農民一揆といえば、封建社会で農民が領主や地主に生活の改善を訴えて騒動を起こすことを意味した。日本史で学んだ代表的な農民一揆といえば、1684年の「貞享の一揆」が思い出されるだろう。年貢の軽減を訴えて農民が立ち上がった大規模な騒動だった。ところが、21世紀のいま、欧州各地で農家たちが政府の農業政策の改善などを訴えて抗議デモを行っている。
ドイツではここ数週間、農業関係者たちがトラクターに乗って路上で抗議行進をし、ショルツ連立政権の農業政策の改善、ディーゼル燃料に対する政府の補助金削減やCO2税など増税の撤回などを訴えてきた。首都ベルリンでは18日、農業関係者数千人が市中心部をトラクターで占拠した。興味深い点は、農民たちの路上抗議デモに対して、一般国民は反対より支持が多いという世論調査が出ていることだ。一般国民はエネルギー価格の高騰、物価高、住居費の急騰などで苦しんでいることもあって、農民たちの苦情に対しても理解しているわけだ。それとは対照的に、過激な環境保護グループ「最後の世代」による路上封鎖などの行動に対しては、国民からは圧倒的に反対の声が強い。
財政危機にあるショルツ政権は2024年の予算案をまとめたが、農業関係者への政府補助金は削減されていることが明らかになり、抗議デモ参加者は強く反発し、ショルツ政権の退陣を訴えている。
隣国オーストリアでも極右政党自由党(FPO)が主導して農民たちの抗議デモがウィーンで19日、首相府官邸前で行われたばかりだ。オーストリアの場合、農業政策は与党の保守政党国民党がこれまで主導してきた経緯がある。すなわち、国民党にとって農業関係者は貴重な支持基盤なのだ。FPOが突然、ドイツに倣って農家たちを動員した背景には次期総選挙を計算にした政治的な狙いがあるわけだ。
一方、欧州の農業国でもあるフランスでも農業関係者たちが政府の農業政策に抗議してきた。フランス南部で農業関係者が複数の高速道路や幹線道路を封鎖して政府の農業政策に抗議している。仏紙西フランスとTV局フランス・ブルーの報道によると、19日から始まったトゥールーズ広域圏の高速道路A20、A62、A64の封鎖は続いている。また、トラクターやわら俵でいくつかの国道の通行が封鎖されている。
農業関係者たちはまた、牛に発生した動物間出血性疾患(EHD)への政府の援助を主張し、ガブリエル・アタル新首相が彼らの意見に耳を傾けるまで抗議活動を継続するという強硬姿勢を見せている。干ばつが続く地域では農業用ディーゼルの価格、一般的なエネルギーコスト、農家の収入減などがテーマとなっている。
オーストリア国営放送は19日、「抗議活動の現場には簡易トイレ、発電機、食糧が供給され、封鎖がしばらく続く可能性があることが示唆された。農業関係者たちは高速道路の封鎖地点で夜を過ごした」と、フランスの農民一揆の状況をルポしている。
欧州で農業関係者たちの抗議デモが広がってきたことに対し、オーストリア日刊紙スタンダードは19日、「農牧業者は政府からの補助金で潤い、動物たちを虐待しているという風に見られることに関係者は強い不満を感じると共に、若い世代には親代々から継承した農業を継続することを拒否する傾向が出てきている」と記し、問題は単に政府補助金の削減といった経済的な理由だけではないという。
ウクライナは世界の穀倉地だ。そこで生産される小麦などの穀物は世界中で多くの人々の主食となってきた。それがロシア軍のウクライナ侵攻以来、ロシア側がウクライナの穀倉地帯を攻撃し、湾岸都市を封鎖して食糧の輸出を制止してきた。ロシアのプーチン大統領がウクライナ産食糧を武器にしてウクライナ政府に圧力を行使した時、アフリカやアジアなどウクライナ産穀物に依存している国はロシアの政策を批判したのは当然だった(「『食糧』を武器に利用するロシアのテロ」2022年6月3日参考)。
その一方、ロシアとの戦争勃発後、一貫してウクライナを支持してきたポーランドで農民たちがウクライナ産の安価な穀物が市場に出回ることに不満を爆発させたため、ポーランド政府はウクライナ側に苦情を伝達したことはまだ記憶に新しい。
安全保障問題と言えば、多くは軍事的な危機管理の観点から理解するが、国民が日々摂る食糧の確保も安全保障問題だ。世界的に人口増加による食糧需要の増大、気候変動による生産減少など、国内外の様々な要因によって食糧供給は影響を受けるから、国は常に食糧の安定供給に心を配らなくてはならない。国民の貴重な食糧を生産する農業関係者たちの抗議デモの拡大は、国の安全を脅かす深刻な問題と言わざるを得ない。それゆえに、政府と農業関係者の間で建設的な話し合いが行われることを願う。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年1月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。