「子育て共同参画社会」から見た「共同養育社会」論

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官民の「人口戦略」が出揃った

昨年1月の岸田首相の「異次元の少子化対策」発言からちょうど1年目の2024年1月9日に、民間の「人口戦略会議」により『人口ビジョン2100 ー 安定的で、成長力のある「8000万人国家」へ 』が発表された(以下、『ビジョン2100』と略称する)。

前年の12月22日には、閣議決定として『こども未来戦略』(以下、『戦略』と略称する)も公表されていて、これで未曽有の少子化危機を受けた官民の「人口戦略」が出揃ったことになる。首相の「少子化対策」への強い意向が、良くも悪くも官民両方での「戦略」として1年後に国民の前に提示されたわけである。

両者を読んで、30年前から「子育て共同参画社会」と「子育て基金」を提唱してきた立場から、特に民間の『ビジョン2100』における「共同養育社会」について考えてみたい注1)。なぜなら、これが私の造語による「子育て共同参画社会」とよく似ているからである。

「少子化対策10原則」

なお、私の「子育て共同参画社会」は、表1の「少子化対策10原則」を含んでいる。

表1 「少子化対策」10原則
出典:金子作成

しかも、ここで危惧される「少子化」は日本と日本人の将来を左右するが、そのためにわれわれは「必要な努力を惜しまぬ意志があるのかどうか」(ベルグソン、1932=1948=1979)が問われているという認識を、その概念の根底においている。

「子育て共同参画社会」

「子育て共同参画社会」概念は、『高齢社会とあなた』(NHKブックス、1998)が初出であり、その後『都市の少子社会』(東京大学出版会、2003)を経て、『少子化する高齢社会』(NHKブックス、2006)で最終的に練り上げたものである。

その結果として、それを自立した個人の生き方が作り上げる『男女共同参画社会』において、子育てについてのフリーライダー化ではなく、子どもを産んでも産まなくてもそして育てなくても、「次世代の養育費用を応分に負担し合う社会」(金子、2016:120)であると定義して、この中心に「子育て基金」を想定した注2)

別の表現では、① 現世代のすべてが次世代を養育し教育することで社会システムの連続性を確保すること、② 個人的には子育てをする環境になくても、社会全体の子育てには全面的に協力すること、の双方を含む概念としても使用してきた(同上:10)。

『ビジョン2100』の提言理由

「共同養育社会」を内包する『ビジョン2100』が出された理由として、6点があげられている。箇条書きで示して、簡単な解説を付加しておこう。

(1)人口は半減、4割が高齢者に

冒頭に、このままだと総人口は年間100万人のペースで減少し、2100年には6300万人に半減する、しかも高齢化率が40%の「年老いた国」になるという危惧が述べられ、「日本とその国民が、人口減少という巨大な渦の中に沈みつづけていく」(『ビジョン2100』:1)とされた。

しかし、このままのペースでの「年間100万人の減少」はありえない。なぜなら、出生数減少を促進する要因が変化するからである。

出生数の減少をひき起こす原因は多く、なかでも婚姻率と未婚率の低下、産める年齢の女性母集団の減少、大学教育費用の高騰、非正規雇用による所得の伸び悩み、居住する住宅の狭さ、単身者の増大などがある(図1)。これらはいずれもが出生数減少を促進する要因になるが、今後にかけてはとりわけ産める年齢の女性母集団の減少が決定的に重要である。

図1 出生数減少を促進する要因

産める年齢の女性母集団が減少する「少母化」が顕在化した

なぜなら、20世紀末から21世紀までの40年間で行なわれた国勢調査によると、その年代の女性の数は1980年で約3060万人、2000年で約2930万人、そして2020年で約2500万人となり、40年間で約2割減ってきたからである。

この連続的減少によって、1年間では同じ合計特殊出生率でも、「少母化」として産める年齢の女性母集団が減少すれば、産まれてくる子どもの総数も当然少なくなる(後述)。

図1(A)に分類された産める年齢の女性母集団が減少する「少母化」は、今後出生数の減少をひき起こす大きな要因であり、結果的に少子化の原因にもなる。しかしそれは、政策的なコントロールがもはや不可能な人口関連の与件となってしまった。合わせて、婚姻率も未婚率もまた政治による制御は不可能な変数である。そのため、「人口減少」や「人口変容」を考える際にも、それらを前提に対応をすることになる注3)

合計特殊出生率の推移

いわゆる合計特殊出生率は、高齢化率が7.0%を突破して日本の高齢社会元年といわれた1970年では2.13であったが、それ以降は着実に漸減傾向を示してきた。すなわち団塊ジュニアの世代が結婚・出産の時期を迎えた1980年は1.75へと下がり、合計特殊出生率は反転しないままに1990年が1.54、2000年で1.36、2005年は日本史上最低の1.2601を記録した。

その後は少し戻して2010年が1.39になったものの、2021年に1.30となり、2022年は2005年よりもわずかに低い1.2566まで下がり、日本新記録を作った。すなわち「少母化」が進む過程で同時に合計特殊出生率が落ちているのだから、「少子化」は速度を上げてしまったことになる。そのため「このままの年間100万人ペースでの減少」にはならず、数学的には同じ現象傾向を示す線形の減少曲線(図2)ではなく、非線形の減少曲線が予想される(図3)。

図2 線形の減少曲線

図3 非線形の減少曲線

なお、非線形は地震のマグニチュードを想定すればそのイメージがよくつかめる。図4の説明通り、マグニチュード6と7とではそのエネルギーが1の差ではなく、32倍に増幅されたことになり、それが8になると1000倍を超えるのである(322=32×32=1024)。

図4 非線形の事例としてのマグニチュード
出典:気象庁ホームページ(閲覧 2024年1月10日)

これが非線形的な強さの増大の典型であるが、人口減少数もまた変数が入れ替わるから非線形的な動きをするので、「そのまま毎年100万人の減少」にはなり得ない。すなわち、毎年100万人の減少ではなく、それをはるかに超えた人口減少が発生すると見られるのである。

したがって、冒頭の「このままだと総人口は年間100万人のペースで減少」よりも、事態ははるかに厳しいといわざるを得ない。

「待機児童の解消」は少子化が原因

(2)遅れを挽回するラストチャンス

政府『戦略』と同じく『ビジョン2100』でも、2030年までが「遅れを取り戻すラストチャンス」という認識にある。そのため過去10年間の「取り組み」を検討している。この方法しかないのだからこれはいいとして、その結果から何が導きだせたか。

過去10年どころか30年間、日本の「少子化対策」は「待機児童ゼロ」と「ワークライフバランス」(両立ライフ)支援を軸としてきたから、これを念頭において10年間の政策評価を見てみよう。

そうすると、「待機児童の解消」や「不妊治療の保険適用」など一定の効果をあげた施策はある」(『ビジョン2100』:1)が目に飛び込んでくる。

元来「少子化対策」は、出生数を下げないもしくは増やしていくために行われる政策の一環であるが、これまでの30年間の「待機児童の解消」政策はどのような効果があったのだろうか。とりわけ2016年から出生数100万人を割り込み続けてきた結果、現在では未曽有の人口危機が顕在化してしまった。すなわちそれは、出生数の維持や増大に効果があったわけではなさそうに思える。

だからむしろ論点は逆であり、「待機児童の解消」がうまく行ったのは、出生数が減少し続け、「少子化」が進んだこと、および保育所と認定こども園の定員増がみられたからではないか。論じられた因果関係が反対になっている。

比較の手法に旧弊が残る

さらに予算面での記述にも疑問が残る。具体的にいえば、2014年に当時の民間機関である「選択する未来」委員会が「少子化対策予算(家族関係支出)が他のOECD諸国に比べると低水準にあること」を『ビジョン2100』では問題視し、「2020年頃を目途に早期の倍増を目指す」(同上:2)とした文書を引き合いに出して、「家族関係支出対GDP比(2019年度)は1.7%で、スウェーデン(3.4%)の2分の1にとどまっています」(同上:2)と現状を批判している。

これは日本の福祉関連文献の旧弊の伝統が続いてきたことの証明である。なぜなら、表2で示すように、2023年12月の段階で使用できるデータは2019年度のそれではなく、2021年度のデータが使えるからである。そうすると、日本のその比率も2.46まで上がっていて、ドイツやフランスに迫る勢いを示していることが分かり、当然ながら説明の文章も変更されるはずである。

表2 家族関係社会支出の対GDP比率(2020年)
出典:『令和3年度 社会保障費用統計 2021』社会保障人口問題研究所 2023:8.
(注)金子が作表した。また、イギリスは、EUからの離脱に伴い、2019年度以降のデータソースが変更されている。2020年度からは「積極的労働市場政策」の数値が公表されていない。

比較研究の大原則

加えてもう一つの旧弊としてスウェーデンやフランスを持ち上げたはいいが、それらの国での所得税や消費税の高さには決して触れないという伝統も保持したままである。ちなみに消費税でいえば、日本の10%に対して、スウェーデンは25%、フランスは20%、ドイツでも19%である。国民負担率が違う国の社会システムを比較する際には、関連情報を示さないと大きな誤解が生じる危険性がある。

これら二点に象徴される旧弊から脱却しない限り、福祉面での比較社会研究は参考にならない(金子、2013 第1章 時代診断の比較社会学)。

(3)これまでの対応に欠けていたこと

ここでは三点が指摘されている。一つは、危機に至った人口減少の要因や対策について、「国民へ十分な情報共有を図ってこなかった」(『ビジョン2100』:2)ことである。その通りであるが、「共有しておきたい情報」の内容もまた重要なので、第四点目として後述する。

二点目は若者や女性の意識や実態を重視して、政策に反映させる姿勢が十分でなかったという反省が述べられた。これも同感だが、反映させられなかったものには数多くの「少子化」関連の学術研究成果もあることを付加しておこう。

第三には「現世代」には社会を「将来世代」に継承していく責任があるとしたことであり、これも総論としては正しい。

しかし一番の反省点は、過去30年間では理念抜きの政策メニューばかりが実行されてきたことにある。これを第四点としたい。

重点解題の政策メニュー

実際に『令和元年版 少子化社会対策白書』を使い、この問題をはっきりさせておこう。『白書』には重点課題として、

  1. 結婚や子育てしやすい環境となるよう、社会全体を見直し、これまで以上に対策を充実
  2. 個々人が結婚や子供についての希望を実現できる社会をつくる
  3. 結婚、妊娠、出産、子育ての各段階に応じた切れ目のない取組をする
  4. 今後5年間を「集中取組期間」と位置づけ、5つの重点課題を設定し、政策を効果的かつ集中的に投入
  5. 長期展望に立って、子供への資源配分を大胆に拡充する

が挙げられていた(同上:58)。

しかし白書のどこにも、「少子化対策とは何か」や「少子化対策の目指す方向は何か」がはっきりとは記されてはいなかった。

判然としにくい「社会全体」

たとえば、1では各人各様の「結婚や子育てしやすい環境」のイメージがつかめないし、「社会全体」も使われてはいるが、無内容なままである。子育てする者とそれをしない者、子育て中の人とそれを終えた人もすべて「社会全体」に含まれるのかどうかが判然としなかった。

同時に「個々人が結婚や子供についての希望を実現できる社会」もつかみどころがない。たとえば男性・大卒・30歳代・会社員と女性・大卒・30歳代・会社員でも、「希望」が同じとは限らない。ましてや学歴が違い、年齢差があり、雇用形態が異なれば、「希望」はますます一つには収斂しにくくなる。政策的な「収斂」が可能として、その方法は何か。

恣意的な解釈を許す

とりわけ5「子供への資源配分を大胆に拡充する」が、長年にわたり少子化対策の逆機能化を進めた注4)。なぜなら、政策予算での「大胆な拡充」を各省庁が「大胆」に勝手な解釈をして、国民の常識からすると「少子化対策」からは逸脱したような政策にまで、多額の予算がつけられた30年が続いてきたからである。

この「大胆な拡充」の伝統は令和の今日まで認められるが、そこからは「これまで欠けていたこと」として、30年間当然だとされてきた「通常次元」の諸事業の見直しも欲しくなるが、『ビジョン2100』では何も触れられていない。

「通常次元」を取捨選択して「異次元性」に踏み込む

この問題にこだわるのは、30年間の少子化対策の歴史では、現今の話題の焦点である「児童手当」や「育児休業給付」だけではなく、「子育て」事業として「大胆に拡充」された施策・事業も少なくなかったからである注5)

たとえばその一端を掲げてみよう。『令和元年版 少子化社会対策白書』では、厚労省「ジョブカード制度」、厚労省・国土交通省「テレワーク普及促進対策事業」、厚労省「たばこ対策促進事業」、文科省「国立女性教育会館運営交付金」、文科省「学習指導要領等の編集改訂等」、農水省「都市農村共生・対流及び地域活性化対策」、国土交通省「官庁施設のバリアフリー化の推進」、「鉄道駅におけるバリアフリー化の推進」、厚労省「シルバー人材センター事業」などの諸事業も「少子化対策関係予算」とされていた(同上:170-184)。

これらは「少子化反転」に寄与できる事業なのか。そうではあるまい。

かなり恣意的で大胆な想像力を駆使しても、これらを「少子化対策」に含めることは困難である。その意味では、これら施策・事業の所管府省と予算を認めた財務省、そして国会審議で予算案を可決した与野党ともに、「通常次元」の少子化対策認識に甘さがあったことが指摘できる。

この感覚で、防衛費とほぼ同額の5兆円(令和元年度予算)を毎年使ってきたのだから、30年間の少子化対策の失敗が語られるのも仕方がない。

以上の四点を「正面から問いかける」器量を与野党の政治家、関連省庁の官僚、マスコミが持てるかどうかが問われる注6)

(4)安定的で、成長力のある「8000万人国家」を目指す

これには2100年を視野に据えて、総人口を「8000万人で安定化させる」こと、および「多様性に富んだ成長力のある社会を構築する」ことが含まれている。ただし、『ビジョン2100』概要版でも本篇でもこれ以上の詳しい内容は見当たらない。

(5)「定常化戦略」と「強靭化戦力」

むしろ(4)は、すべてが(5)に含まれていると見た方がいいように思われる。「定常化戦略」とは「人口定常化を目標とする」であり、「強靭化戦力は質的な強靭化を図り、・・・・・・多様性に富んだ成長力のある社会を構築する」(『人口ビジョン2100』:3)であるとされたからである。

ただし、(4)と同じ文章が(5)にも登場したうえに、「強靭化戦力」の定義に質的な「強靭化」を使うなど、論旨に乱れがある。

(6)今こそ総合的な「国家ビジョン」を

これもまた当然のことであり、目新しい内容とは言えない。それを図5では「生活安定」と「未来展望」という「媒介変数」を入れて表現したことがある(金子、2023b:117)。

図5 少子化対策の因果ダイヤグラム
出典:(金子、2023b:117)

「国家ビジョン」としての「社会資本主義」の提唱

これに加えて、総合的な「国家ビジョン」の一つとして私は「社会資本主義」を造語した。これは2023年に新しく提唱した「社会構想」であり、過去を基盤としつつも、むしろ現在流行している「資本主義の終焉」論から未来への展望が柱になる。

「未来像について考えることは、ある構想の仕方を新しい名前のもとに復活させる」(アーリ、2016-2019:25)ために、この用語を作り上げたことになる。

文章化すれば以下のような表現になる(金子、2023a:368)。

「脱成長」論を越えた「社会資本主義」は、新しい資本主義として「生活の質」を支える「社会的共通資本」と治山治水を優先し、国民が持つ「社会関係資本」を豊かにする。合わせて子ども真ん中の政策により、義務教育・高等教育を通じて一人一人の「人間文化資本」を育てる。「社会資本主義」はこれら三資本を融合した理念をもち、全世代の生活安定と未来展望を可能とし、経済社会システムの「適応能力上昇」を維持して、世代間協力と社会移動が可能な開放型社会づくりを創造する。

これらを主題にした現段階での社会調査はできないために、ミクロな身辺の小さな事象と、公的資料に垣間見えるマクロな将来像の大型画面が共存する叙述となった。

ともかくも、「資本」概念として社会学でもすでに共有された「社会的共通資本」「社会関係資本」「人間文化資本」をいかに活用して「経済資本」につなげ、将来像としての「社会構想」を行い、速やかに実践に移すかが課題になる。

国家ビジョンへの三つの課題

『ビジョン2100』では、

  1. 国民の意識共有
  2. 若者、特に女性の最重視
  3. 世代間の継承と・連帯と「共同養育社会」

が重点的に並べられた。

まず「1. 国民の意識共有」では、「人口減少のスピード」が速いために「果てしない縮小と撤退」が危惧され、「人口減少が引き起こす構造」的問題として「『超高齢化』と『地方消滅』」があげられた。

前者では、社会も個人も「選択の幅」が狭隘になることへの認識が強調され、後者では、「超高齢化」に伴う世代間格差と世代間対立の深刻化の緩和と、人口減少における「地域格差」による「地方消滅」が取り上げられた。

「2. 若者、特に女性の最重視」ではいくつかのグラフを使って、「若者、女性が希望を持てなくなっている」、「若者世代の結婚や子どもを持つ意欲が低下した」ことの現状分析がなされた。主な原因としては、所得に代表される「経済的格差」に加えて、「子どもを持つことがリスク、負担」になるという現状が示された。

これらはいわば「昭和のライフスタイル」であり、この見直しが不可欠で、それには企業の「トップダウン」による「決断と実行」が必要と結ばれた(『ビジョン2100』:7-10)。

世代間の継承・連帯と「共同養育社会」

「子育て共同参画社会」論を30年前から提唱してきた私は、1と2はもちろんだが、特に「共同養育社会」に関心を持たざるを得ない。

まずこの定義は、「世代間の継承という視点から見ても、母親一人が子育てを担うのではなく、父親はもちろん、家族や地域が共同で参加すること(共同養育)が重要であり、それが子育ての本来の姿ではないか」(同上:11)とされた。しかも、わざわざ合計特殊出生率が高い沖縄県を引き合いに出して、「地域全体で子育てをする意識が強いため」(同上:11)と注記した。

「地域」が「子育て」から30年間排除されてきた

この記述は、先ほどの「3. これまでの対応に欠けていたこと」として「ワークライフバランス(両立ライフ)支援」への反省が皆無であったことと符合する。なぜなら、この30年間の「ワーク」は職場、「ライフ」は家庭だったからである。

そこにはコミュニティという「地域社会」が欠落していた。この点に何の反省もなく、沖縄県の事例を使いながら、「共同養育」に「地域が共同で参加すること」が軸に据えられている。

この文脈への反省がまずは必要なのではないか。

未来選択社会の定常化戦略

しかしその後は「共同養育社会」ではなく、「未来選択社会」が多用されることになった。この意味は、下位概念としての「定常化戦略」と「強靭化戦略」を一体的に推進することで、「未来として選択し得る望ましい社会」となる(同上:12)。

これは、「人口減少のスピードを緩和させ、最終的に人口を安定させること」(同上:12)と同じ意味であり、これこそが「人口定常化」とされた。具体的には表3のように4つのシナリオが想定されてきた。

表3 「人口定常化」をめぐる4つのケース
出典:『人口ビジョン2100』:14
(注)国際医療福祉大・人口戦略研究所の独自試算

このうち『ビジョン2100』は、Bケース(8000万人)を2100年の総人口に位置づけている。他のたとえばAケースは、2040年のTFR(合計特殊出生率)を2.07に想定した点で、論外である。

2022年のそれが1.2566という日本新記録を作った年からわずか18年で、どのようなマジックがあっても2.07に達するとは考えられないからである。本文でも有効な方法論は明示されてはいない。

だからといって、Bケースの2060年のTFR(合計特殊出生率)を2.07にすることにも無理がある。図1で論じたように、2050年に向けて日本では「産める年齢の女性母集団の減少」が正確に予見できるからである。

2022年と2042年の「産める年齢の女性母集団の減少」の比較から

ここでデータの制約と計算の簡便さを考慮して、2022年と2042年の「産める年齢の女性母集団の減少」を比較してみよう。

表4は2022年10月現在の日本人女性0~49歳までの5歳階級別の実数である。

表4 日本人女性の5歳階級別の実数
出典:総務省統計局「人口推計」(2022年10月1日現在)

「産める年齢の女性母集団」が500万人減少する

この段階での「産める年齢の女性母集団」は、「15~19歳」から「44歳~49歳」までの合計で23,131,361人となる。未婚率や不妊などを考慮せずにいえば、単純にこの母集団から、2022年には約77万人が誕生したことになる。

一方、20年後の「産める年齢の女性母集団」は、現在の「0~4歳」が「20歳~24歳」になっていて、現在の「25~29歳」が20年後の「45~49歳」になる。ここでも全員が亡くならないと仮定して、20年後の母集団を計算すると、15,357,209人が得られる。ただし、注意しておきたいことは、20年後の「15~19歳」がこの合計からは抜けていることである。なぜなら、この層は現在まだ生まれていないからである。

そのため、データの整合性を図るために、2022年の合計から「15~19歳」の数を削除すると、20,494,294人となる。2042年の母集団とは5,137,085人の差が生じる。

要するに、20年後の「産める年齢の女性母集団」は現在よりも500万人も少なくなっていると予想できるのである。そのため本文とは異なり、Bケースも困難になると考えられる。

Cケースの予想

以上の判断で、『ビジョン2100』に準拠すれば、私の判断はDケースになる。その差はTFR(合計特殊出生率)の予想によるのだが、2022年でも全国平均こそ1.26だが、東京都が1.04、宮城県が1.09、北海道も1.12というように、DケースのTFR1.13を割り込んでいる都道県がすでに存在するからである。他にも埼玉県と神奈川県1.17、千葉県と秋田県では1.18になっていて、大都市圏も過疎地域を抱えた県でも同じようにTFRが下がってきているからである。

これらの多くでは、政令指定都市があるものの、それ以外のかなりな部分が過疎地域の指定を受けている。だから、過疎地だけではなく、政令市でも人口減少が始まっているのである。

以上の理由で、政府の『戦略』と人口戦略会議『ビジョン2100』とを見る限りでは、Cケースで想定された2100年のTFR1.36は考えにくい。

雇用の改善

なぜなら、「所得向上」と「雇用の改善」は「定常化戦略」でも強調される割には、具体策にあまりにも乏しいからである。「非正規雇用の正規化や雇用改善を実現すべきですし、国もそうした動きを支援していく必要があります(『ビジョン2100』:18)程度では、変革には届かないであろう。

これに関連して、私が少し実情を知っているのは大学の非常勤講師問題である。具体的にいえば、30歳前後まで学業に勤しみ、専門分野で博士学位を取得したにもかかわらず、大学や高専や研究所などの正規雇用の機会に恵まれず、いくつかの大学を掛け持ちせざるを得ない数万人の専門家がおられる。加えてその大半が、大学院時代の奨学金の返済や身分の不安定さに直面しながらの非正規雇用である。

これもまた、2013年の「改正労働契約法」の逆機能化の典型である。すなわち、その法律を使った「非常勤講師の雇い止め」が残っているのである。

人への投資がいう「人」は専門家ではないのか?

一方で、「人への投資」を強調する政府が作った法律により、博士学位を取得した専門家が冷遇されている実情に対して、その法律の見直しを行わないという現実もある。

これも「定常化戦略」にいう「多様なライフスタイルが選択できる社会づくり」なのだろうか。事例としてあげたような、「人への投資」の結果誕生した博士学位を持った専門家を冷遇するような「未来選択社会」を、国民は望むだろうか。

強靭化戦略

また『ビジョン2100』で重視されたのは、「定常化戦略」とともに「強靭化戦略」であった。しかしその定義からしてトートロジーに落ち込んでいる。

なぜなら、「質的に強靭化を図ることにより、多様性に富んだ成長力のある社会を構築していくのが、第二の強靭化戦略である」(『ビジョン2100』:12)。ある概念を定義する際に、定義される概念をそのまま使っているからである。『広辞苑』はこれを「定義上の虚偽」とする。

それはそうだろう。「強靭化」を説明するのに「強靭化」が使われたのだから、本来はここから先の議論はするまでもない。しかし、この先を考えるために、あげられている論点だけでも検討しておくことにする。そうすると、もっとはっきりさせるべき疑問点が浮かんでくるからである。

「質的な強靭化」

まずは、「質的な強靭化」とは「生産性上昇率の引き上げ」とされたことにより、「生産性の低い企業、産業、地域をいかに構造的に改革していくか」(同上:21)が課題となる。私はこれらに政党や大学も含めたいが、「構造改革ができない」企業や組織をどうするのかが判然としない。本文の文脈からは、「切り捨て」の危険性すら感じる。

二つ目には、先ほどの大学非常勤講師問題で触れた「人への投資」の強化が出された。しかし、「人への投資」事例としての数万人の博士学位保有者の非常勤講師問題でさえ解決できていない現状からすると、この効果は期待薄である。どのような「人」が想定された「投資」なのだろうか。

その他「一人ひとりが活躍する場を広げる」でも「ローカルインクルージング」の「担い手育成」にしても、さらに「グローバルチャレンジ」の「イノベーション環境」整備や「永定住外国人政策」の論点にしても、まずは日本における博士学位保有者の非常勤講師問題を片付ける力量を示してからの課題であろう注7)

「一人ひとりが豊かで、幸福度が最高水準の社会」?

最後に「未来選択社会」の姿として描かれた「一人ひとりが豊かで、幸福度が最高水準の社会」(同上:12)について触れておこう。

社会学や社会心理学では「主観指標」としての「幸福度」は相対性を免れないから、「最高」や「最低」という表現をしない。なぜなら、社会調査により「幸福度」を尋ねられた回答者は、自らが照準とする(準拠する)人や集団のライフスタイルや特定階層のライフスタイルと比較して、「高い、やや高い、まあまあ、やや低い、低い」と判定するからである。

そのため世界的に見てGN内でもGS内でも、それらを跨いでも社会システムが違えば、「幸福度」判定軸が異なるので、「世界最高水準」という評価は永遠に得られない。

せっかくの「幸福度」ではあるが、50年前からの社会指標(social indicator)、生活の質(QOL)、Well-being、BLI(Better Life Index)などの論点を正しく学べば、「幸福度」、「ウェルビーイング(Well-being)が世界最高水準の社会」という表現は避けられたに違いない(金子、2023a 第5章)。

「人口戦略会議」は吉田松陰まで引用して、「国家ビジョン」を提言したのだから、この先も科学的な根拠を持つ議論を積極的に続けてほしいと希望する。

注1)なお、関連した議論として金子(2024)および濱田(2024)を参照のこと。

注2)これまでその財源についても繰り返し試算してきたが、直近の試算結果は金子(2023c)で公開した。それは消費税、子育て基金、年金からの転用、「再エネ賦課金」の振り替え、という4者の財源を想定したものである。

注3)「人口変容」は少子化による年少人口減少、高齢化による高齢者の増大を含む複合概念である(金子、2023a)。

注4)個人の健康を事例にすれば、高齢になって骨密度が低下するのはやむを得ないが、その予防のために、カルシウムのサプリメントを取り過ぎて、腎臓や膀胱に結石が生じることがある場合、これをサプリメントの逆機能という。あるいは、毎月の収入からの貯蓄は重要だが、それをやりすぎると金融機関では預金額が増えても社会的には消費が低迷して、企業活動の業績が下がってしまい、ひいては金融機関の貸出しが減少する。これもまた、預金の逆機能とみていい。

注5)政府の少子化対策予算に関連した民間企業の売り上げは増えたが、子どもの数は減少した。事業栄えて、子どもが減って、先行き不安が増してきた。

注6)政府の『戦略』、民間の『ビジョン2100』が相次いで発表されても、政財界、マスコミ界、学界などではこのような問いかけは見当たらないように思われる。

注7)優先順位の発想の重要性はここにもある。

【参照文献】

  • Bergson,H.,1932=1948,Les deux sources dela morale et de la religion,(Presses Universitaires de France.(=1979 森口美都男訳 「道徳と宗教の二つの源泉」澤潙久敬責任編集『世界の名著 64 ベルクソン』中央公論社):215-539.
  • 濱田康行,2024,「【経済学の観点】『少子化論』に対する『数理マルクス経済学』の限界②」アゴラ言論プラットフォーム(1月25日).
  • 人口戦略会議,2024,『人口ビジョン2100 - 安定的で、成長力のある「8000万人国家」へ 』同会議(1月9日).
  • 金子勇,1998,『高齢社会とあなた』日本放送出版協会.
  • 金子勇,2003,『都市の少子社会』東京大学出版会.
  • 金子勇,2006,『少子化する高齢社会』日本放送出版協会.
  • 金子勇,2013,『「時代診断」の比較社会学』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2016,『日本の子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2023a,『社会資本主義』ミネルヴァ書房.
  • 金子勇,2023b,「『少子化対策の異次元』の論理と倫理」神戸学院大学現代社会学会監修『現代社会の探求』学文社:109-129.
  • 金子勇,2023c,「『異次元の少子化対策』の省察」『EN-ICHI FORUM』第388号:10-15.
  • 金子勇,2024,「【社会学の観点】『少子化論』に対する『数理マルクス経済学』の限界①」アゴラ言論プラットフォーム(1月25日).
  • 国立社会保障・人口問題研究所編,2023,『令和3年度 社会保障費用統計 2021』同研究所.
  • 内閣官房,2023,『こども未来戦略』(12月22日).
  • Urry,J.,2016,What is the Future? Polity Press Ltd.(=2019 吉原直樹ほか訳『<未来像>の未来』作品社).