。

ポランニーの「経済は社会の一部」は現代でも通用する

このような認識のもと、ポランニーの「市場と国家はセットであった」を手掛かりに、労働、土地、貨幣を組みこんだ市場もまた「社会的事実」としての法律、規制、慣習に影響されることが強調される。市場そのものは経済資本が占有するが、企業投資にしても国民消費でも、「社会的事実」としての法律、規制、慣習で大きく左右される。その意味で経済は社会の一部でしかありえない。

80年前にポランニーが指摘した「経済的秩序は、常識としては、それを包み込む社会秩序の一機能である」(ポランニー、1944=2003:37)は現代でも同じく通用する。

コミュニティの使い方に疑義がある

合わせて、2019年にインドのラジャンが提唱した三つの柱(市場・国家・コミュニティ)も紹介された。

ポランニーと同様に市場と国家が使われたが、社会学的にはコミュニティは同列になり得ない。なぜなら、国家は最高最大のアソシエーションであり、それはコミュニティの器官(organ)の一部になるからである。だからこのような三柱の横並びは使わない。

このような趣旨を述べるためには、コミュニティの代わりにアソシエーションである地方自治体を置くか、国家を使わずに「市場、国民社会、コミュニティ」とするしかない。

社会と基礎社会

伝統的に社会学では、

と分類してきたので、この観点からもラジャンの「三つの柱」は成り立たないことが分かる(マッキーバー、1949=1957)。

society とcommunityは互換的な使用もされる

ただし、英語辞典を引けば分かるように、society とcommunityでは互換的な使用もある。

たとえば、

Society:People in general,living together in community(Oxford Advanced learner’s Dictionary of Current English)

となっている。これをみれば両者は互換的であることが理解できる。

そのため、間違いを避けるためにも社会を意味する概念として「コミュニティ」を使うのであれば、正確に定義しておきたい。さらにより「コミュニティ」を専門的に使うのなら、

【コミュニティ論における二項対立】

  1. 実態としての存在性 ⇔ 象徴的な存在性
  2. 目標としての有効性 ⇔ 手段としての資源
  3. 戦略としての現実性 ⇔ 動員できる可能性
  4. 歴史性を帯びる概念 ⇔ 将来性に富む概念
  5. ソーシャル・キャピタルか ⇔ アイデンティティ意識か
  6. 社会システムか ⇔ ソーシャル・キャピタルか
  7. 空間性を帯びるか ⇔ 空間を超越しているか
  8. 政治社会的概念か ⇔ 精神文化的概念か

を活用したい(金子、2023:345-346)。使用されるコミュニティはどのような意味なのかを、1~8までの分類に照合しておくのである。

濱田独自の分類

濱田は自らの分類項目と重ねて

  1. 市場=資本主義営利企業
  2. 国家=国家
  3. コミュニティ=中間領域

としてラジャンとの類似性に注目した。ここでいわれる「中間領域」は、コミュニティの分類軸では「実態としての存在」に該当する。

ラジャンもまた国家の役割の一つとして、コミュニティ間に「橋を架ける」役割を強調した。仮に近代史の中で国家がコミュニティの権限を奪い肥大化してきたのであれば、現今の福祉国家がその典型になる。

「低成長とは低利潤率」は画期的な定義

濱田論文の後半はこの数年間思索されてきた「低成長」について、独自の見解が披露された。

ここでは最初に「低成長とは低利潤率」という定義が示され、読者を引き込む。従来は多くの場合、低成長とはGDPの低下や成長率の鈍化、それに失業率の上昇や賃金の停滞などの諸項目を羅列してきた。この伝統の中で、「低利潤率」こそが「低成長」の真の意味であると見抜いた眼力に脱帽する。

「低利潤率」では「定常社会」や「安定成長」は維持できない

この「低利潤率」を正しく受け止めれば、「定常社会」や「安定成長」などはありえなくなる。なぜなら、それが続けば、国民の膨大なニーズを安定的に満たすことが困難になるからである。

放置していれば、国民意識は国家の肥大を求め続けるので、小さな国家には戻れなくなる。むしろ、かつて清水幾太郎がいみじくも指摘した「無料デパート」としての国家(清水、1993:356)こそが、国民からは求められるからである。

ばらまきは国家肥大化につながる

「異次元」の公的な子育て支援は緊急ではあるが、国会でもマスコミでも議論の中心は、ばらまかれる金額の多寡に関心が収束する状況が続いている。

ばらまきは国民意識をますます「無料デパート」への期待を高めさせる機能を持つから、国家の肥大化は止まらない。いわば政府自らが国家の肥大化を実践している象徴が、「子育て支援」と称したばらまきである。

もらう側からすれば、2万円よりは3万円が良いのであるが、異次元の少子化対策に加えて、高齢者への支援、失業者救済、国防予算の倍増などが目白押しでは、ますます「租税国家の危機」は解消されない。したがって、「定常社会」も「安定成長」も言葉だけの世界でしかない。

高田保馬の先見性

高田保馬が「単なる消費のためにのみ経済的活動が営まるるとすれば、資本主義は終息する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」(傍点原文、高田、1934:204、旧字旧仮名を金子が変換)とのべたのは昭和の始めであった。

投資と消費がかみ合い、競争が激烈であり、イノベーションが繰り返され、新商品の開発と販路の拡大が伴わなければ、資本主義は継続されないことを喝破した箴言である。この短い指摘の中に、資本主義の本質がきちんと把握されている。

「低利潤」では投資がされず、内部留保が増える

濱田はこの点を正しく押さえていて、低成長とは富裕層の貯蓄が投資にも消費にも回らず、株式や土地に向かい、企業資金もまた投資に向けられず、内部留保になると分析した。そうすると、社会システムの成長力がますます弱まる。これが分かっていても、「低利潤」では投資のメリットがないから、企業も富裕層も投資への意欲が高まらない。

多様な未来像だが、‘décroissance’では先が見えない

しかし、資本主義の「変質」は続くので、未来の構図にはいくつかの多様性が生まれてきた。項目だけ拾い上げると、①資本主義の現状維持、②環境派、③脱成長論などであるが、このうちの②と③は環境保護を盾にした「日和見的である」(濱田、前掲論文)。

さらに問題なのは、③の亜流を形成した‘décroissance’を使ったラトューシュであるとする。私も『社会資本主義』でこの概念と‘degrowth’の両者を取り上げ、日本語訳として共通に使われた「脱成長」にも批判を加えておいた(金子、2023:272-274)。

濱田の追及は鋭く、これらは「精神を変えれば、物的世界も変る!典型的、かつ単純なお説教である」(濱田、前掲論文)とまで言い切った。

資本主義論として修正派と終焉論への批判

それ以外の多様な資本主義論として④修正派と⑤終焉論が追加された。なかでも終焉論には手厳しい言及が続く。

代表的な論者として日本人では水野和夫、中谷巌、広井良典、加藤栄一・馬場宏二・三和良一、諸富徹などの作品が取り上げられて、いずれも不十分な結論に終始したことが分かりやすく説明された。

ヒッケルは駄目だが、ハーヴェイやシュトレークは奥が深い

同じくヒッケルも取り上げられたが、タイトルとは異なり「次に来る世界は示されていない」ため、「かなり見劣りする」という結論になった(同上)。

ただし、ハーヴェイやシュトレークについては、あまりにも「内容が深く、提起されている論点が広い」から、「論じきれない」とされた(同上)。

社会主義失敗の教訓を活かす

しかし資本主義の「変質」は事実なので、濱田なりの論点は「社会主義失敗の教訓を活かす」として、資本主義を支えてきた銀行制度、証券・株式制度、代議制民主主義、社会保障などを修正しながら残す方向を模索するところに絞られた。

資本主義終焉後の環境と孤独・孤立への目配り

そのザ・ネクストとしての社会設計の際には、「脱成長」派とは異なった意味での「環境の制約」への目配りを掲げる。

もう一つは、私の造語である「粉末状況」に言及しながら、社会構成員の孤独、孤立、孤立感の緩和にも等しく配慮した。

その後の名称としての『共存主義』と『社会資本主義』

論文最後には、資本主義の終焉後の未来社会の名称を工夫した日本での著書、原田尚久『共存主義論』と拙著『社会資本主義』を特にとりあげて詳しいコメントをした。「短評」と表現されてはいるが、内容は本質的なところをついている。

拙著は経済資本、社会的共通資本、社会関係資本、人間文化資本を等しく経済社会システムにつなげて、その「適応能力上昇」を「発展」とみるものなので、経済学で「ついていけない」世界もあるという。

「誰が社会学者の話を聞くのか?」への回答としての『社会資本主義』

しかし、単なる終焉後の資本主義論ではない証拠に、人口変容社会と脱炭素をめぐるエネルギー問題まで視点を拡大したことに一定の評価が与えられた。

これは素直に喜びたい。なぜなら、シュトレークが「経済を取り払った社会を理論的に研究する現在の社会学には、もはや未来がない」(シュトレーク、2016=2017:335)と結論して、その上で「誰が社会学者の話を聞くのか?」(同上:346)という問いかけに対して、拙著は一つの回答だったからである。

すなわち、4大資本を経済社会システムに接合して、社会学者の話を聞いてもらえる「新しい資本主義論」をめざしてみたからでもある。

「原理のバラエティと多元化」のもう一つ軸は「協同組合」

以上の膨大な研究書を検討して、最終的に自らの「資本主義」を図式化した。「原理のバラエティと多元化」が副題であるが、大企業中心の資本主義ではあるが、「協同組合」の力量を高めて、さらに「共生」や「公共」への配慮を加えて、たんなる「市場原理主義」ではないことを表明した。

大企業とベンチャー企業を中に置き、周囲を「国と地方とNPO」が取り囲んだオリジナルの図はほほえましくもあり分かりやすい。

国・地方自治体・各種住民団体・NPOが企業群を取り囲む

ただし、本稿前半でも触れたように、国とNPOはアソシエーションだが、「地方」はコミュニティないしは地域社会なのであり、概念的には手を結べない。かりにアソシエーションが取り囲むのであれば、「国・地方自治体・各種住民団体・NPO」という表現になるであろう。また、コミュニティという表現を優先するならば、「国民社会・コミュニティ・近隣関係」になり、「中央と地方」でもかまわない。

社会学では周囲の輪の方に関心があるので、「国・地方自治体・各種住民団体・NPO」もしくは「国民社会・コミュニティ・近隣関係」を今後は詰めていく作業になる。経済学はやはり中に置かれた企業群、中小企業も含めた大企業とベンチャー企業そして協同組合の果たす役割を重視する。

資本主義の主演と助演はどうなる?

そうすると未来の資本主義で「残す制度・構造」は、個人所有制度、銀行制度、株式制度、改組を前提とした日銀などが例示されることになった。

資本主義の主演と助演をも含み、15回連載予定の「衰弱する資本主義」論の結論がどうなるか、興味は尽きない。

 

【参照文献】

  • 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房
  • MacIver,R.M.,1949,The Element of Social Science,Methuen & Co.Ltd.(=1957 菊池綾子訳『社会学講義』社会思想研究会出版部
  • Polanyi,K,1944,“The Self-regulating Market and Fictitious Commodities: Labor,Land,and Money”in The Great Transformation,Rinehart.(=玉野井芳郎訳「自己調整的市場と擬制商品」玉野井芳郎ほか編訳『経済の文明史』筑摩書房):31-47.
  • Raworth ,K.,2017,Doughnut Economics : Seven Ways to Think Like a 21st Century Economist , Chelsea Green Pub Co.(=2021 黒輪篤嗣訳『ドーナツ経済』河出書房新社)
  • Streeck,W.,2016,How Will Capitalism End?Essays on a Falling System,Verso.(=2017 村澤真保呂・信友建志訳『資本主義はどう終わるのか』河出書房新社)
  • 清水幾太郎,1993,『清水幾太郎著作集 18』講談社.
  • 高田保馬,1934,『国家と階級』岩波書店.