アメリカのメルトポットとカナダのモザイク文化の実態

国家にはアイデンティティがつきものです。つまりその国の特徴を位置づける事実です。例えば日本のアイデンティティとは何でしょうか?私は「神道を起源とし、農耕文化を中心とした共同体的社会」は大きな特徴だと思っています。日本を「優越意識」とする研究もあるようですが、当たらずも遠からずという気もします。「島国根性」については私はやや異論があります。韓国や北朝鮮にも共通する「閉鎖性」としたほうが適切であり、「島国」が必ずしも与件ではないと考えています。

何処の国にもアイデンティティはあります。ドイツもフランスもイタリアも英国もそれぞれ強いアイデンティティがありますが、それが他国からどう評価、表現されているかは案外気にしないこともあるかと思います。事実、日本人の特性について日頃議論されるようなシーンにはほぼ出くわすことはありません。

さて、私が抱くアメリカのイメージはメルトポット、つまり、移民国家として様々な人々を受け入れながらもアメリカ人という一つの括りに落とし込む特徴がある、というのが概ね正しかった(過去形です)と思います。大学時代に社会学で学んだ際にも一般論としてそのような特徴づけでした。一方、カナダはモザイク社会とされます。私がカナダに31年前に来た時に出身国由来のコミュニティが各所にあることに驚いたものです。Ethnic(=同じ社会文化的背景を持つ人たちの集まり)を重視するという姿勢です。

さて、アメリカとカナダのこのアイデンティティは今でも根幹は崩れていませんが、実態は大きく剥離したと考えています。アイデンティティは表層を装うだけの話で近年、その歪みが見えてきたのです。

アメリカはもともとは差別国家でした。白人と黒人の対立の歴史は今でも残っており、日常的ないざこざや発砲事件など問題は起き続けています。WASP(White Anglo‐Saxon Protestan=アングロサクソン系のプロテスタントの白人)はアメリカの地方に行けば今でもあります。文化的にも東部、南部、西部、北部それぞれ違い、政治的分断の背景でもあります。教育レベルによる階級化もあり、都市に住むエリート層に対して地方から一歩も出ない学歴が高くない人々はよそ者を色眼鏡で見ることもあるでしょう。日本人が抱くアメリカ人のイメージである明るくにこやかに「Welcome!」なんていうのは西海岸に代表されるごく一部の特徴に近いのです。ニューヨーカーは時として「西海岸の人たちの低俗で品のない英語、とてもじゃないが、聞いてられないね」と囁くのです。

これだけ挙げれば「どこがメルトポットなのかね?」と言いたくなります。ましてや大統領選を1年後に控え、国家二分説がありますが、無関心派もいれた三分説の方がより説得力がある気がします。それぐらいバラバラであり、我々が知るメルトポットというアメリカのアイデンティティは過去の産物に近いかもしれません。

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同様にカナダも差別的で排斥主義の塊でした。日本人や中国人への戦前戦中の明白な差別や戦前のインド人シーク派の排斥もありました。が、戦後、この方針を180度転換し、多民族国家を標榜し、共生社会を作ることでカナダはイメージを大きく刷新したのでした。

アメリカとカナダの違いはアメリカ人は相手をある程度知っていればトコトン面倒みてくれるのですが、知らない人にはそっけないところがあります。一方、カナダは知らない人同士でも割とスッと入るのですが、がっつり深い人間づきあいが出来ない国民性とされており、かつては世界で最も友達が作れない国と揶揄されていました。

近い例としてあっけらかんなアメリカ人と大阪人、シャイなカナダ人と東京人がフィットするかもしれません。ただ、カナダ人も旅行に行くと東京より大阪により強く惹かれてくるのもこれまた事実。大阪人のフランクな感じは諸外国の人を受け入れやすいとも言えます。ちなみに一番難しいのが京都人だと思います。朝廷の名残やプライドを今でもしっかり持っており、本音と建前の使い分けは日本人でも理解しがたいことがあります。

話を元に戻しますが、カナダのモザイクも時間の経過とともにモザイクのサイズがバラバラになってきて歪みが出てきました。私は多文化推進のグループに時折顔を出しますが、そこで言われるのは「このグループにはインド、中国本土、フィリピン系はいない。理由は彼らは大きすぎるからだ」と。多文化推進においても大きすぎるところとは既に一線があるわけです。しかもこれはアジア圏だけの話で同様な動きは移民が多いかつての東欧系でも同様です。表層上は静かにしているものの実は民族系の対立軸を理解していないと誰と誰がどうなのか、というのはさっぱり理解できないのです。

こう見ると移民国家はそれなりに苦労しているし、乗り越える努力をしているもののそれを飛び越えた問題は生じやすくなったと言えます。カナダのトルドー首相がインドや中国との外交で苦慮しているのもバイデン大統領がイスラエルとの位置関係によりイスラム系をすっかり敵に回したのと同じです。例えばイアンブレマー氏は(イスラエル/ハマスの戦いを受けて)「万が一イランと米国が直接衝突すれば…2024年の米大統領選でバイデン氏が敗北し、トランプ氏に勝利をもたらすことだろう」(日経ビジネス)と断じています。(個人的にはそこまで言い切れないと思います。)

日本はほぼ単一民族でよかった、と言っても確実に外国人は増えています。狭い共同体社会を前提とする日本に於いて社会全体の共生は苦手なイシューだと思いますが好む好まざるにかかわらず、共生社会は来るし、アメリカやカナダが抱える問題は避けたくても避けられないし、当然ながら、我が国の問題にもなりえるし、既に一部ではなっているとも言えます。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月10日の記事より転載させていただきました。