公共入札では「悪」も「仏」も処罰される

宮崎県串間市の副市長が指名競争入札をめぐって不正を働いたとして、官製談合防止法違反などの疑いで逮捕された。指名にあたって特定の業者を恣意的に選定するなどして入札を妨害した疑いだという。以下、朝日新聞の12月19日の記事(「不正入札、常態化か 「あまりにも強引」 串間・官製談合、副市長ら逮捕」)より。

ある地元業者は「『悪代官』だ。子飼いの業者以外には露骨な嫌がらせをしてきた。あまりにも強引で見え見えなことをしてきたので、いつか逮捕されると思っていた」と話す。

同記事によると、この副市長は「市職員として課長まで務めた後に市議を6期務め、2020年に副市長に就いた」という。また、「市議時代から支援する業者が最低制限価格ぎりぎりで落札するなど、地元では一部の「取り巻き」業者に入札情報が漏れる癒着がささやかれてきた」という。

串間市役所 Wikipediaより

自治体職員から地方議会議員、そして副市長へという、「ステークホルダーを知り尽くした」地位にいるこの人物は、この報道を前提とするならば、「地元では最強」というキャラクターなのだろう。こういった人物にとって「コンプライアンス」などという言葉はもはや暗号の世界なのかもしれない。

入札妨害の事案を眺めてみると、当然といえば当然なのだが、自治体の規模によって不正を働くポジションが変わってくる。本当に小さな自治体の場合、首長が絡むことが多いが、少し大きくなってくると副市長のようなNo.2、No.3のような人物が登場する。もっと大きくなると特別職は出てこない。大きな自治体では、事業数、契約数も多く、個別の契約を特別職が一々関わり切れないからだ。課長、係長クラスがよく出てくる。地方議会議員の場合、当該自治体の行政に(あの手この手で)働きかけることができるので、入札不正には満遍なく顔を出す(もちろん一部ではあるが)。

しばしば新聞記者から取材を受ける。その多くが、入札不正、特に官製談合についてである。そこで聞かされるケースは、「本当に今は令和なのか」と疑いたくなるような前世紀の、それも昭和の中頃のような実態のものが多い。

そこに「悪代官」キャラが登場するのであるが、大抵、「支持者」からは慕われている。中立的な表現でいえば「親分」キャラである。全方位で嫌われている人物は、通常、そういう立場にはならない(「悪代官」であっても「〇〇屋」からすれば頼りになる人物のはずだ)。

いずれにせよ、このタイプの人物は自分と自分の取り巻きのためだけに入札のルールを無視するのだから、処断されて当然である。

悩ましいのが「よかれ」と思ってルールを逸脱するケースである。悪条件の契約でそれに見合う予算はないがその事業をなんとか進めたいとして特定の業者に受注してもらうように働きかけ、その際関連する情報を提供する。これはルール違反である。あるいは無理な契約変更を増額なしに受け入れてくれた見返りに、他の入札において指名で優遇する。これもルール違反である。個々の入札ではその公正さが侵されている。

受注者が無理して競争入札をさせるからどこかに無理が生じてそれを立て直すために、あるいは予算や事務手続といった発注者の都合でルールを逸脱する。だから官製談合が疑われたとき、当局は発注者側の個人的動機、すなわち収賄を狙ってアプローチするが、結構な割合で出てこない。しかし入札妨害というルール違反は成立する。

なんとか事業を計画通り進め、関係者に迷惑をかけたくないという担当者の誠実な思いがルールの逸脱を誘発する。マスコミが取材をすると「あの誠実な副市長が・・・」「課長の悪い評判は聞いたことがない」「仕事熱心で責任感があって・・・」「思いやりがあり仏のような人だった・・・」という声が集まる。

公共入札は「悪」も「仏」も処罰される。個々の手続においてルールの逸脱があるからだ。だから初期設定としての手続の選択が重要なのである。体裁に拘って無理な手続きを選択すれば無理が生じ、手続違反を誘発する。この国が人ではなく法によって規律される以上、手続違反は入札の公正を害すると評価され犯罪を構成する(場合もある)。違反を犯した人物の属性は問わないのである。これがここ四半世紀わが国で強調されてきた「法化社会」であり、「コンプライアンス社会」なのである。

体裁を作るために無理な手続を採用しない。採用した以上、そこから逸脱すれば罪に問われる覚悟を持たなければならない。「うまい具合にやればいい。」そうした意識から抜けられない自治体関係者は今でも少なくないのではないか。