薪ストーブ:つくる責任、つかう責任

青山 翠

pkucera/iStock

薪ストーブは周辺住民にとっては迷惑ツールである。

近隣に迷惑をかけて成り立つエコなど、傲慢な自己満足としか言えない。

限りなく個人的で特殊な趣味の行為である。

多くの人が、これらを規制する法や条例が無いために、お世辞にも善良とは言えない薪ストーブユーザーによる「煤煙臭気による一方的、連続的な暴力」に困り果て、声も上げられず苦しめられているのが現実だ。

薪ストーブは最悪の近所迷惑ツール

最も簡素な燃焼機器である薪ストーブは必ず煤煙と臭気が発生する。

自覚が無いというより、法や条例が無いからという確信犯である。これらを住宅地で使用する者は、自分さえよければ、他人のことなんかどうでもよい、そう考えていることの何よりの証明と言える。

しかし、煤煙悪臭さえ出さなければ、何の問題もない。

無害というなら、くさくないというなら、大気汚染をしていないというなら、薪ストーブの煙を、煙突を通じ外に出す必要は無い。

それこそ、薪ストーブ業界関係者や使用者たちの詭弁たる常套句、「火鉢と同じ、規制はない」というなら、火鉢や囲炉裏のように、家の中だけで楽しむべきだろう。

無害で臭くないのだ、というなら、薪ストーブを使う側が、煙の無害性を証明するために、外に排出されるはずであった煙を自身の家の中に排出せよ。

客観的に、無害が身をもって立派に証明できるだろうと思う。

薪ストーブを使う者が自宅の室内に出した煙の中で何か月も健康に過ごせたら、この(詭弁たる)無害証明を、身をもって示したことになる。身をもってこれを実験する勇者は未だに存在しないようだが。

無害性、迷惑でない、くさくない、個人の自由な権利だと強硬に言い張るのなら、排出する煤煙臭気が周辺住民の生活に及ぼす悪影響や被害にまでもきちんと全責任を持つべきである。

薪ストーブを使う側の責任においてぜひとも「無害証明」の実証実験をお願いしたいものだ。

これだけ煤煙を排出し「無害で迷惑でない」とはいかに?

「つくる責任 つかう責任」

薪ストーブ関連業者や使用者は、SDGsには何と書かれているのか確認せよ。

筆者は薪ストーブ製造販売設置者、使用者に対し、「つくる責任」「つかう責任」を問う。もちろんそれを後先を考えずに推進する政府や自治体にも同様である。

それを推奨し、製造し、売り、使用することによって発生した全ての害悪の責も彼らが負うべきであろう。

現状は酷いもので、筆者や他の薪ストーブ煙害被害者からみれば「悪徳業者」としか言えない製造販売設置を行う薪ストーブ業者が横行し(今、儲かりさえすればよい)ブームに乗りデメリットを示さず宣伝販売を行っている、その結果が現状ではなかろうか。

「つくる責任 つかう責任」とは重い言葉である。薪ストーブに限定すると、通常使用において当然に煤煙悪臭を排出することが充分に予見可能な製品を製造販売する「つくる」者の責任と、それを「つかう」者が、通常使用時において相当の煤煙悪臭を出すことを承知で使用することに対する、有害物質の大気中への排出についての「全責任」を問われるべきと筆者は考える。

現に法規制が存在しないからという理由だけで、製造販売と使用の自由の権利だけが独り歩きをしている現状、つくる者、つかう者の双方が「やりたい放題」であり、排出される煤煙悪臭、有害物質に対して一切の責任を負わないというのは、大きな疑問である。

葉山町役場環境課の見解を流用すれば、トラブルが多いのは容易に予見がつくような薪ストーブを、周辺に迷惑が及ぶことを知りながら施主の求めに応じて販売施工する薪ストーブ業者は「善良ではない」ということである。

もちろん施主も「善良とは言えない。」

彼ら加害者たちは何れ、社会的制裁を受け、大きな代償を負担することになるだろう。


編集部より:この記事は青山翠氏のブログ「湘南に、きれいな青空を返して!」2023年1月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「湘南に、きれいな青空を返して!」をご覧ください。