ロシアで3月17日、大統領選が実施される。投票結果が最初から分かっている選挙だけに米大統領選や欧州議会選のような興奮や熱狂はロシア国民から聞こえてこない。耳に飛び込んできたのは、立候補のために必要な支持者署名数を集めた野党政治家が中央選挙管理委員会によって出馬資格を無効にされたというニュースだ。
中央選管は8日、ウクライナ侵攻に反対する独立系のナジェジディン元下院議員の候補者登録を認めなかった。その理由は提出された支持者署名のうち約15%が名前や住所が不正確だったからだ。
国内のメディアを管理し、野党や反体制派の政治活動が厳重に監視され、制限されているので、通算5期目を狙うプーチン大統領は対抗候補者を恐れる必要はないのだが、「選挙は水のもので、結果は分からないため、用心に越したことがない」というわけで、女性候補者の出馬を止めるなど、あらゆる手段を駆使してきている。
当選確実なプーチン氏だが、懸念していることは一つある。投票率だ。プーチン大統領の政治に不満や反発を持つ有権者が投票を棄権し、選挙が低投票率で終わった場合、欧米メディアは「プーチン氏は当選したが、投票を棄権する有権者が多かった。プーチン氏が始めたウクライナ戦争に反対する声が予想以上に多いことを示唆している」と報じるだろう。
例えば、投票率が49.9%の場合だ。ロシア国民の過半数がプーチン大統領に投票するのを嫌い、棄権したことになる。だから、プーチン氏は低投票率を恐れているのだ。
オーストリアのインスブルック大学のロシア問題専門家、政治学者のマンゴット教授は「プーチン氏は悪くても65%の投票率を願っている」という。高投票率は非現実的だから、欧米諸国の大統領選と同程度の投票率として「65%」という数字が出てくるわけだ。
プーチン氏がここにきて警戒しているのは投票率だけではない。プーチン氏がウクライナ戦争に送ったロシア兵士の妻や母親たちが「夫を返せ」「息子を戻せ」といった抗議デモを行ってきたことだ。
ドイツ通信(DPA)によると、ウクライナ戦争に動員されたロシア兵士の親族による「息子を家に帰せ」という抗議活動(プーチ・ダモイ運動)が10日行われ、モスクワとエカテリンブルク市では警察当局が数人の女性たちを逮捕した。ウラル山脈のエカテリンブルクでは、兵士の記念碑に献花中の5人が私服警官に連行されたという。
インターネットポータル「ソータ」の情報によるとまた、モスクワでは警察が女性たちの運動を取材中のジャーナリスト2人を連行し、一時拘束した。警察当局は抗議活動に参加しないように警告しているが、「プーチ・ダモイ」(Putj domoi)運動はソーシャルネットワークを通じてモスクワ中心部での集団行動への参加を呼び掛けている。
戦争が長期化すれば、前線の兵士不足が出てくる。ウクライナだけではなく、ロシアでも兵力不足は深刻だ。ドイツ民間ニュース専門局ntvのモスクワ特派員によると、ロシア軍の兵士募集担当はタジキスタン、ウズベキスタン、キルギスタン出身の若い労働者に声をかけ、ロシア旅券を提供し、一時金を支払い、リクルートしているという。また、「動員されて以来、500日が過ぎたが、まだ夫が戻ってこない」と訴えるロシア人女性の声が報じられている。
夫や息子の早急な帰宅を求める声はロシアだけではなく、ウクライナでも聞かれる。ただ、ウクライナの場合、侵攻するロシア軍から祖国を守るという意識が国民や兵士の間にはあるが、ロシアの場合、国民はプーチン氏の独自の歴史的ナラテイブに踊らされ、若い兵士たちは大義のない戦争犯罪行為に駆り出されている。
出兵した息子や夫の帰宅を願う声は切ないものだ。日本でも終戦後、出兵した息子がシベリアから引揚げ船で戻ってくるのを岸壁の埠頭から今か、今かと待ち続ける母親の心を歌った二葉百合子さんの「岸壁の母」(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)を思い出す(歌の舞台となった舞鶴は当方の生まれ故郷だ)。
ウクライナ戦争が始まって間もなく2年が終わるが、ロシアの家庭でもウクライナの家庭でも戦場に駆り出された息子が戻ってくることを待ち続けている。戦争はどのような理由があろうが、非情で過酷なものだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年2月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。