イスラム教の古傷が再び疼き出した

新年早々(3日)、イラン南東部ケルマン市で2度、大爆発が起き、100人余りが死亡、数百人以上が負傷するというテロ事件が発生した。ケルマン市の爆破テロ事件はイラン革命後、最悪のテロ惨事となった。

イラン当局は事件直後、「明らかにテロ事件」として、事件に関与した組織、個人に対して報復を宣言した。テロ事件直後、イスラム教スンニ派テロ組織「イスラム国」(IS)は犯行声明を発表した。イラン国営IRNA通信によると、7日現在、事件に関与した容疑者32人が逮捕された。

テロ対策で電話会談するロシアのラブロフ外相とイランのアミラブドラヒアン外相(2024年01月10日、イラン国営IRNA通信から)

ケルマン市爆発テロ事件はイスラム過激派テログループの再台頭を告げるものとして、欧米の治安関係者は警戒している。そこでケルマン市テロ事件の背景をもう少し詳細に分析してみたい。

① なぜISは3日にケルマン市で爆発テロを行ったのか。

3日はイラン革命防衛隊(IRG)司令官だったカセム・ソレイマニ将軍が2020年1月、米無人機の攻撃で殺害された命日にあたる。そしてケルマン市は同司令官の出身地だ。ソレイマニ司令官はケルマン市の殉教者墓地に埋葬されている。イラン国営通信IRNAは3日、「イラクの首都近郊で米国の無人機攻撃で暗殺されたカセム・ソレイマニ司令官の追悼式に大勢の人々が出席していた」という。

② なぜISはソレイマニ司令官の命日にテロを実行したのか。

答えは明確だ。同司令官はシリア内戦時、シリア内で暗躍するIS退治を指導した中心人物だったからだ。そのうえ、同司令官はイラン国民の間では英雄視されてきた軍人だ。その命日の追悼式で爆発テロを実施することで、シーア派イランへの報復テロという意味合いも出てくるわけだ。

③ ISは犯行を声明したが、ISはシリア、イラクでの拠点を失い後退してきた。

ISはイランの大半を占めるシーア派住民をイスラム教からの背教者とみなし、彼らを軽蔑している。今回テロを実行したのは、隣国のアフガニスタンで活動しており、パキスタン近くのホラサンに拠点を置いている、通称「イスラム国ホラサン州」(ISKP)だ。

英国のキングス・カレッジ・ロンドン(KCL)で教鞭を取るテロ問題専門家のペーター・ノイマン教授は、「ISKPは現在最も活発なテログループであり、その起源はアフガニスタンで、最も過激で暴力的なジハーディスト(イスラム聖戦主義者)武装集団だ。おそらく現在、西側諸国で大規模なテロ攻撃を実行できる唯一のIS分派だ」と説明している。ISKPにはアフガンやタジキスタン、ウズベキスタンなどからリクルートされたジハーディストたちが集まっている。

④ イスラエルとパレスチナ自治区を実効支配しているイスラム過激テロ組織ハマスとの戦闘はアラブ・イスラム国で反イスラエル、反欧米の動きが活発化している。ケルマン市の爆発テロにもその影響が見られるか。

ハマスの昨年10月7日のユダヤ人虐殺テロ事件は、2001年の米同時多発テロ事件のように大きな影響をアラブ圏・イスラム圏に投じていることは間違いないが、ただし、ケルマン市テロ事件はあくまでもソレイマニ司令官への報復テロと受け取るべきだ。明確な点は、「10.7テロ事件」は「9.11米多発テロ事件」と同じ大きな出来事である点は間違いない。

⑤ ISKP主導のテロ事件が今後、世界的に多発する危険性は考えられるか。

2015年、16年、欧州には100万人余りの中東、アフリカからイスラム系難民が殺到した。その中にはイスラム過激派テロリストも潜入していた。現在はその数は少ない一方、欧米社会内で過激化するイスラム系難民、移民が増えてきている。その意味で、ローンウルフ型テロ事件が増えることが予想される。それだけにテロを未然に防止することが難しくなってきている。

⑥ イスラム教は大きくはスンニ派とシーア派に分かれているが、ケルマンのテロ事件はスンニ派過激テロ組織のISによるシーア派の盟主イランに対する攻撃という構図が浮かび上がる。

イスラム教過激派対ユダヤ教、キリスト教の対立と共に、イスラム教内のスンニ派とシーア派の対立が激化する兆候が見える。イスラム教徒は「スンニ派とシーア派の対立はイスラム教とユダヤ教との対立より激しい」と指摘しているほどだ。

イスラエルのガザ戦争でイランは、ハマスを支援し、アラブ・イスラム圏を反イスラエル包囲網へと集結させようと腐心している。その矢先にスンニ派過激テロ組織のISのケルマン市爆破テロ事件が生じたわけだ。シーア派の盟主イランの聖職者政権は大きな戦略的痛手を負った。スンニ派対シーア派の対立といったイスラム教の古傷が再び疼き出してきたのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年1月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。