「この仔が死ぬまで死ねないの」
犬を散歩させている高齢のご婦人が、冗談交じりにこう話す。彼女はまだまだ元気そう。それでも、自分になにかあったとき、愛犬がどうなるかが心配だという。引き取ってくれる家族はいない。保健所が引き取ると、殺処分になるかもしれない。自分の死後、信頼できる里親に譲渡できる仕組みはないか。
ある。保険だ。一部の保険はこのようなニーズを満たしつつある。
SBIプリズム少額短期保険のペット保険「プリズムペット」は、飼い主が死亡したときなどに、ペット保護施設に譲り渡す費用を支払う「飼育費用補償」サービスを提供している(※1)。譲渡先として「ペットの里」などの提携保護施設のほか、自身で探した保護施設を指定することもできる。
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ペット保険・少額短期保険とは
ペット保険は、2006年施行の「保険業法等の一部を改正する法律」により誕生した「少額短期保険」の一種である。「少額短期保険」は、その名の通り、補償額は最大で1,000万円と少なく、保険期間も最長で2年と短い。
特徴は、細かなニーズに対応したユニークでシンプルな商品が多いことだ。
たとえば、職場のハラスメント被害に備える「ハラスメント対応弁護士保険」。電車の痴漢冤罪に備える「痴漢冤罪弁護士費用保険」。子どもが学校でいじめられたときの示談交渉や損害賠償請求に備える「いじめ保険(弁護士保険)」など。ライフステージ毎のリスクに対応する様々な商品が提供されている。
その中でも、もっとも勢いがあるのが「ペット保険」である。
拡大するペット保険市場
ペットは――当然だが――公的保険がないため、治療費はすべて「自己負担」となる。ペット保険は、その負担額を軽減するためのものだ。動物病院で支払った診療費のうち一部(多くは5割または7割)を保険事業者が支払う。万一に備えるというよりも、風邪や腹痛など日常的な診療に使う人間の健康保険(社会保険)に近い。
よって、利用額は少ないが、利用頻度は高くなる。保険収入が少ないわりに手間がかかるため、保険事業者としては、あまり歓迎できない商品といえる。にもかかわらず、参入が相次ぐのは、ペット保険市場が急拡大しているからだ。
市場拡大の要因は、ペットの頭数が多いこと、ペットに対する価値観が変化したこと、そしてペットが長寿命化したことである。
23年時点で、ペットとして飼われている犬と猫の頭数は1,591万頭。日本の15歳未満人口の1,428万人を大きく上回る(※)。
※頭数:2023年ペットフード協会調べ 15歳未満人口:2023年7月確定値 総務省統計局
番犬などの実利的な飼育から愛玩動物へ、愛玩動物から家族の一員へと、ペットに対する価値観は大きく変わった。
寿命も大幅に伸びている。犬は20年前の12歳から14.6歳へ。猫は10歳から15.8歳へと、急伸している(※2)。長寿命化に伴い病気になる可能性も高まる。
大事な家族の病気に備えたい。そんなニーズに応えたペット保険の加入率は、ここ10年で10%以上増加し、21年時点では17%となっている。医療保険の89%、自動車保険の88%に比べ、まだまだ伸びしろがある。市場規模は22年時点で1,179億円。北欧なみの加入率(50%)まで伸びれば、2031年には3,500億円まで拡大するという予測もある。
拡大する市場を狙い、保険会社以外の企業の参入も相次ぐ。23年11月に販売を開始したアマゾンの「わんにゃん安心保険」(※)は、業界最安値クラスの価格と、わかりやすい補償内容が好評だ。今後、競争激化に伴い、さらに飼い主に寄り添ったサービスが求められるようになるだろう。
※リトルファミリー少額短期保険と共同開発
生命保険信託による対応
冒頭のような高齢者のペット問題解決の選択肢として、生命保険信託を活用した「ペット信託」がある。
生命保険信託とは、信託銀行等が死亡保険金の受取人となり、契約者が生前に定めた親族等に、あらかじめ決められた方法で、金銭を支払うものだ。
たとえば、小さな子どもが、親を亡くし受取人となった場合、自分では死亡保険金を管理できない。そこで、あらかじめ「毎月10万円を、子どもの世話をする人(親族など)の口座に振り込む」と決めておく。世話をする人の横領や、横領に伴う育児放棄(※)などを防ぐことができる。
※ 06年に、後見人となった親族が、子どもを赤ちゃんポストに預け、保険金6千万円を着服し失踪する事件が起こっている。
これを、ペットに活用したのが(公益認定法人等主体の)「ペット信託」である。
ペットをサポートする公益認定法人等が、飼い主の死亡保険金を(信託銀行等を介して)受け取り、残されたペットの飼育費用に充てる。ペットは、自法人の施設で飼育するか、外部施設や里親に譲渡する。
上述のペット「保険」は、飼い主の家族など相続人が、保護施設を探し、引き取り交渉をする必要がある。一方、「ペット信託」にはその必要がない。相続人の負担が軽減されるというメリットがある。
中には、飼い主の突然死などにより、ペットが長期間放置されてしまうことを防ぐ「安否確認サービス」や、譲渡先の飼育状態を観察し、飼育不能と判断した場合は、別の保護施設へ移住させるなど、より踏み込んだサービスを提供するものも登場している。
ペット信託は個人でも利用できるが、手続きが煩雑かつ費用が高額だ。今後は、公益認定法人等が主体となった「ペット信託」が増加すると思われる。
認知度向上が課題
令和3年12月に京都府が実施した「高齢者のペットの飼養実態アンケート」によると、ペット信託や保険の制度を知る高齢者は37.5%に留まった。まだまだ認知度が低い。一方、保健所では、高齢者のペットを引き取るケースが目立ってきているという。
保険・信託とも、飼い主が亡くなった後では対応できない。ペット遺棄や殺処分を減らすためには、これらの認知度を高め、事前に対策してもらう必要があるだろう。
Artur Pawlak/Pixabay
■
【注釈】
※1 上限50万円。犬猫いつでもパックのみ
※2
20年前: 2002年8月~2003年7月 東京農工大学・林谷秀樹准教授調査
2023年: 一般社団法人ペットフード協会 令和5年(2023年)全国犬猫飼育実態調査
【参考】
拡大を続けるペット保険市場の動向|デロイト トーマツ コンサルティング合同会社