超高齢化・少子化による労働力減は、移民より盲目的延命を止め国の若返りを

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いよいよ団塊の世代が後期高齢者となり、一方15歳以下の子供は1512万人、超高齢化と少子化はいよいよ深刻になるわが国は、労働力も減少し社会・インフラ維持も危うくなりつつある。

移民受け入れの必要性が言われて久しいが、それは今後重要性はあるもの、それで問題が解決はしないだろう。

移民さえ受け入れれば大丈夫なんとかなる、あるいは移民は好ましくないという安直な発想から脱却し、わが国の「失われた30年」の経済低迷、止まらない超高齢化少子化すなわち「国の老い」について、根本的な対策解決策を今こそ真摯に考える必要がある。

超高齢化+少子化=労働力減、社会の老化

超高齢化が言われて30年余、介護保険制度が創設されて20年余。しかし老人医療費増大が問題視されて30年余、解決するどころか介護費増大まで問題に加わり、年金、老人医療費、介護費の「子孫世代につけ送り世代間リボ払い三点セット」は何も解決の兆しがない。

高齢者医療費は26.4兆円に達し国民医療費の6割にも達する。これは国家税収約60兆円の1/3、消費税または個人所得税分を食い尽くす巨額である。

民主党政権時には「持続可能な年金制度、痛みある社会保障改革」が言われ新聞各社がそれぞれ試案を出し論説したが、もはや改革の気配も消え去り、安倍政権では年金基金を株価つり上げ工作に転用し本来得られたはずの運用益を棄損した。

総務省や内閣府等の人口統計によれば、わが国の総人口は令和元(2019)年10月1日現在1億2,617万人に対し65歳以上人口は3,589万人、高齢化率は28.4%でさらに増大し続けている。今後40%ほどまで高齢化率が上がると予測されているが、労働力人口は2022年に6902万人であり、2017年の6732万人より多少の増加が見られる。これは特に非正規労働者の雇用増加や、定年引上げ、高齢者の就業などが要因と想われる。

しかし生産年齢人口すなわち現役労働者層は減少の一途であり、2020年に7406万人であるが2056年に5000万人を割ると予測され、2020年の7406万人・総人口対59.1%から2040年には5978万人・53.9%と減少していくと予測される。

総人口が減少するのだから生産年齢人口と労働力人口が減少することは自明だが、問題は人口に対してそれを支える労働者の割合が減ることで、社会にどんな問題が起きるかである。

超高齢化少子化、労働力減少が社会インフラと社会保障の維持を困難にする

要介護者を支える介護職の不足は既に20万人以上大幅に不足しているが、この10年ほどで飲食業、土建業それ以前から農林水産業の人材難が如実になっている。

「最近の若い人は汗を流すことを嫌がる」と聞くが、それ以前に若年者が物理的に減少しているから、体力を要する労働に従事できる者が減るのは自明である。そしてこれら「汗を流す仕事」の多くはエッセンシャルワークすなわち社会インフラを維持するために必要な産業業務であり、その従事者が不足することは社会インフラが維持できなくなり市民生活の維持が困難になることを意味する。

すでに老朽化した橋や上下水道の維持や中山間地のインフラ維持が問題になっており、公共インフラを維持せず減少させる「減築」も言われ始めた。ローカル線の廃線も進められようとしているが、過疎化による乗降者数減のみならず保線等のインフラ維持すら困難という側面もあるだろう。実際に東北大震災後の豪雨災害で寸断されたままだった福島県・会津地方の只見線は、福島県が自ら路線整備を行う「上下分離」によりようやく全線復旧した。

さらに2040年問題と言われるように、このままでは現役世代1.5人で1人の高齢者の社会保障を支えることになる。年金収入200万円だとしたら、一人の現役世代がざっと年120万円、プラス医療費年73万円の2/3の46万円(2020/1/4日経)プラス介護費を支出しなければならない計算である。

現役世代の格差拡大しているところで、全産業平均給与400万円強から高齢者のために年150万円以上も「貢ぐ」など、到底持続可能性が無いいや不可能だ。

国家税収60兆円も所得税と消費税がそれぞれ1/3で国家税収は個人に依存している。既に国家予算の半分を国債で将来世代にツケ送りしており、現状のままでは年金、高齢者医療そして介護、社会保障は崩壊する。何としても生産力つまり労働力を確保しなければならない。

日本の労働ニーズ

ハローワークの職業別有効求人倍率で見ると、土建関係が6倍から10倍以上と圧倒的に人手不足である。さらに介護は3倍以上、製造や飲食業が2.5倍以上と人手不足が明確である。これが「汗を流す仕事が嫌がられる」実態である。

一方で一般事務職の求職者は圧倒的に多い。「涼しい・暖かい部屋で楽なデスクワーク」ばかりが求められ、社会インフラを支える業種の働き手が足りない。言い換えると特別な知識技能を必要としない仕事を求める者が多い、日本人が低能化しているのではないか。

外国人はなぜ日本に来るのか

観光ではなく居住や就労を目的として来日滞在する外国人は、何をわが国に求めているのか。

わが国文化への関心からというほかに、特にアジア系外国人の場合、地理的に近く経済大国であり国際的に強い通貨である円で給与を得れば、為替により母国に送金すれば自国で働くよりカネになる。もちろん、アジア随一の先進国であるわが国で学びエリートとなる、さらには母国に技術知識を持ち帰り貢献する、そのような貧困からの脱出から祖国への貢献まで、多彩な動機があるだろう。

またわが国は戦前の大日本帝国時代、植民地化したアジア各国にインフラ整備とともにソウルと台北に帝国大学を設置している。国内旧帝大含めそこで学びその後の欧米植民地からの独立後に指導者となった人は台湾の李 登輝 総統ら少なくない、その憧憬もいまだあろうか。

かつてわが国が敗戦後に国際社会復帰・国連加盟を前に、スリランカのジャヤワルダナ大統領(その後)がわが国を「アジアの兄」と呼び演説した。同じモンゴロイドで欧米列強を敵に回し戦い、また各地にインフラと教育を整備したその国に行けば、そんな想いが未だあるのであろうか。

日本経済の国際的位置づけの衰退

しかし現実には自民党政権特に安倍政権下の「失われた30年」、バブル崩壊後のわが国経済低迷は、超高齢化・少子化が統計上予測されていたにも関わらず年金、老人医療の「痛みある改革」を先送りし続けた結果、どうしようもない経済低迷を招いた。

民心の根底に社会保障不安つまり「老後や万一の場合の不安」があれば、収入は消費より貯蓄に回る。アベノミクスは年金基金を流用してまで株価つり上げ工作に明け暮れ「異次元の金融緩和」で投資や消費を誘導しようとしたものの、逆に貯蓄志向の高まる中では逆効果であり、結果的にさらなる経済低迷を招いた。

その結果、東証株価はニューヨークやロンドン市場特に米国経済に振り回されるだけとなった。そもそも株価が上がっても株式保有しない庶民に恩恵は無い、国債もまた同様である。

今や「悪いインフレ、スタグフレーション」さらにはとめどもない物価上昇にも関わらず給与は上がらない「スクリューフレーション」を起こし、国内消費のさらなる低下と超円安を招いた。

輸出型の大企業のみが利を得たがそれは社内留保され給与として分配されず、食品その他消費財の大半を輸入に頼るわが国はとめどもない物価上昇から逃げられなくなった。実質給与は30年ほとんど上がらないのに物価だけがどんどん上昇しているから、庶民生活は苦しくなる一方である。

そんなわが国は、もはや貧しいが発展途上のアジア諸国の外国人から見て、もはや黄金の国稼げる国ジパングなどではなくなっている。

たった一億人にしか通用しない日本語を学ぶより、世界で通用する英語を学ぶほうが明らかに得策である。実際つい先日、街角でアジア系の若い女性が「生活が苦しいので助けてください」と書いた紙を持ち、お菓子を売っていた。もちろん、倍値で買ったのだが。日本に憧れ来たはいいが、学ぶどころか生きていくのも苦しいとは。

国民の意識とミスマッチ

日本は労働者不足特にエッセンシャルワーカー、ブルーカラー不足である。それでいて外国人労働者受け入れは、政権も国民の意識としても消極的に見える。特定技能者の受け入れ拡大がなされたが、現状2022年で外国人労働者は182万人、日本で働くには厳しい審査があり、家族を帯同することも難しい。そもそも言葉の壁がある。

足りない土建業や農林水産業、介護にどんどんアジアその他途上国から来て働いてほしいと口では言っても、制度も国民の意識も十分対応できているとは言えない。特に必要なのは単純労働者、肉体労働者なのに、国や制度はそれを認めていない。

一方で報道では外国人による犯罪が目立つ。不法滞在者の犯罪などが取り上げられるが、そもそも制度上の問題で、ブラック企業から逃げ出したが他に就業できず犯罪に走る例も少なくないと言われる。一方そのような負の側面ばかり報道され、国民の意識はネガティブである。

倫理的問題

わが国は特に若年層の減少と若者の意識変化から、エッセンシャルワーカー、ブルーカラーが今後慢性的に不足する。だからといって日本人の若者が皆「頭の良い」エリートになるはずなどなく、能力的に肉体労働、単純労働が「適性」である者も一定割合存在する。これはパレートの法則として生物学的普遍的法則として知られている。

知的能力が全体より劣る者が二割は確実に存在し、本来その者は肉体労働、単純労働が適性なのだ。にもかかわらず、日本人がやりたくない肉体労働、単純労働を外国人に押し付けるとしたら、雇用し報酬を支払うとはいえある種の使役、経済的奴隷ではないか。それは先進国として倫理的に許されるのか。許されないだろう。

発展は本当に必要なのか

翻って、人口減少する日本であるが、本当に人口減少そしてGDP減少は悪いことなのか。

一億総なんとか、と色々な言葉が言われるが、日本の人口が一億人を超えたのは戦後のことである。一億総特攻などと言われた戦中は7000万人台だった。わが国国土の2/3ほどの英国の人口が7000万人弱である。国土の7割が山地で平野が少ないわが国の「適正人口」はむしろもっと少ないのではないか。

ときにブータンの国民総幸福量が言われるが、一人一人の幸福さらに生活の安定満足を考えれば、国全体としてのGDPの大きさより、国民一人当たり生産量、収入こそが重要ではないか。その点で日本の一人当たりGDPはバブル後、1990年代からほとんど増加していない。物価が上がっているから、生活は苦しくなるのは自明である。これでよいのか。

さらにウクライナ進攻問題から、食糧安保等が問題視されつつある。わが国の食糧自給率は30%台と先進国では異常に低い。にも拘わらず耕作放棄地は東京都の倍近い面積という。もし核戦争が起こればわが国は真っ先に飢えるとすら危惧されている。であればむしろ人口減は「食い扶持減らす」のだから有利に働く。かつてウサギ小屋と言われた狭小な住宅事情も、近年の空き家増で解決できるはずである。

あくなき高度成長の幻影を追うより、人口減をコントロールしつつ、一人当たりの収入を保てるような政策誘導を行い、特に都市の再編と農地再編農業振興すれば、わが国はもっと豊かな生活ができる国になるのではないか。

働き手はどこに居るか?誰であるべきか?

近年不登校さらに引きこもりが社会問題化している。しかし8050問題と言われるように、親が高齢化し要介護化し死亡するとき、その者たちがどうなるのか、という二次的問題が生じている。言い換えればこれらは親による甘やかしと本人の怠惰の結果である。一部に精神疾患や軽度の知的障害による社会不適応があると考えられるが、そうでないなら甘えである。

内閣府によれば引きこもりは146万人という。彼らは本来「現役労働者」である。一方、彼らが社会適応できなくなった事情を勘案し、農業などで社会復帰を支援する試みも各地に始まっている。1950年台には農林水産業従事者が全労働者の半数だったが、今や一割以下である。産業構造の変化と言えば聞こえは良いが、食糧自給率が下がる一方、引きこもりや適応障害うつ病その他社会問題は増えるばかりだ。オフィスワークだけが仕事、生き方ではない。

あるいは障害者就業が言われて久しいが、特に知的障害者は身体的には大きな問題が無いことも多い。知的障害者に単純作業を割り振り、評価の高いワインを生産するココ・ファーム・ワイナリーや、大手ベーカリーの技術協力とオペレーションの工夫で成功例とされるスワンベーカリーなど、障害者を「戦力化」することもできる。

さらにコロナ禍は若年者減と合わせて飲食宿泊業で深刻な人材不足を招いた。その結果、ロボット活用がすでに始まっている。事務作業を自動化する「ロボット化事務」であるRPAや、パワーアシストできる装着型ロボスーツも開発されてきている。さらにはドローンや遠隔操作技術も発展しつつある。これらわが国が得意とする技術をもってすれば、高齢者が肉体労働に従事したり、快適かつ安全にそれらを行うことも実現できるはずである。

そして労働力減少というが、わが国の人口ピラミッドをよく見ると、現在〜今後の年代人口ピークは70歳前後、ここがボリュームゾーンである。神奈川県大和市は「70歳代を高齢者と言わない都市」を宣言している。医学的にも個人差はあるが前期高齢者の「若返り」は知られている。つまり65歳以上を高齢者として現役から外せばその人口は過大であるが、もし前期高齢者75歳以下を現役とすれば、1000万人近い「労働者」が確保できる。

働き手が相対的に減った原因

筆者は先日「百寿はほんとうにめでたいか」で超高齢者の実態と盲目的延命の是非を問うた。高度成長期の田中政権は昭和48年に老人医療費無料化を行った。以来高齢者は格安、ときにタダ同然で医療を湯水のように利用できた。しかしその結果は今後1000万人を超える要介護者と認知症者である。

わが国の平均寿命は戦後しばらくまで60歳前後であり、70歳を超えたのは昭和40年代である。わずか半世紀前までガンになる暇もボケる暇もなかった、だからガンや認知症は「長生き病」とときに言われる。しかも当時は脳卒中や心筋梗塞の救命手段は限られていたから、それらの発症は「ぽっくり、コロリ死」となる、ゆえに要介護者もほとんど居なかった。老人医療費無料化、バラマキ・シニアポピュリズムが現在の日本の人口構造、社会保障問題を引き起こしたのである。

バラマキ老人医療と社会保障負担が将来に影を落とすなら、それを解決するしかない。すなわち要介護者を発生させる盲目的延命医療の健康保険給付の制限、廃止を成すべきだ。それによりわが国人口構成の若返りができる。そもそも要介護状態では健康な時と同様のQOLなど、介護を利用しても不可能である。盲目的延命により要介護化させることは、QOLを損なう非人間的なことと考えるべきだ。

総括 アジアの兄として教え導く存在へ、尊敬される行いこそ

わが国は古来より渡来人として大陸から優れた知識技術を持つ人を招き、わが国の文化技術として昇華させてきた。そしてかつて西欧の植民地支配を跳ね除け、今の基準では侵略にあたるが「同じアジア人の同胞」としてアジア諸国を奴隷的支配から解放した。

西欧植民地支配と違い我が国は現地にインフラや教育を整備し、奴隷ではなく国民として遇している。だからこそジャヤワルダナ大統領をしてアジアの兄と呼ばれ、台湾その他多くのアジア諸国から今なお慕われつつあるのではないか。

高度成長期の勢いやその後の先進国としての輝きは衰えたとしても、まだまだわが国は先進国である。わが国で同じ肌色の同胞として働き学び知識や技術ノウハウを得て、わが国に定住するなり祖国に帰り貢献するなり、それを援けるのがアジアの兄としての務めではないか。

そのためには現在の外国人労働者についての法体系の見直し再整備が必要だ。学び働いて多くを得て頂く、そのようにせねばならない。そして大東亜共栄圏と言わずとも、アジア諸国内の自由な学習と労働を実現する「アジア教育労働経済圏」を打ち立てるべくリードするなら、これからも「アジアの兄、学ぶべき国」として認められるのではないか。それは先の戦争と施政下時代を知る世代が居ればこそ、その記憶の残る今が最後のチャンスかもしれない。

一方でバラマキシニアポピュリズムによる盲目的延命、そのために若者が苦しみあるいは肉体労働を忌避し、その負担を外国人労働者に投げるような真似は、決してしてはならない、わが国は自らを正し律するべきだ。

最後に。筆者は15歳で高校中退し、飲食業で修行したのち大学進学し看護師となった。そのため今も飲食業界には接点知人が多い。その中で感銘を受けたラーメン界の風雲児と呼ばれた人の言葉を、今の日本人すべてに向けて放ちたい。

頭が悪い奴は体を使え。体が悪い奴は頭を使え。どちらも使わないなら、去れ(元はもっと厳しい言葉であるが意訳)

外国人労働者、移民をどうこう言う前に、我々日本人が汗を流し智慧を絞るべきだ。

【参考文献】