九帝大の設立経緯にいたるドラマを掘り起こす

全国の国立大学で格上とみられているのが、北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州という七つの旧帝国大学である。

この帝国大学という制度がどのようにして成立したかを、時系列で丁寧に追いかけた「国に7つある『旧帝大』に序列はあるのか…北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州の『政治的な位置付け』 そもそも、戦前の「旧帝国大学」は9校あった」という記事をプレジデント・オンラインに書いた。

以下簡単な紹介と補足である。

東京帝国大学(1903年から1904年に撮影)
Wikipediaより

明治5年8月の「学制」が公布され、全国を8大学区にわけ、各大学区に大学校一校をおき、1大学区を32中学区にわけ、1中学区を210小学区にわけて、全国に大学校8、中学校256、小学校53,760をおくとした。

しかしもともと、中等教育の学校すらまっとうに存在せず、低レベルの漢学を教える藩校がようやく幕末になってできたという教育後進国で、おまけに鎖国で世界の学問の水準から大きく遅れていた江戸時代の悲惨な状況からの出発だった。

したがって、とりあえずは、留学生を大量に送り出し、一方でお雇い外人を招聘して、留学の準備と、低レベルでもとりあえず使える中堅専門家を養成するしかなかった。

東京大学だけは、幕府の洋書調所を前身とする開成校と東京医学校をもとに発足し、これが、1886年に帝国大学、1897年には京都帝国大学の開校に伴い東京帝国大学となった。

京都大学は大阪に設けられた第三高等学校がルーツで、もとは、高等専門学校レベルの文科大学を設けるはずだったが、高まる進学熱を背景に第二の帝国大学が創設された。

さらに、東北帝大、九州帝大が続き、東北帝大から北海道帝大が分かれた。

その次は、京城帝大、台北帝大、さらには大阪帝大、名古屋帝大が続き、北陸帝大が視野に入ったところで新制に移行したのである。