アジアの安全保障は前途多難:ASEAN各国の微妙な反応(藤谷 昌敏)

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政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏

日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国の首脳らは12月17日、東京都内で開いた特別首脳会議で、法の支配の尊重や海洋を含む安全保障協力の強化、サプライチェーン(供給網)確保など経済安全保障分野の連携拡大を盛り込んだ共同声明を採択した。

岸田首相は会議後の記者発表で「世界が複合的な危機に直面する中、日本は『自由で開かれたインド太平洋』の要であるASEANと共に立ち向かう」と強調し、共同議長のインドネシアのジョコ大統領は「ASEANと日本は信頼できるパートナーだ。地域の平和と安定を維持する」と発言した。

特徴的だったのは、日本とASEANの関係が支援する側と支援される側ではなく、今後の50年のあるべき関係について「共創」という概念を打ち出したことである。事実、マレーシアのアンワル首相は、日本との関係について「互いに補完し合っている」と述べ、支援の受け手だった以前より対等な立場にあるとの認識を強調した。

マレーシアは、マハティール首相時代から日本を手本に開発を進める「ルックイースト政策」を提唱していたが、アンワル首相は、ルックイースト政策について、「有益な部分は継続しつつも、政策を拡大する必要がある」とし、「モデルとする国は中国も「イースト」に含む」との考えを示した。

マレーシアと中国は、南シナ海問題を抱えているにもかかわらず、マレーシアは中国の直接投資に配慮して「全方位外交」の方針を掲げる。

アジアの安全保障体制

そもそも第二次世界大戦終結後、米国は、ソビエト連邦という新たな敵の出現を受けて、共産主義運動がアジア地域に拡散していくことを強く警戒していた。そのため、1951年にフィリピンと米比相互防衛条約を、日本とは日米安全保障条約を締結した後、1953年には、韓国と米韓相互防衛条約を締結して、反共産主義を旗印としたアジアにおける共同防衛体制を築いた。このほか、「太平洋同盟」などが構想されたが、結局、米国を中心とした包括的な集団安全保障体制を構築できなかった。

その主な原因は、米国が日本を含む安全保障体制を構想していたのに対して、オーストラリア、ニュージーランド、韓国などが日本の参加に反対したことである。現在も韓国の反日感情に基づく日韓対立の懸念は、アジアの安全保障全体を不安定化させる大きな要因となっている。

当時、米国が模索した軍事同盟について簡単に解説する。

(1)太平洋同盟(Pacific Pact)
1949年、欧州で北大西洋条約機構(NATO)が成立したのを機に、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領が反共同盟として、太平洋同盟(Pacific Pactもしくは太平洋条約)を提唱し、台湾の中国国民党蒋介石、韓国の李承晩が賛同した。しかし、米英は、この同盟の結成に対して、売名行為的な外交で今後の存続が極めて懐疑的だとして賛同しなかった。

(2)太平洋安全保障条約(ANZUS)
戦後、日本の軍国主義の台頭を恐れたオーストラリア、ニュージーランド、フィリピンは、対日防衛政策が必要と考えていたが、米国は在日米軍が長期的に日本に駐留することで、日本の軍事的台頭を抑えることが可能とし、日本を反共の防波堤とすることにもなると考えていた(瓶の蓋論)。しかし、オーストラリア、ニュージーランドは、米国の考えには同意せず、日本を除いて台湾、韓国の参加を前提とした軍事同盟を米英に提起したが、米国は台湾、韓国の参加に反対した。

その後、1950年の朝鮮戦争を契機にオーストラリアとの同盟を有効と考えた米国が賛同して1951年に太平洋安全保障条約(ANZUS)が締結された。この条約は、米国、オーストラリア、ニュージーランドの3国だけで締結されたが、現在は、ニュージーランドが非核化を進めたため、実質的に米国とオーストラリアとの2国間条約となっている。

(3)東南アジア条約機構(SEATO)
1954年9月、米国、オーストラリア、フランス、英国、ニュージーランド、パキスタン、フィリピン、タイの8カ国で東南アジア条約機構(SEATO)が結成されたが、韓国と中華民国は参加しなかった。参加国の思惑の違いから、ベトナム戦争に介入できないなど軍事同盟として機能することはなく、フランス、パキスタンの相次ぐ離脱もあり、1977年に解散した。

日本のASEANに対する安全保障政策

戦後、日本とASEANの関係は、経済協力に留まり、安全保障面でのつながりは薄かった。だが、最近の中国の経済的軍事的影響力の拡大は著しく、日本も「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想の枠組みを活用して、ASEANとの関係強化に乗り出さざるを得なくなった。そのため日本は、非軍事分野に限定される政府開発援助(ODA)を補完し、友好国に防衛装備品を供与する目的で「政府安全保障能力強化支援(OSA)」を新たに創設した。

まずフィリピンに対して、海洋の警戒体制を強化するため沿岸監視レーダーを無償供与することに合意し、OSAの初適用事例となった。自衛隊とフィリピン軍の往来手続きを簡素化する「円滑化協定」の交渉開始も進め、「準同盟国」のオーストラリアや英国、米国を加えた多国間の合同演習の実現にめどをつけた。

マレーシアに対しては、マレーシアがシーレーンの重要な拠点となっていることに対し、資機材や救難艇を供与することを表明した。

インドネシアに対しては、約90億5,000万円を限度とする無償資金協力として、インドネシアの海上保安機構に大型巡視船1隻を供与することで合意した。インドネシアは、世界3位の面積の排他的経済水域(EEZ)を有しているものの、周辺海域では中国漁船による違法操業などが多発しており、海上保安能力の強化が課題となっていた。

日本は戦後、ODAや企業の投資を通じて東南アジア諸地域の成長を支えてきた。経済成長するASEANは、2030年頃には域内総生産(GDP)で日本を追い抜く見通しで、日本としては成長市場を取り込むために経済・軍事にわたる、より一層の関係構築が必要だ。

だが、東南アジアにおける日本の存在感は低下する一方で、例えばこれまで莫大なODAをつぎ込んできたインドネシアにおいても高速鉄道計画を中国に奪われるような事態が生じた。このジャワ島の高速鉄道は、中国から南シナ海を通り、マラッカ海峡を経てインド洋から欧州大陸へ抜ける一帯一路の重要ルートの一つで、中国としては是が非でも取りたい高速鉄道ルートだった。

この高速鉄道に限らず、ASEANに対する中国の経済進出は極めて用意周到で大規模であり、日本の援助は、これからも取捨選択を見極めた慎重な姿勢が要求されるだろう。

藤谷 昌敏
1954(昭和29)年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程卒、知識科学修士、MOT。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ、サイバーテロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、金沢工業大学客員教授(危機管理論)。主要著書(共著)に『第3世代のサービスイノベーション』(社会評論社)、論文に「我が国に対するインテリジェンス活動にどう対応するのか」(本誌『季報』Vol.78-83に連載)がある。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年12月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。