指揮権に対応できない小泉法相は速やかに辞任し、後任は民間閣僚任命を

自民党の派閥の政治資金をめぐる問題で、東京地検特捜部は19日、政治資金規正法違反の疑いで強制捜査に乗り出し、安倍派(清和政策研究会)と二階派(志帥会)の事務所を捜索した。

二階派に所属する小泉龍司法務大臣は、

「検事総長への捜査の指揮権を持つことから、今後の捜査に誤解を生じさせたくない」

として、20日、二階派に退会届を提出して受理され、派閥を離脱した。

しかし、政治資金規正法違反の容疑で、二階派も捜査の対象になっている。同派に所属していた小泉氏も、取調べの対象となる可能性を否定することはできない。

派閥を離脱した、ということだけで、小泉氏が法務大臣であることの問題がなくなったと言えるのか。

最大の問題は「法務大臣の指揮権」との関係である。それはどのように位置づけられる権限なのか、検察の捜査・処分とはどのように関係するのか、検察庁法14条の規定を踏まえて考えてみる必要がある。

小泉龍司法務大臣 同大臣HPより

検察組織内部での権限行使をめぐる関係

検察は本来「行政組織」であり、その行政権の行使について、国会に対して、そして最終的には国民に対して責任を負う立場である。検察の権限行使も、基本的には国民の意思に基づくものでなければならない。かかる意味において、国会で選ばれた内閣の一員として、検察を含む法務省という行政組織のトップを務める法務大臣は、まさに検察に対して主権者の代表と位置付けられる立場である。

しかし、一方で、検察が公訴権を独占し、訴追裁量権を持つ制度において、刑事事件に関する判断は実質的に検察に委ねられ、裁判所は、極めて限定的にチェック機能を果たすに過ぎないという日本の刑事司法の実情の下では、検察の判断は、事実上、司法判断に近い。そのため、「司法権」の行使に直結する「検察の権限行使の独立性」が重視され、検察の捜査・処分に対して、内閣の一員である法務大臣が介入することは、極力差し控えるべきとされてきた。

法務大臣と検察官の関係に関しては、検察庁法14条で、

法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個別の事件の捜査・処分については、大臣は個々の検察官を直接指揮監督することはできず、検事総長に対してのみ指揮を行うことができる

とされ、個別の事件に関しては、法務大臣の指揮は、検事総長の指揮監督を通してのみ、部下の検察官の捜査・処分に反映させることができることになっている。

同条の規定によって「検察の捜査・処分の独立性」と、内閣の一員として主権者たる国民に責任を負う法務大臣の権限とを調整している。

その「指揮権」の行使し得る範囲をどのように考えるかは極めて重要な問題であるが、この点は、これまで、検察と政治の関係に関連して「聖域」のように扱われ、ほとんど議論されることはなく、指揮権の行使を差し控えることだけが法務大臣の責務であるように考えられてきた。

法務大臣の指揮権に対する誤謬

そのような「法務大臣の指揮権」に対する世の中の認識の原点となったのが、1954年の造船疑獄での犬養健法務大臣の指揮権発動だった。

佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を差し控えるよう犬養法務大臣が指揮権を発動したことで、当時の吉田茂首相の自由党政権に対する世論の批判が急激に高まり、首相退陣に追い込まれることとなった。政治的圧力によって「検察の正義」の行く手が阻まれたように世の中に認識され、「検察の正義」は神聖不可侵のもので、外部からの圧力・介入は断固排除すべきという、戦前の「統帥権干犯」のような考え方につながった。

それ以降、法務大臣の指揮権は、検察庁法に規定されていても、実際に行使することは許されない「封印されたもの」のように理解されることとなった。

しかし、そこには重大な誤謬がある。法務省と検察との関係からすると、法務大臣の指揮権は、決して「封印されたもの」ではない。

実際には、法務省刑事局を中心とする官僚システムは、検察の捜査・処分について、法令解釈上の問題、同種事案の捜査・処分との比較など、様々な面から指導・助言を行っている。その根拠は検察庁法14条本文であり、その一般的指揮権に基づいて、法務省から検察の現場に対して事件処理の一般方針や刑事事件の関係法令の解釈が示される。それに加え、個別の事件についても、一定の範囲の重大・特殊事件については、「三長官(法務大臣、検事総長、検事長)報告」と称して、法務大臣を宛先として法務省への報告が行われる。これは同条但し書による個別の捜査・処分についての検事総長を通しての指揮権を背景にしている。

法務大臣は、重大事件について検察から報告を受ける立場

つまり、検察庁法14条の「法務大臣の指揮権」というのは、検察と法務省との関係に関する規定であり、法務省は、検察官の権限行使について報告を受け、監督する立場にある。

法務省のトップである法務大臣は、検察という行政組織の権限行使に影響を及ぼし得る立場であり、とりわけ一定の範囲の特異・重大事件については、「三長官報告」が行われるので、事件の内容・捜査の方針等についても知り得る立場である。そして、その報告に基づいて14条但し書きの検事総長に対する指揮を行うことも可能なのである。

今回の政治資金パーティー裏金問題も、当然、特異・重大事件であり、遅くとも安倍派・二階派の事務所に対する強制捜査着手までには「三長官報告」が行われているはずである。

つまり、法務大臣として、「三長官報告」を受ける立場にある小泉氏は、それまであまり報じられていなかった二階派が、安倍派とともに強制捜査の対象とされた理由、基本的な捜査方針等についても知り得る立場にある。

このような立場にある小泉氏が、二階派も捜査の対象となっている現状において法務大臣の職に就いていることには、問題があると言わざるを得ない。

法務大臣が指揮権を「発動」すべき事態もあり得る

日常的に行われている法務大臣の指揮権を背景にした法務省の検察に対する対応とは別に、法務大臣自身が、自らの責任において、明示的に14条但し書きの個別の事件の捜査・処分についての指揮権を行使することがあり得る。それが実際に行われたのが、造船疑獄における法務大臣の指揮権の行使であり、通常、「指揮権発動」というのは、このことを指している。

検察庁法上は、指揮権の行使の範囲についての制約はないから、どのような瑣末な事件でも、法務大臣が関心を持てば、検事総長を通じて捜査・処分に介入することは可能である。しかし、一般的な犯罪に対しては、証拠を収集・評価して事実を認定し、情状に応じた処罰を求めるだけで足りる。そういう意味では、ほとんどの刑事事件の捜査・処分については、法務大臣が介入する必要はないし、介入することは適切ではない。敢えて介入した場合には、政治的意図による不当な干渉だと批判されることになる。

しかし、例外的に、検察組織内部の決定だけに委ねておくことが適切ではない場合に、法務大臣が指揮権の行使について検討し判断することが必要とされることもある。

外交上の判断と法務大臣の指揮権

「法務大臣が指揮権の発動を検討すべき場合」、というのは刑事事件の捜査・処分について、検察として判断を行うことが適切ではない場合、その責任を負えない場合である。そのような事件については、法務大臣に報告して、その判断を求めることが必要となる。

その典型が、外交上の判断が必要になる事件に対する捜査・処分である。

事件が外交問題に密接に関連し、捜査・処分によって外交上の影響が生じる場合、検察が、外交上の影響をも含めて判断して捜査・処分を決定することは適切ではない。その判断が適切ではなかった場合の責任を検察が負うことはできないからである。検察には外交の専門家はいないし、外交関係に関する情報もない。外交上の判断は、外務省を所管官庁として、内閣が国民に対して責任を持って行うべきであり、個別事件の捜査・処分においてそのような外交上の判断が必要な場合には、内閣の一員である法務大臣が総理大臣との協議の上で、検察に対して指揮を行うことが必要となる。

このような場合には、検察の側で、外交上の判断に関連する事件と判断した段階で法務大臣に報告し、その指揮を仰ぐべきである。捜査・処分に関して外交上の判断が必要な刑事事件というのは、検察が外部の介入・干渉を受けることなく独立して判断すべきという「検察の組織の独立性の枠組み」だけで対応することになじまない事例の典型である。

尖閣沖公務執行妨害事件での船長釈放と法務大臣の指揮権

このような理由で指揮権を発動すべきであった事案として、2010年9月に起きた尖閣列島沖での中国船の公務執行妨害事件がある。

中国船船長の釈放を決定した際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮」が釈放の理由の一つであることを明らかにした。この事件での船長の釈放という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認めたのである。

刑訴法248条で

犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる

とされ、検察官には訴追裁量権が与えられている。しかし、ここで検察官が考慮できるのは、当該刑事事件の情状や犯罪後の更生の可能性に関連する事情であり、外交上の配慮は、248条の訴追裁量権で考慮すべき事項に含まれるとは考えられない。

国の行政組織の役割分担と責任の所在という観点から考えたとき、外交問題は外務省が所管し、その最終的責任を負うのは総理大臣である。検察が外交上の判断を行ったとすれば、権限を逸脱したものである。

しかし、検察が船長釈放について外交関係に配慮したかのような説明を行ったことに対して、当時の仙谷由人官房長官は「了とする」と述べた。そして、「官邸側の意向を受けて検察が釈放を決定したのではないか」との疑いの指摘に対しても、外交関係への配慮も含めてすべて検察の責任において釈放の判断が行われたように説明した。

外交上の判断の責任を、犯罪の成否や情状評価等の処罰の必要性の判断という刑事司法上の判断を行う権限しか有しない検察に押し付けようとするのは許されないことである。

かかる意味において、この中国船船長釈放問題については、検察が内閣側に政治的に利用された面がある。しかし、一方で、このように法務大臣の指揮権によらなければならない典型事例においても、検察官の訴追裁量権の枠内で判断することを是とするような検察内部の考え方、そして、それを支持する世の中の論調があり、その背景には、前述した造船疑獄での法務大臣の「指揮権発動」に対する誤解があるのである。

検察不祥事への対応と法務大臣の指揮

問題の性格上、検察内部だけで判断するのが適切ではなく、法務大臣が指揮権に基づく介入を積極的に行うことが求められる場合もある。その典型が、検察官の職務上の犯罪が検察の組織自体の不祥事に発展した場合である。

検察庁法14条が定めているのは、「第四条及び第六条に規定する検察官の事務」つまり、公訴と捜査についてであり、庶務・会計等の検察行政事務については、一般的な組織法上の原則による。また、検察官も行政組織としての法務省の職員であるから、その組織のトップである法務大臣が検察官に対して人事上の管理監督を行うべき立場にあることは言うまでもない。

検察官による刑事事件が発生した場合、人事管理権者として、その事実を把握し、懲戒処分を行うことについての最終的な責任を負うのは法務大臣である。

定型的に処理可能な一般的な事件の場合には、検察の組織内で「法と証拠に基づいて適切に処理する」ことに委ねれば済むであろう。しかし、検察官の権限行使としての職務に関して重大な犯罪の嫌疑が表面化した場合、他の検察官・上司が共犯者となることもあり、また、背景・原因に組織自体の問題が存在することも考えられる。このような事件を「検察の組織としての独立性の枠組み」で処理することには限界がある。

2010年に表面化した大阪地検の証拠改ざん事件等の不祥事の際、当時の柳田稔法務大臣が検事総長に対して「厳正な対応」を指示した。この対応は14条本文の一般的指揮権によるものとされているが、同条但し書きの指揮権の発動もあり得る事態だったとも考えられる。

そして、2011年に、東京地検特捜部が小沢一郎衆議院議員に対する陸山会事件の捜査の過程で、石川知裕氏(陸山会事件当時の小沢氏の秘書・捜査当時衆議院議員)の取調べ内容に関して特捜部所属の検事が作成して検察審査会に提出した捜査報告書に、事実に反する記載が行われていた問題で、2012年6月27日、最高検察庁は、虚偽有印公文書作成罪で告発されていたT検事、特捜部長(当時)など全員を、「不起訴」とした。

この事件は、検察が組織として決定した小沢一郎氏の不起訴を、東京地検特捜部が、虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、検察審査会を騙してまで「起訴すべき」との議決に誘導した「前代未聞の事件」だった。

これに対して、当時の小川敏夫法務大臣は、不起訴処分の前に、検事総長に対して指揮権を発動して厳正な対応を求めようとしたが、野田佳彦総理大臣に止められたと、退任時の記者会見で明らかにしている。

このような「検察不祥事」に対する対応は、法務大臣の指揮権に基づく対応を検討すべき典型的事例と言うべきであろう。

指揮権と民間法務大臣

法務大臣の指揮権の問題は、造船疑獄での指揮権発動による誤謬から政治的意図に基づく検察の権限行使への介入という側面が強調され、これまで、議論の対象にすらすべきではない「聖域」のように扱われてきた。

しかし、現実には、法務大臣の指揮権は決して「封印」されてはいるわけではなく、法務省と検察との関係において日常的に活用されている。しかも、「検察内部での判断には限界がある特異な事態」において、むしろ、法務大臣の指揮権に基づく判断が求められる場合もあり得る。法務大臣指揮権は、封印しておくだけで済むものではないのである。

今回の政治資金パーティー裏金問題の検察捜査は、自民党を直撃し、岸田政権にも重大なダメージを与えている。まさに、司法権力の一翼を担う検察と政治権力とが激しくぶつかり合っている状況である。そうした中で、今後の状況如何では、検察が所属する法務省のトップである法務大臣が、指揮権の行使も含めて重要な職責を果たすべき事態というのも考えられないわけではない。

例えば、今後、検察捜査が急展開し、捜査が、岸田首相の側近にまで及ぼうとしている状況で、もし、北朝鮮情勢がにわかに緊迫化し、日本にとっても脅威となる事態になったという場合、外交・防衛上の情勢判断と、検察の捜査上の判断のどちらを優先させるべきかは、検察組織だけで判断できることではない。尖閣船長釈放の際と同様に、外交・防衛上の情勢判断については、内閣の責任で行うほかない。

また、今回の事件の検察捜査の過程で、仮に、検察内部で重大な不祥事が発生した、という場合、その不祥事に対してどのような対応を行うのかについては、法務大臣が主体的に判断することが求められる。

さらに、政治情勢に重大な影響を及ぼす検察捜査について、「検察の暴走」という事態も、決してあり得なくはない。今回の政治資金パーティー裏金問題についても、今後の捜査の展開如何では、常設の捜査機関である特捜部の権限行使が、組織の威信等を動機として、歯止めが効かない状況に至ることもあり得る。

その場合、「検察の暴走」を止めることができるのは法務大臣の指揮権しかない。しかし、まさに造船疑獄のときがそうであったように、法務大臣の指揮権が検察の意向に反した形で行使された場合には、「検察捜査への介入」が世論の強い批判を浴び、法務大臣の責任のみならず、内閣自体の責任にも発展することになる。

法務大臣がこのように検察捜査に対して介入するとすれば、「政治家」としての立場というより、法務省のトップとして、法務省の組織としての検討に基づき、客観的中立的な立場で行うものであることが強く求められる。その法務大臣が、捜査の対象となっている派閥、自民党の政治家であった場合、そのような法務大臣が指揮権について判断するのは利益相反そのものである。

そのような場合においても、公正で客観的な判断が可能で、国民が信頼できる人物でなければ、現在の状況において、法務大臣の職責を果たすことはできない。

それは、十分な法律の素養があり、これまで法務・検察とも、政治とも関係が希薄であった民間人が適切だと思われる。

過去に民間人が法務大臣を務めた例としては、リクルート事件の捜査中であった1988年12月に就任した元内閣法制局長官・元最高裁判所判事の高辻正巳氏、ゼネコン汚職事件の捜査の最中の1993年8月に就任した民事法学者の三ケ月章氏の例がある。

「令和のリクルート事件」とも言われている今回の政治資金パーティー裏金問題の捜査の最中に、民間法務大臣が就任することは、ある意味では必然だと言える。

検事総長に対する指揮権は、法務大臣にとって極めて重要な権限である。それを適切に判断することができない小泉氏は、速やかに大臣を辞任し、後任には民間閣僚を任命すべきである。