人口は小手先では増やせない:人口戦略会議『8000万人国家』への違和感

識者で構成する人口戦略会議が「人口ビジョン2100、安定的で、成長力のある『8000万人国家』へ」なるものを岸田首相に手渡したと報じられてます。

現在の予想では2100年の日本の人口は6300万人、それに対してこの提言は8000万人で安定させようというものです。提言は3つの基本課題として「国民の意識の共有」「若者、特に女性の最重視」「世代間の継承、連帯と『共同養育社会』づくり」とあり、7つの定常化戦略と強靭化戦略により5つある「未来選択社会」の実現とのことです。これ読んで何のことだかわかりますか?私にはさっぱりイメージできないです。

総理大臣官邸で人口戦略会議による提言書を受け取る岸田首相 首相官邸HPより

気になったのは未来選択社会の5つのプランである「一人ひとりが豊かで、幸福度が最高水準の社会」「個人と社会の選択が両立する社会」「多様なライフスタイルの選択が可能な社会」「世代間の『継承』と『連帯』を基礎とする社会」「国際社会において存在感と魅力のある国際国家」であります。これらは果たして人口を増やすものなのだろうか、という素朴な疑問があるのです。それぞれの詳細の内容は見ておりませんが、私には場合によっては少子化を加速させる逆提案ではないかという気もするのです。

少子化問題については本ブログでは何度も取り上げてきているので私の考えは皆さんに十分お伝えしてきたと思います。政府などで行う少子化対策は子供を根本的に増やす対策ではなく、子育て対策であって「豊かな未来」という点は満たすのですが、いくら保育所が増え、男性が有休をとりやすくしたとしてもそれ以前の問題である子供を作るかどうかは別問題だと考えております。

大前研一氏が面白いことを直近の著書「日本の論点 2024-2025」で述べています。氏の意図をかなり単純化してまとめると、昔は子供は家族の中の労働力であった。今の子供は親から見て投資対象である、と。

これを聞いてガーンと思う方がどれぐらいいらっしゃるでしょうか?これ、本当にガーンなんのです。私は図星だと考えています。つまり少子化はそんな小手先の話ではなく、人間が子孫を増やさねばならないと思わない限りできる話ではなく、先進国になればなるほど少子化が進むのはデータが示している通りなのであります。

例えば戦国時代、正妻と別に側室を持つ武将が多かったのはなぜか、といえば病や戦いで成人し、家を継ぐ子孫が足りなかったからです。また江戸時代以降も側室を持てたのは武将やお殿様であり、農民は夫婦で田畑を耕し続ける、そしてその手伝いを子供たちがする、という流れでした。

日本の超長期の人口推移を見ると聖徳太子の頃が600万人程度、その後、ずっとその水準が維持され鎌倉幕府の頃はむしろ600万人を割る減少化が起きています。ところが戦国時代に人口は急増し、関ケ原の合戦の頃で1700万人になります。江戸時代、特に1700年ごろから幕末まではさほど増えていません。人口の停滞期にあたるのはたぶん、江戸時代に戦が減り、平和になった故に少子化が進んだ可能性があります。

次の人口急増期は明治維新後であり、約3300万人の人口が2008年のピークの12,800万人まで棒上げするのです。よって今はその反動期ともいえます。

私はこのブログで日本の人口はある程度まで減少した時点で止まるだろう、と申し上げました。たしか、イーロンマスク氏がSNSでこのままでは日本が消滅するという趣旨を述べた際に私の反論として述べたものです。理由は「種の保存の法則」がキックインすると考えるからです。人間版種の保存の法則の典型としてユダヤ人や特定の国家を持たない最大民族、クルド人はよい例だと思います。民族は世界に数千はあるとされます。もちろん、滅亡した民族も数知れず、それは一種の生存競争であったのだろうと察しています。その中でユダヤやクルド系はその中で生き残る力を持っていたわけです。

日本人も同様の生存競争を通じて耐えうる能力を持っていると考えています。但し、超長期の人口推移のチャートを眺めていると株価のチャートと重なるものがあるのです。つまり明治維新以降の人口急増はいくら戦争を間に挟んでいたとはいえ、増えすぎたのだろうというのが一点。もう1つはこの60年ぐらいトレンドとして親は知らずのうちに少子化を選んだのだろうと。理由は家の狭さと教育費であります。

60年代の持ち家ブームは経済振興には良かったのですが、家のサイズがいかんせん狭く、当時は少子化問題など考えなかったことはあるでしょう。子供がいればそれぞれに子供部屋を与えたいのは関の山。ですが、それもかなわず、小さい頃は二段ベッドなり川の字で凌げますが、ある程度の年齢になればそれも無理、よって家のサイズが心理的に子供の数を制限した可能性はあります。

もう一つは受験戦争が70年代以降、熾烈になったことがあります。私だって小学校2年から塾通いでした。当たり前のように塾に通い、受験が近づけば進学塾という高い月謝の塾に通わせてもらったわけで親にすれば相当の資金負担だっただろうと今になって思うのです。これを2人、3人育てるのはある程度のゆとりは必要かと思うのです。大学全入時代が逆に親にプレッシャーをかけるともいえます。昔は中卒でもアリだった、それが高校ぐらいは出て欲しい、そのうちに大学卒は当たり前になれば親の経済負担は大きくなる一方です。

今は子供に対する期待が量より質にシフトしていることが少子化のキーだと考えています。前述の「未来選択社会」の5つの提言が逆効果ではないかと申し上げたのはまさに質の向上ありきなのです。

本件は難しい問題を内包していますが、個人的には少子化はそのペースはともかく、当面は人口が減ることは確実なわけですから人口減の社会に於ける日本の100年計画をどうしたいのか、という大所高所からの見解と対策が必要だろうと考えています。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年1月11日の記事より転載させていただきました。