英米合作映画「ナポレオン」話題沸騰:リドリー・スコット英監督とは

歴史を題材にしたテレビ・ドラマや映画がこれまでにたくさん作られてきたが、「どこまでが史実でどこからがフィクションなのか」という疑問を持つ人も多いのではないだろうか。

昨年末から公開された英米合作の映画「ナポレオン」(Napoleon)もそんな作品の一つとなった。

19世紀初頭にフランスの皇帝になったナポレオン・ボナパルト(1769~1821年)の伝記映画である。歴史学者たちが映画「ナポレオン」と史実との違いを指摘するとき、リドリー・スコット監督はこう言い返すそうだ。「あなたはそこにいたんですか? いなかった? だったら黙ってなさいよ」。

ナポレオン時代に生きた人は確かにいないが、ここまでズバリと言う映画人は少ない。

映画ナポレオン 公式サイトより

スコット監督とは

スコット監督は1937年11月、英北東部タイン・アンド・ウェアのサウス・シールズ生まれで、86歳。

SF小説好きの少年として育ち、ウェスト・ハートプール美術大学やロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アーツでグラフィック・デザイン、絵画、舞台美術を学び、卒業後は公共サービス放送のBBCでセット・デザイナーの見習いとして働いた。数年後、弟トニーとともに映画やテレビのコマーシャル制作会社を立ち上げた。

多数のコマーシャルを作ったスコットが初めて映画を監督したのは、英作家ジョゼフ・コンラッドの小説を映像化した「デュエリスト/決闘者」(1977年)。1800年代のフランスを舞台にし、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。その2年後に公開されたSF映画「エイリアン」で世界的に著名な映画監督に。筆者が初めて観たスコットの映画がこれである。

現在までの映画作品をたどってみると、スコットが監督したとは気づかないままに観たいくつものヒット作があった。ハリソン・フォードが主演するSFドラマ「ブレードランナー」(82年)、日本のやくざを描いた「ブラック・レイン」(89年)、女性二人のロード・ムービー「テルマ&ルイーズ」(91年)、米アカデミー作品賞を受賞した「グラディエーター」(2000年)、近年では「ゲティ家の身代金」(17年)など。18年には英アカデミー賞のフェローシップ賞を贈られている。この賞はテレビや映画界へ大きな貢献をしたクリエイターに与えられものだ。

その映像美

かつてデザインやアートを勉強したスコット監督の作品の特徴の一つは、その映像の素晴らしさといわれている。「エイリアン」に出てくる未知の生物の気味悪さ、「ブレードランナー」では懐かしさと奇怪さが入り混じった近未来社会の映像美が表現されていて、舌を巻いた方も多いのではないだろうか。

最新作では、ナポレオンが指揮を執った数々の戦いを、観客席にもその躍動が伝わるようにドラマチックに再現している。これがナポレオンと妻ジョゼフィーヌの愛憎劇とともに大きな見どころになっている。

フランスでは

英国の複数の新聞はこの映画に高い評価を与えたが、フランスではどうだったのか?

仏雑誌「GQ」は「非常に雑で、不自然で、予期せぬところで笑ってしまう作品」と評し、ナポレオンの伝記を書いたパトリス・ジェニフィは、映画が「非常に反フランス、非常に親英国の姿勢で、歴史を書き換えた」と批判している。

フランスの話であっても映画で使用される言語はほとんどが英語で、主人公を演じたのは米俳優ホアキン・フェニックス、その妻ジョゼフィーヌは英俳優ヴァネッサ・カーヴィー。フランスの皇帝だった人物が米国アクセントの英語で話し、フランスの歴史的物語が英語で語られることも、フランス側から見ると噴飯物なのかもしれない。

ナポレオンを完璧な英雄ではなく、時には弱々しく、妻の不貞に傷つく一人の人間として描いた約2時間40分の映画を通して、何世紀にもわたっていがみ合い、戦争をしてきた英仏の歴史を紐解いてみるのも面白いかもしれない。

キーワード:ナポレオン(Napoleon)
フルネームはナポレオン・ボナパルト。1769年、仏領コルシカ島に生まれた軍人、革命家、第一帝政の皇帝。ロシア遠征やロシア・プロイセン・オーストリア連合軍との戦争に敗れ、1814年退位。イタリア領エルベ島に送られた。翌年パリに戻り一時皇帝に復帰するが、ワーテルローの戦いで敗退し、英領ヘレナ島に流された。1821年死去。

映画の最後の方に出てくる、ヘレナ島での少女たちとの会話も見逃せない。

(「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラムに補足しました。)


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2024年1月11日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。