コストの適正化はあっても削減はあり得ないこと

技術革新によってコスト削減が可能ならば、その低下したコストが新たな適正コストになるのだから、実は、革新によるコスト削減幅と同じだけ、価値が低下しているはずである。そして、価値の低下は、必然的に、価格の低下をもたらす。

コスト削減のための技術革新が一般化していくなかで、それに追随できていない企業には、客観的に評価して、適正なコストよりも高いコスト、即ち、無駄が発生しているといえる。その無駄を削減することは、企業経営に要求される最低限のことで、それができない企業は淘汰される。こうして、経済全体として、無駄が淘汰によって解消されて、そこで生じた利益が新たな価値の創造に投資されることで、経済は成長するのである。

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新たな価値の創造のためには、人への投資が必要だとすれば、そこには、賃金水準を適正なものにすることで、結果的に賃金は引き上がるとの前提があるはずである。そして、この理屈を労働という商品以外に一般化すれば、全ての商品の生産において、コスト削減ではなく、コストの適正化を経済成長の基礎としたうえで、成長のためには、新たな価値創造のための投資が必要だということになる。

短期的なコスト削減に注力することで、新たな価値を創造するための中長期的な投資が疎かになれば、結局、成長余地を失うという大きな機会損失を発生させることになり、実は、コストは、削減されるどころか、機会損失の形態で、増加している可能性がある。要は、簡単にいえば、コスト削減と並行して売り上げも低下すれば、意味はないということである。

また、コスト削減の付随効果として、潜在的にリスクが増加している可能性も否定できない。例えば、典型的には、管理の高度化によって在庫を最小化すれば、確かにコスト削減にはなるだろうが、他方で、物流施設や生産拠点における事故等により、商流が切断される事態となれば、大きな損失が発生するわけで、その損失は削減されたはずのコストを上回り得るのである。

こうした事態は、保険料というコストを削減するために、保険を解約するようなものである。無駄な保険を解約することは、保険料の削減ではなく、付保の適正化による保険料の適正化である。同様に、コストの適正化はあっても、コスト削減はあり得ず、資本利潤についても、適正な資本利潤から適正な配当がなされ、残余が新たな価値の創造のために再投資されるだけのことである。

経営課題として、コスト削減や資本利潤の最大化を掲げることは適正ではないのである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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