世界で最も有名な「ユダヤ人」の日

「世界で最も有名なユダヤ人」といわれれば、疑いなく、ナザレのイエスだろう。理論物理学者アイシュタインではなく、もちろんイスラエルのネタニヤフ現首相ではない。「イエスはユダヤ人」といわれると驚く面もある。なぜならば、イエスの教えは当時のユダヤ教社会では異端視され、ユダヤ社会ではなく、聖パウロを通じてローマから世界に広がっていったからだ。そのイエスは純粋なユダヤ人だ。そして12月25日はイエスの生誕日として世界各地のキリスト者によって祝われている。

エスの生誕地ベツレヘムの風景(2023年12月23日、バチカンニュースのヴェブサイトから)

生前のイエスと会ったことがない異郷生まれのユダヤ人のパウロはイエスの教えをユダヤ世界から他民族が住む世界に広げていった。その際、例えば、ユダヤ民族が守ってきた割礼を「心の割礼」の重要性を強調することで、イエスの教えからユダヤ教色を薄くし、ユダヤ民族以外の他民族の人々にもイエスの教えが受け入れられるように配慮した。ユダヤ教というローカル色の強い宗教から、世界宗教に発展させていったわけだ。

そのような初期キリスト教の歴史もあって、パウロが広げていったイエスの教えはキリスト教と呼ばれる一方、その創設者イエスはあたかもユダヤ民族に対抗する非ユダヤ人のような印象を与えてきた面がある。ちなみに、イエス自身は自身の教えがユダヤ教のそれを土台としていることを強調し、新しい宗教を創設する意図はなかったといわれる。曰く「私が律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである」(マタイによる福音書5章17節)と語っている。

決定打はパウロが構築していった通称「パウロ神学」が人類の救い主イエスを十字架にかけたのは当時のユダヤ民族だったと主張することで、ユダヤ民族に「イエス殺害民族」の烙印を押して糾弾していったことだ。イエス自身、「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」(マタイによる福音書第23章37節)と嘆いている。パウロ神学は世界に反ユダヤ主義を広げることにもなったわけだ。

事実は、ユダヤ民族が殺したイエスは最初のキリスト者であり、同時に、ユダヤ人だったことだ。しかし、世界宗教に発展していったキリスト教会は自身の出自であるユダヤ民族の伝統、教えから距離を置く必要があったのだ。

ただし、世界に13億人以上の信者を有する世界最大のキリスト教派、ローマ・カトリック教会はユダヤ教徒との和解を進め、ユダヤ民族を「メシア殺害民族」とは呼ばないことを正式に決定した。第2バチカン公会議(1962~65年)後、カトリック教会が宗派を超えた対話を推進させていったからだ。

イエスの生誕の地ベツレヘムには、クリスマスシーズンになると世界から訪れる巡礼者が殺到する。しかし、イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム過激テロ組織ハマスとの間で戦闘が勃発して以来、ヨルダン川西岸に位置する聖地ベツレヘムを訪れる巡礼者は皆無という。

ベツレヘムの教会にはクリスマスの飾りはない。パレスチナ自治区の暫定政府が管轄するベツレヘム市当局は、「殉教者に敬意を表し、ガザの人々との団結を込めて、クリスマスの装飾やお祭り要素をすべて撤去する」と発表したため、各教会もそれに従っているわけだ。世界最古の教会の一つであるキリスト降誕教会の前に、クリスマスツリーは見られないという。

バチカンニュースは、「観光業はほぼ完全に停止状態に陥っている。今年はほとんどのキリスト教巡礼者が外出を控えており、多くの店が閉店している。市当局はクリスマスの飾りを撤去し、教会は大規模なクリスマスパレードを中止している。今年、ベツレヘムの聖夜は静かなままだ」という現地報告を掲載している。

国内総生産の3分の2以上は、クリスマスシーズンにイエスの生誕の地を訪れる世界からの巡礼者が落とす外貨で占められている。今年はほとんどホテルのベッドは空という。多くのレストランや土産物店は閉店。タクシー運転手は国境検問所で客を待っている。ハマスとイスラエルの間の戦争により、現在イスラエルとヨルダン川西岸への渡航警告が出ている。

ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教はアブラハムを「信仰の祖」とする兄弟宗教だ。イスラム過激派のハマスは「ユダヤ民族の壊滅」を目標に掲げ、イスラエルは「ハマスの壊滅」のためにガザ地区で戦闘を進めている。「世界で最も有名なユダヤ人」イエスの生誕日に、長男のユダヤ教と3男のイスラム教の和解というクリスマスプレゼントをもたらすキリスト教(次男)の指導者は出てこないのだろうか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。