被災地の悲痛な声を無視して現地入りしたれいわ新選組・山本太郎議員が批判されるべき理由

こんにちは、音喜多駿(日本維新の会 参議院議員 / 東京都選出)です。

山本太郎議員が被災地入りしたことに厳しい批判を投稿したところ、多くの反響をいただきました。

その後、被災地に決して小さくない悪影響と負担を与えた彼から発信された情報や提案が、ことごとく政府や県知事・関係者が把握している域を出なかったことに、心から愕然としています。

何やってんだよ、本当に。

熱心な某政党支援者からは激しい罵詈雑言も投げかけられていますが、私自身も2011年から2016年まで約5年間、東日本大震災の復興支援に従事していただけに(団体の副代表を務めたのは2014年まで)、災害対応については一方ならぬ思い入れを持っている。

この件については一歩も引く気はない。

すでに多くの識者から指摘されている通り、山本太郎氏が発信・提案している内容は、既知のものあるいは防災基本方針や防災計画に記載されているものです。

物理的な制約から100%の地域にまで支援が行き届いていないのは事実としても、渋滞を始めとする負担を被災地にかけてまで発信すべき情報であったとは到底いえないものだと断言します。

実際、山本太郎氏が自らレンタカーで被災地入りしながら求めた「車両規制」は1月5日の段階で各党が要請済みのことであり、プッシュ型支援も馳浩県知事がすでに度々行うことを表明しています。

山本太郎氏は現地の声を引きながら、今回の震災を「東日本大震災の次くらいのレベル」と表現しています。

ではどこでボタンを掛け違えているのか、丁寧に紐解いていきたい。

まず大前提として「同じ災害・被災地は2つとしてない」ということです。復旧・復興に共通するノウハウがあるとはいえ、この大前提にまず立たなければいけません。

東日本大震災の時に、行政と連携しないNPOや支援団体が活躍し、行政の手が行き届かない地域にまでカバーしたことは事実です。私たちは当時、そうした行政と連携しないボラ活動をある種の誇りとともに「野良ボランティア」と呼称していました。

しかしそれは、あまりにも被災範囲が広域で、行政だけではとても支援の手が行き渡らないことが明白だったからです。

翻って今回の能登地方の災害は、大きく事情が異なります。被災範囲は深く、そして狭い

能登地方にいけるルートは厳しく限られ、緊急車両を優先するために被災地から「個別のボランティア・支援物資は避けて」と再三の要請が発令されています。

こういう状況下においては、行政と連携しない個別ボランティアは、たまたま一つ地域に刺さることがあったとしても、全体最適を阻害して被災地全体にはマイナスになります。

よって、「現地(のNPO)から要請された」ことは決して免罪符にならず、それが行政・災害対策本部と連携している組織でなければ、個別最適に過ぎない活動に従事していることになりかねません。

「安全圏から文句だけ言うな!」「被災者ひとりひとりに寄り添う政治家こそが本物だ」

というご意見も沢山いただきました。お気持ちとしてはとても理解できます。

しかし、それは命を大事にする政治家であればあるほど、寄り添ってはいけない「お気持ち」です。

被災地に親族や知り合いがいても、自分を殺して要請に従い待機している人たちが大勢いて、私のもとにはそういう人たちからの悲痛な声も沢山届きます。

小さな声を拾う、一隅を照らすのが政治家だとするならば、緊急車両の到着を待つ人々の存在にこそ想像力をはせるべきではないでしょうか。

石川県ではボランティア募集の事前登録が始まり、三連休も続いた不眠不休の救助・復旧活動により、もう少し待てばボランティアの受け入れ体制が整うはずです。

復興支援は長期戦だからこそ、山本太郎議員のような発信力は、ボランティアが不足してきた局面でこそ発揮されるべきものですし、期待したいと思っています。

岸田総理からも激甚災害の指定が表明されました。引き続き政府与党や現地の行政・災害対策本部からの情報に注視しながら、被災地支援に邁進してまいります。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2024年1月8日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。