抑止力として誇示すべき「戦う意志」

19日の「産経新聞」に、2月17・18日に行われた「産経・FNN合同世論調査」の結果が載っていた。筆者は以下の2問に興味を持った。

【問】ロシアのウクライナ侵攻開始から今月で2年となるが、日本を含む西側諸国からの今後のウクライナ支援はどうすべきか(%)
西側諸国が一致して支援を継続すべきだ :34.3
各国の判断で支援を継続すべきだ    :37.6
各国の判断で支援を縮小してもよい   :16.9
西側諸国が一致して支援を縮小してもよい:5.4
他                  :5.8

【問】防衛装備品の他国への輸出方針についてどうすべきか(%)
輸出は認めるべきではない         :27.8
同盟国や友好国への輸出に限り認めてよい  :48.7
紛争が起きている国以外は輸出を認めてよい :9.5
紛争が起きている国を含めて輸出を認めてよい:7.7
他                    :6.3

ロシアによる突然のウクライナ侵略から2年経ち、戦いはロシアが占領したウクライナ東部・南部を前線とする塹壕戦の様相を呈している。即ち、ロシア軍が前線に設けた地雷原と塹壕などからなる防衛線を、ウクライナ軍が北からアゾフ海とクリミア半島を目指して突破を図ろうというもの。

これまでの両軍兵士の死傷者はそれぞれ数十万に上るとされるが、人的被害全体では、国土が戦場になっているウクライナ側にのみ、兵士と同じほどの非戦闘員の死傷者が出ている。これが「侵略」であることの由縁だが、4千万余の人口の15%余りが国外に避難している状況では、更なる徴兵も儘なるまい。

調査の上段は支援全般に係るから、約7割が賛同するのも頷けるが、ロシアと西側の代理戦争との論があるように支援の主体は武器弾薬、それでもこの高率である。斯くウクライナの継戦能力はNATO諸国の武器弾薬供給で維持されている。他方、ロシアもイランや北朝鮮から武器供給を受けているし、石化資源購入の形で中国とインドの間接支援を受けているが、ここを論じる者は多くない。

質問の流れから、下段の設問はウクライナへの武器支援を意識させる。それでも防衛装備品輸出を「認めるべきでない」が3割弱にとどまるのは、支援継続の高率回答と共に、日本人の国防意識の変化といえる。それはウクライナ情勢のみならず、共に核保有国である北朝鮮のミサイル発射と中国による台湾有事を想起させる言辞によるのだろう。

これに関連して、共和党予備選でトランプが4連勝し、大統領候補の座を確実にして「ほぼトラ」がいわれ始め、「もしトラ」ならば米国はウクライナ支援をやめると、の声も聞かれるようになった。筆者もたぶんそうなるだろうと思うが、それには前提がある。

トランプは、自分が大統領だったらプーチンは侵攻しなかったといい、大統領になったら「戦争を1日で終わらせる」と再三述べている。前者は仮定の話だが、後者は「選挙公約」だ。一期目のトランプの政権では、彼がキャンペーン中に述べた公約が悉く実行されたことは良く知られる事実だ。

つまり、「戦争を終わらせる」ことによって、米国(と西側諸国)によるウクライナへの武器弾薬支援も終わらせる、という風に筆者はこのトランプ語を解している。「プーチン『もしトラ』待望論」で述べたように、プーチンもこの戦争をやめるきっかけを欲していよう。いわんやウクライナをや。

プーチン「もしトラ」待望論
1月23日、トルコがスウェーデンのNATO加盟を承認した。同じ日、やはり未承認国だったハンガリーも、「最後の承認国になりたくない」らしいオルバン首相が、スウェーデンのクリスターソン首相をNATO加盟交渉のためブダペストに招くと表明した。承認...

トランプの「アメリカ・ファースト」を難じる向きもある。が、それは「米国の国益を第一に考える」という至極当たり前のことであって、自国の国益を第一に考えない国があるなら教えて欲しい(目下の我が国の政権にはその嫌いがままあるが、ここでは措く)。

「もしトラ」なら、この持論に沿って、トランプが我が国の軍事面での米国依存度を低めようとする政策を採る可能性が高い。これを脅威と見る論があるが、そうは思わない。渡りに船とばかり、「核」とそれと対をなす「原潜」の保有を、トランプ政権に持ち掛ければ良いのだ。

ケネス・ウォルツの「核拡散論」に賛成だ。その本質は、核拡散によってどの保有国も核を使えない状況になる、というもの。つまり、非保有国は保有国の核使用の脅威に常に晒されるが、保有国同士なら、その脅威を免れるという訳で、もっぱら「抑止力」としての核保有論なのである。

原潜も、核保有による「抑止力」を更に有効的たらしめるのに不可欠だ。長期間にわたってどこかの海中に潜み、我が国土を攻撃しようものなら海から反撃を加えるぞ、という「戦う意志」の表示手段である。

David Ziegler/iStock

そこで「戦う意志」のことになる。武器弾薬だけで戦争はできない。国民に、国や子孫を守るための「戦う意志」がなければ、国土・国民はあっけなく蹂躙される。つまり、国民の「戦う意志」が強固であればあるほど、他国からの攻撃の「抑止力」もまた、より強固になるのである。

令和6年は大地震で明けた。甚大な被害は国民に自衛隊の有難さを再び実感させた。ウクライナを見れば、他国から攻撃を受けるリスクが地震より低いとは言えまい。その自衛隊の隊員不足について「朝日新聞」が昨年8月、「自衛隊員不足 防衛力強化 もろい足元」と題する社説で次の趣旨を述べている。

自衛官の22年度の定数は約24.7万人だが、実数は約22.8万人で約1.9万人少ない。応募者数はこの10年で3割減った。根本には出生数の減少による若者人口の先細りがある。

省力化を進めつつ、限られた資源を優先順位をつけて配分するという、人口減を踏まえた防衛力の整備という考え方も必要なのではないか。今年度予算も、敵基地攻撃用の長射程ミサイルなど装備の拡充に比べ、人的基盤の強化に向けた具体策は乏しい。

装備と要員のバランスを欠いたままでは、防衛力強化の看板も「絵に描いた餅」だ。国の力に見合った、地に足のついた態勢の整備こそが求められる。

筆者に言わせればこの社説も「具体策は乏しい」。「国の力に見合った、地に足のついた態勢の整備」が何なのかを聞かせて欲しい。筆者の具体策は、武器に関しては上述の「核と原潜の保有」であり、これこそ「国の力に見合」う。人に関しては「予備自衛官」とその助走・序奏としての「体験入隊」だ。

「予備自衛官制度の概要」なるサイトに詳細が書いてある。即ち、諸外国が持つ「いざという時に必要となる防衛力を急速かつ計画的に確保するため予備役制度」に相当するものとして、我が国にも「即応予備自衛官制度」「予備自衛官制度」「予備自衛官補制度」という3つの制度がある。

非常勤の特別職国家公務員である予備自衛官は、「普段は社会人や学生」でありながら、「自衛官として必要とされる練度を維持するために訓練に応じ」る。元自衛官と予備自衛官(補)からなる即応予備自衛官と予備自衛官は、「防衛招集や災害招集などに応じて出頭し、自衛官として活動」する。予備自衛官補は教育訓練を受けた一般国民のことで、終了後に予備自衛官となる。

教育訓練期間は、即応予備自衛官は1年を通じて30日間、予備自衛官は原則として1年を通じて5日間の訓練に従事する。予備自衛官補には、3年以内に50日間従事する「一般」と2年以内に10日間従事する「技能」がある。その間、当人には手当が支給され、即応予備自衛官の所属企業には給付金もある。

企業・団体を対象とする「体験入隊」は、2〜3日の日程で、オリエンテーション、自衛隊の基礎動作「基本教練」、駐屯地内の20km行進、障害走、体力検定(腕立て・腹筋・3000m走)、喫食・宿泊などを体験する。費用は、食事代、光熱費、貸与した被服のクリーニング代などである。

と、ここまで書いてスイスの「国民皆兵」の事例を引こうとググったら、高市早苗議員が「永世中立国スイスの防衛と人的基盤強化の重要性」と題するコラムで、22年5月に「『軍事防衛』と『民間防衛』による国土防衛を基本としており、『徴兵制』も維持しています」と書いていた。

高市氏は国防に係る「人的基盤の強化」は重要だとし、先ずは「来年度以降の自衛官定員増が必要」であり、「宇宙・サイバー・電磁波など新領域に対応できる専門人材の確保」に加えて「予備自衛官の体制強化」にも触れている。さすがと言う他ない。二番煎じを承知の上で、本稿も投じることにする。