独生まれの外交官キッシンジャー氏

ドイツ民間ニュース専門局ntvは30日、米ニクソン大統領時代の元米国務長官ヘンリー・キッシンジャー氏の死去を報じ、同氏がドイツ南部バイエルン州生まれのユダヤ人で、少年時代に米国に亡命した難民出身者であり、世界の政治舞台で活躍した米外交官であったと伝えた。その訃報を聞いて、キッシンジャー氏がドイツ生まれだったことを思い出した。

オーストリア国営放送(ORF)とのインタビューに答えるキッシンジャー氏(2010年9月23日、スクリーンショット)

(元米国務長官は1923年5月27日、ドイツ南部バイエルン州の小都市フュルトで生まれ、15歳の時、ナチス・ドイツ政権の迫害から逃れるために家族と共に米国に亡命、米国で成長し、その後外交官として活躍した。11月29日に米コネチカット州で100歳で死去した)。

独週刊誌シュピーゲルは30日のオンライン版で、ユダヤ難民、知識人、外務大臣、元老政治家、サッカーファンなど、キッシンジャー氏の人生のさまざまな側面を写真で紹介し、「ヘンリー・キッシンジャー氏ほど広範で長い政治的キャリアを有した政治家は世界でもほとんどいない。1950年代から亡くなるまで、同氏は世界の政治に関与してきた」と述べている。

ローマ・カトリック教会総本山バチカンのバチカンニュース(独語版)もキッシンジャー氏の死を追悼する記事を掲載し「元米国国務長官でトップ外交官のヘンリー・キッシンジャー氏の死は、バイエルン州の人々に大きな悲しみを引き起こしている」と報じた。

バチカンニュースに掲載された追悼記事を以下、少し紹介する。

ゼーダー州知事(「キリスト教社会同盟」=CSU)はプラットフォームX(旧ツイッター)でキッシンジャー氏に敬意を表し、「キッシンジャー氏は先見の明と優れた分析的洞察力で人々を説得できる重要な政治家だった。そして、彼はバイエルン人、フランケン人、フュルテル人であり、最期まで古き祖国とユダヤ人としての人生を送った。バイエルン州はこの州から生まれた著名な息子の名誉ある記憶を保存するだろう」と語っている。

また、ミュンヘンとオーバーバイエルンのユダヤ人コミュニティの会長シャーロット・ノブロック氏はキッシンジャー氏を「現代史の象徴」と呼び、「会うたびに、彼の威厳ある態度、内なる静けさ、そして力強く実践的な性格に感銘を受けた。彼の死により、バイエルンとユダヤ人の歴史の一部が失われた」と述べた。

キッシンジャー氏が生まれたフュルト市のトーマス・ユング市長(社会民主党=SPD)によると、キッシンジャー氏はナチス・ドイツ政権に家族を迫害され、自身は幼い頃に祖国を失ったにも関わらず、ドイツに対して憎悪の考えは全く持っていなかったという。ちなみに、ナチス・ドイツ政権下でキッシンジャー氏の家族11人が殺害されたという。

同市長はまた、「キッシンジャー氏のフュルト訪問中、私は彼が謙虚で現実的で、とても温かい人物であることを知ることができた。キッシンジャー氏はフュルト市の発展にも興味を持っていた。そしてフュルト市のサッカークラブ、「グロイター・フュルト」(Greuther Furth)のファンでもあった」という。なお、フュルト市庁舎前には追悼旗が掲げられた。今月4日からは国民が弔問書に署名できる。

キッシンジャー氏は100歳の誕生日から数週間後の6月末、誕生日パーティーのために再びフュルトを訪れた。市内の劇場で行われた式典で、同氏は「祖国に背を向けることは苦痛だったが、戦後、平和、民主主義、繁栄に尽力する社会に戻ることが出来て本当に嬉しい」と語ったという。

キッシンジャー氏は高齢にもかかわらず、世界の情勢に強い関心を示し、100歳になった直後の今年7月、中国を訪問し、習近平国家主席と会合するなど精力的な活動を最後まで続けた。同氏が語った発言内容は即、世界の通信社を通じて流された、外交官としてベトナム戦争の和平への貢献でノーベル平和賞を受賞。批評家の中には「キッシンジャー氏は純粋な権力指向の政治家であり、その外交政策は秘密外交だった」という声もあるが、米国と中国の接近など世界史に残る外交を展開したことは周知の事だ。

ドイツ・バイエルン州マルクトル村出身のローマ教皇ベネディクト16世(在位2005年~13年2月)が誕生した時、ドイツ国民、特にバイエルン州民は「我々の教皇が生まれた」と大喜びだった。その同16世は昨年12月末、95歳で亡くなった。そして同じバイエルン州出身のキッシンジャー氏が先月29日に亡くなった。バイエルン州民は、過去100年間の激動の世界史を自ら体験しながら生きたユダヤ人外交官が同じ故郷出身であったことを誇らしく感じてきただけに、ベネディクト16世に次いで歴史的人物を失ったことに落胆と悲しみを感じている。

ヘンリーA.キッシンジャー氏 同氏HPより


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。