ガザのシファ病院をめぐる混乱について

篠田 英朗

イスラエルが「ハマスの地下司令部がある」と主張したガザのシファ病院から、司令部とみなせる軍事施設が発見されなかったことが、大きな波紋を呼んだ。

イスラエル政府は、シファ病院を占領して一日たった時間くらいに、ようやく病院内で少数の武器が見つかった、といったことは主張した。それも後日メディアが入ったときにむしろ武器の数が増えていることが見つかるなど、不信なところが多く、いずれにせよ病院が軍事施設であったことを証明するには程遠いものであった。

さらに後に、地下からトンネルが見つかったと主張したが、そもそもトンネルの存在自体は論点ではなく(かつてイスラエルが自ら直轄管理していた時代に病院地下にトンネルを掘っていたことがわかっている)、当初の主張を裏付けるものだとまではみなされていない。その後、イスラエル政府は、広報活動も終わりにして、地下を爆破して粉々にしてしまった。

激しい攻撃が続くガザ地区 PRCS(パレスチナ赤新月社)Xより

国際人道法は、戦闘員と非戦闘員を区分し、前者に対する攻撃を問わない代わりに、後者に対する攻撃を禁止する大原則によって成立している。病院は、重要な意味を持つ文民施設であり、それが実際には軍事施設であるとの主張をするためには、相当に高いハードルを乗り越えなければならないことは当然である。そうでなければ、国際人道法は水泡に帰する。

たとえば、シファ病院にハマスの要員がいた、といった主張では、病院が軍事施設たる「司令部」であることと関係がない。仮に戦闘員であった者が病院にいたとしても、傷病者である場合には、ジュネーブ諸条約の規定に基づいて非戦闘員としてみなされる。

およそ国際法を語るのであれば、この程度のことは「原則」のレベルに属する事柄である。この国際法の考え方自体を疑うということは、ありえない。今回のシファ病院をめぐるイスラエルの攻撃をめぐっても、複数の国際法学者の方々が、そのことを確認している。

ところが実際には、国際法の存在そのものを否定するような言説が、YouTubeなどの媒体において、はびこっている。現代では、こうした非正規メディアに情報源を頼り、しかも扇動的な発言に魅惑されやすい人々が多数存在しているため、混乱が広がっている。「国際社会の法の支配」を重視すると強調してきた日本政府の立場を考えるまでもなく、極めて由々しき事態である。

10月7日のテロがあったのだから、国際人道法など遵守していられない、といった、正面から国際法の妥当性を否定する言説も見られる。しかし言うまでもなく、敵対勢力の国際人道法違反は、自軍の国際人道法違反を免責することは決してない。こうした主張は、あからさまな国際法の否定である。

イスラエルを批判することは、ハマスの擁護と同じだ、と主張する者もいるが、国際法を否定する主張である。ハマスのテロ攻撃が国際人道法違反であったことは明白である。疑いの余地がなく、そもそも10月7日のハマスのテロ攻撃を擁護している者を見たことがない。それに対して、イスラエルについては人道法違反の免責を主張する者が、多数、非正規メディアを中心に存在している。そのため前者が論争を生んでいないにもかかわらず、後者が論争を生んでいるだけである。

イスラエルの自衛権の有無は、イスラエルの国際人道法違反行為の有無とは、関係がない。前者は、武力行使に関する法(jus ad bellum)に属する問題であり、後者は、武力紛争中の行為に関する法(jus in bello)に属する問題である。前者における合法性の確保(自衛権の行使)が、後者における違反行為を免責しないことは、絶対に逸脱することができない大原則である。自衛権行使を理由にして、国際人道法違反の免責を主張することは、あからさまな国際法の否定である。

YouTube番組「チャンネルくらら」において、倉山満氏が、病院が軍事施設ではないことを証明する義務がハマスにある、と主張し、「イスラエルに病院に司令室があることを証明する義務はない」と主張している。

すでに述べたように、国際人道法は、軍事目標主義を大原則にしているので、軍事施設でなければ攻撃してはならない。話題になった倉山満氏の番組を視聴してみたが、「国際法」という単語を使用しているが、その語りの内容は、現代世界に実際に存在している国際法とは全く無関係なものになっている。端的に、倉山氏が「国際法」と呼んでいるものは、現代世界でわれわれが通常「国際法」と呼んでいるものとは全く違う何か別のものである。

倉山氏は、続編において「シファ病院が軍事施設でないことを示すのは悪魔の証明」という批判を意識しながら、「池内恵先生にお答えします」という方向に話を転嫁し、問題が池内教授という特定の中東専門家によって作られているかのような姿勢を見せようとしている。

残念な姿勢である。倉山氏は、証明義務は双方にあり、ハマスは病院が病院であることを十分に証明していないといった主張で、イスラエルの免責理由にしようとする。しかしこれはイスラエル政府の立場をも飛び越えた空論である。

シファ病院に医療従事者がいて、医療活動をしていることを、イスラエル政府ですら否定していない。シファ病院関係者が、シファ病院が病院である証明をしていない、などという主張は、イスラエル政府ですら行っていない。イスラエル政府は、国際人道法の原則にしたがって第一義的には保護対象となることを了解しているからこそ、それを上書きするために、「地下にハマスの司令部がある」という主張をしたのである。したがってその主張の妥当性が、イスラエルの国際人道法違反の認定に大きな意味を持つことが当然なのである。

「あなたの家の地下にハマスの司令部があると主張する、そこであなたの家を攻撃する、もし万が一ハマスの司令部がなかったとしても、ハマスがあなたの家にハマスの司令部がないことを十分に証明しなかったので、あなたの家の攻撃について私は免責される」、といった主張を認めてしまったら、国際人道法が消滅してしまうことは、言うまでもないことである。

倉山氏は、「そもそも国際法が法ではあっても法律ではない」といった謎めいた言葉で、倉山氏自身の歴史観や文明観に、話を持っていってしまうが、要するに、倉山氏が「国際法」と呼んでいるものは、現代世界で実際にわれわれが「国際法」と呼んでいるものとは全く違う何か別のものなのである。

倉山氏の動画には、私自身、複数回出演させていただいたことがある。倉山氏の『ウッドロー・ウィルソン全世界を不幸にした大悪魔』(2020年)あるいは『ウェストファリア体制天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法』(2019年)といった著作で論じられている内容をめぐり、議論をさせていただいた。

その際に、お互いにはっきりと認めあったはずのことだが、倉山氏は、20世紀以降の国際法に根源的な不信感を持っている。第一次世界大戦時まで存在していた古いヨーロッパ国際法のほうが、妥当だと考えている。つまり倉山氏は、実際本当に、20世紀に成立した現代国際法の否定者なのである。

倉山氏が持つ世界観は、現代国際法のことを「国際法」と呼んでいる私のような者が持っている世界観とは、根源的に異なっている。そのことを忘れ、全く異なるものを、同じ「国際法」という単語を用いて語り合っても、わかりあえないことは、言うまでもない。

少し異なる問題を示したのが、自民党参議院議員の佐藤正久氏である。彼の発言は、イスラエルは常に正しい、という発想を大前提にしている。

戦時中の行為の国際人道法違反の有無という重大問題についてまで、「たとえ証明がなされなくても、必ずイスラエルが正しいことだけはわかっている」といったたぐいの自らの思い込みを顧みることなく、国会議員が、地上波テレビ番組などを通じて、公然と言論活動を行うことには、特有の危険がある。

現実に、日本政府は、ガザ危機をめぐる事態を、冷静に分析して、主体的な判断をする能力を失ってしまっている。国会で状況判断を問われても、「現実の状況をしっかり確認できない」と首相が答弁してしまうような有様である。

今やアメリカですら、イスラエルの軍事行動に抑制を求める発言を公然と行っている。不用意なイスラエル無謬論の主張は、日本の外交的裁量の余地を著しく狭める。危険である。

なお、さらなる場外乱闘の様子を見ると、扇動的な言説を売り物にいて人気を博しているYouTuberが、特定政治団体の党員を称する人々らを焚きつけて、人格攻撃とすら言えない低級な内容で、誹謗中傷を、池内恵東大教授らに繰り返し、職場に迷惑電話をかけるといった事態が発生しており、日本の民主主義国家としての存在が溶解する危機に瀕している。倉山満氏や、佐藤正久氏らには、少なくとも自分がこうした人々と同次元にはいないことを示す努力をしていただきたい。

未熟児の手当てをするPRCSの隊員 PRCS(パレスチナ赤新月社)Xより


戦争の地政学 (講談社現代新書) 篠田 英朗