日本の最大の弱点は今もエネルギー:第1次石油危機50周年に思う

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長期化するロシア・ウクライナ戦争に加えて、中東でも、突然10月7日、パレスチナのガザ自治区のイスラム過激組織ハマスによるイスラエル攻撃により「第5次中東戦争」とも呼ぶべき深刻な事態が起こっています。

ウクライナ戦争の場合は、制裁措置としてロシア産天然ガスの輸入が禁止されたためドイツなど西欧諸国はエネルギー危機に見舞われたものの、極東の日本などにはそれほど大きな影響はありませんでした。

しかし、イスラエル・パレスチナ戦争の場合は、今後の成り行き如何によっては、グローバルなエネルギー危機に発展する可能性があり、中東石油に大きく依存する日本にも重大な影響が出てくる恐れがあるので、十分な警戒が必要です。

ところで、今年は第1次石油危機から50年の節目の年にあたります。1973年10月6日に突発した第4次中東戦争(ちなみに、今回のハマスによる攻撃が開始した10月7日とは僅か一日違い)をきっかけに、アラブ産油国が一斉に原油の輸出を停止したため、世界的なエネルギー危機が発生したのです。

産油国側は、イスラエルが第3次中東戦争(1967年)の占領地から撤退するまで、イスラエル支持国(米国、オランダなど一部西欧諸国)への経済制裁として石油禁輸に踏み切りました。米国の同盟国である日本もイスラエルの「友好国」―――アラブ諸国にとっては「非友好国」――とみなされ、禁輸の対象となりました。

その結果原油価格は一気に約4倍に暴騰。当時原油の8割以上を中東から輸入していた日本は、深刻なパニック状態に陥りました。火力発電所が動かなくなったため電力供給が激減し、例えば東京・銀座ではネオンサインが消え、真っ暗。ガソリンスタンドには延々長蛇の列。さらに、全国のスーパーマーケットの日用品売り場からトイレットペーパーが売り切れて無くなるというような、とんでもないことが起こりました。

人々がトイレットペーパーを求めてスーパーに殺到する様子
NHKより

SNS万能の現在と違って、当時は口コミでフェイク情報が流れ、全国の主婦たちが買いだめに殺到したからです。

無資源国の悲哀を味わう

実は、第1次石油危機当時、私はスイスのジュネーヴに住んでいました。その前年、1972年6月にスウェーデンの首都ストックホルムで開催された世界最初の国際環境会議で創設が決まった国連環境計画(UNEP)事務局の初代幹部職員として、日本政府から派遣されジュネーヴの国連本部(パレ・デ・ナシオン)で勤務していたからです。

着任してまだ半年足らず、10月6日の朝、UNEP事務局長ストロング氏(カナダ人)と一緒にジュネーヴ空港からロンドンに向かう機内で、イスラエルと中東アラブ諸国の武力衝突が勃発し、原油が禁輸になったとの第1報に接しました。その瞬間に、「あ、これはヤバイことになるな」と直感したことを記憶しています。

ロンドンからの帰途、日本政府との打ち合わせのために一時東京に立ち寄りましたが、私の予感は見事的中。国内は大変なパニック状態で、政府も企業も国民も「石油ショック」に翻弄され、右往左往し、悲鳴を上げていました。あの時ほど、日本のエネルギー政策の弱点(アキレス腱)を痛感し、無資源国の悲哀を味わったことはありません。

国連で地球環境問題に取り組む

第1次石油危機の直前までは、日本では、1960年代の高度経済成長の“落とし子”である公害(水俣病など)が重大な社会問題となっていました。巷には「成長の限界」とか「生活の質」という言葉が流行り、新たに「環境」問題という概念と意識が全国的に盛り上がっていました。

まだ環境庁(環境省の前身)が創設される3年ほど前でしたが、私自身、外務省で初代の環境問題担当官として地球環境保護の旗を必死に振っていました。ちなみに、有名な「かけがえのない地球」というスローガンは、この当時私が自ら考案したものですが、瞬く間に全国に普及し、熱病のような環境ブームを巻き起こしていました。

ところが、石油危機の到来で、突然経済が混乱し、人々の生活が苦しくなってくると、俄か仕込みの環境ブームは、あたかも風船が破裂したように一気に下火になり、立ち消えになります。「衣食足りて礼節を知る」という諺があるように、人々は日常生活に余裕があるときは、生活の質とか、環境保護などに関心が向きますが、生活が苦しくなるとそんな余裕がなくなり、それまで「経済開発より環境優先だ」と叫んでいた人たちも、急に「やはり経済が大事だ、環境は後回し」と言い出したのです。

そうした社会的変化の中で、勇んでUNEPに送り込まれた私は、二階に上がった途端に梯子を外されたようなもので、甚だ不本意でしたが、一方で日本の将来を真剣に考え始めました。つまり、日本は中東石油への過度な依存を止め、代替エネルギーをどこに求めるべきか、そして自給率を高め、エネルギー自立体制をいかに構築すべきかということです。

「石油よさよなら 原子力よ今日は!」

当時私は、原子力には中立の立場で、とくに賛成でも反対でもありませんでしたが、日本の将来を考える中で、石油への依存度を減らすためには、準国産エネルギーともいうべき原子力に頼る以外にないと考えるようになりました。

現在と違って、当時は再生可能エネルギー(太陽光、風力、地熱など)は全く未開発で、それで1国のエネルギー需要を賄えられるとは到底考えられませんでした。他方、原子力発電は、日本でも1950年代半ばから導入が始まり、1970年代には国内各地に原子力発電所が出来つつありました(東日本大震災で事故を起こした東京電力の福島第一発電所はそのころに建設されたもの)。欧米先進国でもすでに原子力は石油に代わる主要エネルギー源と考えられていました。

ご存じのように、原子力発電の燃料のウランは日本国内にはほとんど存在せず、すべて海外から輸入しなければなりませんが、一度輸入すれば長期にわたって再利用できるので、「準国産エネルギー」と考えられています。天然資源に乏しく、技術立国を標榜する日本にとって、これほどふさわしいエネルギーはありません。

 

ということで、日本では第1次石油危機を契機に、原子力が脱石油の切り札として全国的に歓迎されるようになりました。当時私も、「石油よ、さよなら。原子力よ、今日は!」と題した啓蒙的論文を新聞雑誌に盛んに発表しました。マスコミもそうした私の行動を応援してくれました。かくして、一介の公務員ながら私は、第一線の環境保護主義者から原子力推進論者へと脱皮(転身)したわけです。

4年半の国連勤務を終えて、1977年に外務省に復帰した私は、新設された原子力課の初代課長に任命され、ちょうど日米原子力交渉の最中であったこともあり、日夜原子力外交に没頭しました(この辺の事情については、私の別の論考をご覧ください)。

中東危機とエネルギー危機

あれから半世紀。いま世界では、ウクライナ戦争に加えて、イスラエル=パレスチナ(ハマス)戦争で、経済不安が高まっており、エネルギー危機が再燃する懸念があります。

確かに50年前と違って、現在日本には1年程度の石油備蓄(国家、民間)があり、また国際的な石油融通制度もできていますし、太陽光、風力などの再生可能エネルギーの利用もかなり進んできているので、仮に石油供給断絶があってもすぐに困ることはないはずです。

しかし、福島原発事故後、それまで基幹電源であった原子力発電が激減した結果、化石燃料(天然ガス、石炭、石油)への依存度は第一次石油危機時と同様に8割以上になってしまっており、中東への依存度も高いままで、極めてバルネラブル(脆弱)な状態です。

ついでに、もう一つ不安要因を挙げておくと、米国が、「シェール革命」の結果エネルギー純輸出国になり、中東石油への依存が激減したため、中東地域への政治的関与の度合いが低下していることで、今回のパレスチナ戦争の一因もそこにあるような気がします。ロシアや中国が今や世界市場で大プレーヤーになっていることも状況を一層複雑にしています。

脱炭素化の切り札は何か?

いずれにせよ、日本がエネルギー小国であり、エネルギー自給率が先進国中最低であるという事実は昔も今も変わっておらず、このことを常に銘記しておく必要があります。

「カーボンニュートラル2050」の大号令のもと、目下日本政府は再生可能エネルギーの拡大に躍起になっていますが、再生エネは期待通りには増えていません。しかも、太陽光と風力は天気任せで本質的に不安定な電源なので、これを増やすためには、常時バックアップ電源が不可欠ですが、脱カーボンのためには火力発電は最大限抑えなければなりません。となると水力と原子力発電以外にないことになります。

もちろん、福島事故後原子力の安全性に対する一般市民の不安は根強く、その上、原子力発電には、核廃棄物(核のゴミ)の最終処分など固有の未解決問題が多々ありますので、いくら原子力の重要性を唱えても、俄かに人々の共感と支持を得ることはできません。

広く社会に受け入れられるためには、原子力自体もある程度変わる必要があります。そのためには、従来型の軽水炉による原子力発電所のほかに、小型モジュール炉、高温ガス炉などの革新的次世代炉の導入が必要で、私はとくに洋上浮体式原子力発電所計画に期待しています(これらについては、技術的な問題を含め、別途分かりやすく解説する機会があればと思っています)。

エネルギー自給率を高めよ

私自身の半生を振り返って、若いころは自作の「かけがえのない地球」を合言葉に地球環境問題の解決に奔走し、やや世論をその方向に誘導しすぎた感もありますが、その後第1次石油危機で現実の厳しさに直面して、エネルギー安全保障の重要性を再認識し、その1つの手段として原子力推進の論陣を張ってきました。

かつて公害・環境運動で同じ釜の飯を食べた仲間たちとは一線を画するようになりましたが、私自身は、資源小国日本のエネルギー安全保障という「国益」を守るという外交官としての当然の使命を果たしてきたのであり、首尾一貫していると信じています。

地球温暖化防止という国際社会の大目標は堅持すべきですが、そのためにも、日本は自身の弱点(アキレス腱)をしっかり自覚し、エネルギーという“基礎体力”を強化することが先決です。そして、そのためには、好き嫌いは別にして、原子力という「縁の下の力持ち」にもうひと頑張りしてもらうよう期待するほかありません。

エネルギー問題には日ごろなじみが薄い方々も、ぜひこの機会に、我が国のエネルギー安全保障、ひいては国家安全保障という観点からしっかり勉強し、理解を深めていただきたいと願っています。