岸田首相の「安倍派追放」で30年前に似てきた政局

池田 信夫

自民党の裏金問題をめぐって、岸田首相が岸田派を解散し、安倍派に離党を求めるなど強硬な方針をとり、政局がにわかに風雲急を告げてきた。これは私がNHKで政治番組の現場にいた30年前の政局と、そっくりの展開である。

  1. 自民党の幹部が検察の捜査を受ける:1988年に竹下内閣でリクルート事件が起こり、検察は大規模な捜査をしたが、起訴した国会議員は藤波元官房長官と公明党の池田議員だけで、他の議員は会計責任者の略式起訴だけだった。
  2. 国民の怒りが高まり、政局が流動化する:竹下内閣が倒れ、宇野内閣も倒れて、海部内閣になり、1991年に懸案の政治改革三法案を閣議決定して国会に提出したが自民党内の反対が強く廃案となり、海部内閣も倒れた。
  3. 竹下派が分裂:1992年に宮沢内閣になったが、8月に金丸信副総裁が東京佐川急便から5億円の政治献金を受け取っていたことが判明。これも政治資金規正法違反で罰金20万円に終わったため、検察庁の入口の石碑に何者かが黄色いペンキをかけた。金丸は失脚し、竹下の後継者をめぐって内紛が始まった。
  4. 小沢グループの離党:当初は竹下の後継者とみられていた小沢一郎が、金丸をめぐる検察との取引の失敗の責任を問われ、竹下派の内紛が拡大。後継者に小渕恵三が選ばれたことに反発した小沢グループが派閥を離脱した。
  5. 内閣不信任案の可決:1993年6月18日、小沢グループを含む39人が野党の提出した宮沢内閣不信任案に賛成して可決。宮沢首相は衆議院を解散した。
  6. 細川内閣の成立:総選挙では自民党はほぼ改選前の議席を維持したが、過半数には届かず、新生党を核とする非自民・非共産の8会派が細川護煕を首相に立て、自民党政権が38年ぶりに終わった。

検察への怒りが政界再編の発火点になった

今回は2まで、30年前と同じである。リクルート事件も当初は大型の贈収賄事件と思われたが、職務権限の壁があって2人以外は収賄で起訴できず、会計責任者だけで終わった。

これに国民の怒りが高まり、内閣改造でリクルート関係議員を追放したが、その後も金丸の5億円事件などが起こり、小沢グループが離党して自民党が分裂した。

これは当時としては予想外の展開だった。私は6月18日の内閣不信任案可決のとき、国会で中継車にいたが、最後の瞬間まで自民党内で「落とし所」が見つかるだろうと誰もが思っていた。

小沢も当初は離党するつもりはなく、宮沢内閣を総辞職に追い込んで竹下派主導の新政権を樹立し、守旧派を追放するつもりだったようだが、肝心の竹下派の主導権をとれず、自分たちが離党するはめになった。

通常国会の内閣不信任案が焦点

今回も通常国会が大荒れになって、内閣不信任案が出ることは十分予想される。それに対して岸田政権が安倍派の離党勧告といった強硬な処分でスケープゴートにする戦術も、30年前と同じだろう。

それが政界再編に結びつくかどうかは疑問である。今回の裏金問題はリクルート事件ほど深刻な汚職事件ではなく、今の安倍派には当時の竹下派のように党を割るエネルギーがない。野党にも自民党の「汚れた部分」の安倍派と合流する大義名分がない。そして何よりも、一人で政局を動かす小沢のようなキーマンがいない。

しかし政局が流動化している点は30年前に似ているので、何かのアクシデントで不信任案が可決されると、岸田首相は解散に追い込まれる。野党が(たとえば)小池百合子を立てて総選挙にのぞみ、そこに自民党からの離党組が合流すれば、30年前のような大逆転もあるかもしれない。