池田大作氏は宗教家というより稀代の大衆運動家

中村 仁

宗教家の枠での評価には限界

11月18日の新聞朝刊を開きましたら、創価学会の全段1㌻のカラー印刷の広告が掲載され、驚きました。「かつての発射口はいま、平和へ向けられている。人を信じ、世界と進む。創価学会」とあります。

「米軍統治下の沖縄には1300発もの核兵器が置かれていた。核ミサイル発射台跡が残っている創価学会沖縄研修道場。核があった場所は、『世界平和の碑』として平和を発信する地へ生まれ変わった」と、写真も添えてありました。1㌻を使った突然の広告に、いったい何だろうかと。

「創価学会にとって最も重要な日は、学会の創立(1930)記念日『11月18日』」と聞かされたことがあったような気がします。それかな。さらに驚いたのは、広告が掲載された日の昼、「池田大作氏死去」とテレビが速報しました。「そうか死去にタイミングが合ったのか」と、ピンときました。

ニュースで後で「亡くなったのは東京都内の自宅。15日」と知りました。18日まで伏せておいた。創立記念日にあわせて朝刊に広告を掲載し、その日の午後に死去を発表した。用意周到の広報です。

新聞は池田氏について「創価学会名誉会長、高度成長期に教勢を急拡大」、「公明党を結成、政治に影響力、学会との関係が論議を呼ぶ。政治との距離賛否」、「連立選んだ公明、変質する『平和』」などと表現しています。宗教と政治の結合に違和感を感じてきたのでしょう。

創価学会HPより

メディアは池田氏が巨大な存在であったことを認める一方で、言論弾圧事件(69年)、教勢拡大のための行き過ぎた折伏に対する批判もかつてあり、公明党の問題では、「論議を呼ぶ人物、政治と宗教を巡り常に波紋を広げてきた」と、解説しています。

全紙にとって社説の対象になってもおかしくないのに、池田氏の死去を社説で扱った主要紙は読売新聞一紙で、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞は見送りました。池田氏をどう評価するかで、戸惑いがあるのでしょう。

毎日新聞は聖教新聞の委託印刷、配送で創価学会と早くから関係が深く、社内でも意見が割れていました。全国紙の一角に影響力を伸ばす。経営力が弱いため、その対象になった。当時、宗教団体とメディアの接近を批判する声がよく聞かれました。

その毎日新聞が池田氏の評伝を載せ、記者が「人心掌握の達人、一度会ったあった人の名前は忘れないと言われた」、「組織を拡大発展させた。多くの難題が降りかかったのに組織は微動だにしなかった。(問題の多く)は池田氏の組織運営上の必然だった」と持ち上げました。人心を掌握された記者のようですね。

ネットで「宗教史でみると、宗教家としては日蓮、親鸞といった教祖を別人にすると、聖徳太子、行基、蓮如、池田氏が突出した存在である」との論評もあり、そこまでいっていいのかなあと、感じました。私には宗教家というより、大衆運動家だったという印象です。あるいは大衆運動家兼宗教家という側面で考察したほうがすっきりした評価ができる。

池田氏が創価学会の会長を引き継いだころ(1960年)、会員数は3000人、それを飛躍的に伸ばし、現在は公称827万人だそうです。あくまで公称で、実際は高齢化などで相当減っているようであっても、すごい数字だ。

地方から都会にでてきた貧しい青年を巧みに救いあげ、公明党を結成して政治運動化によって信者を増やし、寺ではなく各地に文化会館を建設し、活動拠点とするなど、従来の仏教のスタイルとは距離があります。

公明党の結成(1962年)の党是は「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」ですから、池田氏はやはり大衆運動家だと思います。大衆引きつけて、共産党の対抗勢力ともなりました。もっとも時代は変わり「大衆」の定義が難しくなり、しかも会員の高齢化で教勢、党勢が弱まっています。どう池田氏の後継者の苦難が予想される。

私は新聞社から出版社に出向して、池田本二冊の発行に関わりました。「人生は素晴らしい」(2004年)、「池田大作名言100選」(2010年)です。そのことを通じて、創価学会の体質、特徴を体感することになりました。そのころは、言論妨害事件の後遺症も収まり、池田本を扱う出版社も増え、こちらとしては通常の出版の扱いです。

違ったのは担当者からの「創価学会の本部(信濃町)に行ってトップに挨拶をしてほしい」との依頼です。トップといっても、池田大作名誉会長ではありません。本部に行きますと、受付で「どうぞ二階に上がって下さい」と言われ、エレベーターを使いました。

エレベーターのドアが開き、降りようとしますと、目の前に、なんと当時の秋谷会長と原田事務総長(現会長)のお二人が並んで待っていました。何もそんなことまでしていただかなくとも、という感じでした。いよいよ発売が近づくと、担当者から「地方でも拡販したいので、地方本部の代表(理事クラス)に挨拶にいってほしい」と。

福岡、大阪、横浜の本部にお伺いして、出版の説明と拡販のお願いをしたしました。東京では原田総長、地方では地方代表が会合の際に、「名誉会長の本が出版されることになり、出版社が挨拶にこられました」と紹介するため、この種の挨拶は必須の条件になっているようでした。

私は新聞社の大阪本社にも出向しました。大阪は東京に次ぐ学会の最重要の拠点です。大阪本社は聖教新聞の委託印刷(そのころは地方紙を含め、20社以上)、委託輸送を契約していました。委託を通じて、創価学会の影響を受けるのではないかと警戒する時期はもう過ぎていました。

もっとも11月18日の創立記念日には、大阪本部に挨拶に行き、お祝いの花を届ける慣行になっていました。今では合理化のため、どんどん新聞社間の印刷協力、委託配達が広がっていますから、聖教新聞の委託印刷、委託輸送もビジネス上の話と割り切って扱う時代です。

驚いたのは読売ジャイアンツが優勝した時のことです。大阪の本部から祝いの胡蝶蘭が届けられました。そうしたことを通じて、人脈を増やしていくのでしょう。計算しつくされた慣行だなあとの印象です。

最後に、聖教新聞の大阪代表だった方のことを紹介します。定年を迎えて東京に戻られました。しばらくしてお目にかかり、「何をなさっているのですか」と聞く機会がありました。「最近、学会から遠ざかっている人の家を毎日1回は訪問し、近況を聞いてあげています」と。

ある時、定年退職した会員の家に行きますと、奥さんに「夫は退職後、『おれは十分に働いた』といって、家ではごろ寝、テレビ漬けです。私は友たちとの会食、外出もままならなくなり、ノイローゼ気味です」と、訴えるのです。「夫源病」(ふげんびょう)です。

元大阪代表は、ご主人に向って「私の家庭訪問に週3回ほど、付き合い同行してほしい」と頼みます。始めは渋々、それが何回か重なると、「暮らしが厳しい。健康が優れない」という人に何度も出会います。

しばらくすると、そのご主人はごろ寝の自分を反省し、家庭訪問を繰り返すうちに、みるみる顔つきが変わり始め、生き生きとしてきたそうです。私はその話を聞いて、大衆運動家の血が末端まで流れている。宗教団体という名称ではくくれない組織だなあと感じたのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年11月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。