今から約3年前に筆者は、「繰り返される下請法違反:公取委がマツダに再発防止勧告」という論考を本サイトに掲載した。マツダが下請業者に対して、手数料の名目で総計5100万円ほどの金額を不当に支払わせていたとして、公正取引委員会から同法違反で勧告を受けた。
そして今回は日産である。以下、日本経済新聞の2024年3月7日の記事(「日産自動車に下請法違反で勧告、30億円不当減額 公取委」)より。
公取委などによると、日産は2021年1月〜23年4月、自動車のエンジンやバッテリーなどに使われる部品の製造を委託している下請け企業36社に発注した代金から「割戻金」として一部を差し引いて代金を支払っていた。中には10億円超を減額された企業もあった。
「支払代金を割戻金名目で減額する慣行は、日産の社内で長年続いていた」といい、「同社は原価低減の目標値を社内で設定しており、決算期前に駆け込みで減額を要請するケースもあった」という(同)。
自社内部で目標値の達成が危うくなれば、あるいは自社の経営が苦しくなれば、取引関係上弱い立場にある他社にその皺寄せがいくというのは、利益の最大化を目指す経済主体としては当然の論理である。もちろんだから放置してよいという訳ではなく、公正な取引を侵害するものとして、そういった行為を禁止する独占禁止法や下請法が存在する(ただ立法論としてさまざま議論があるところではある)。
同記事は以下のようにも伝えている。
下請法は資本金3億円以上の大企業同士の取引には適用されない。規模の大きい一次サプライヤーとの取引が中心の完成車メーカーは「下請法に対する知識が十分でない」(公取委幹部)との見方もある。勧告には経営責任者を中心に社内のコンプライアンス体制を整えることも盛り込まれた。
下請法の適用がなくても独占禁止法の優越的地位濫用規制の適用はあり得る。このクラスの大企業であれば、コンプライアンス研修や各種勉強会等において両者セットでその知識が伝えられるはずだし、それを担当する社内外の弁護士や法務部員もその辺は熟知しているはずだ。
独占禁止法の知識がありつつ、下請法の知識がないというのは理解に苦しむ。むしろそういった研修が形骸化していた、あるいはお座なりのものになっていたと理解する方がしっくりくる。つまり担当者が自分の問題として捉えるレベルに至っていないということなのではないだろうか。
例えばそれがe-ラーニング教材だった場合、アクセス記録だけとっておしまいになっていたのではないだろうか。対面での講義の場合、双方向授業の工夫はされていたのだろうか。質疑応答やディスカッションの時間が充実したものになっていただろうか。
そもそも知識の伝授をしておしまいというのではコンプライアンス活動とはいえない。その上で、専門部署による必要十分なモニタリングがなされる必要がある。そこには知識不足のイクスキューズは通用しない。
気になるのが3年前、マツダに対して公正取引委員会が下請法違反で勧告したときに、この問題を日産はどう捉えたか、である(そもそもマツダはもっと前にも同法違反の問題を指摘されている)。コンプライアンス部門はマツダだけの問題ではなく、自社の問題でもあり得るとは考えなかったか。もちろんだからといってすぐに取引慣行を変えることはできないだろうが、公正取引委員会がアクションを起こすその前段階、準備段階で何らかの対応ができていれば、多少結末も変わったからもしれない。
現場レベルで過去から取引慣行として受け継がれてきたものを、現場で大きな支障が生じない限り、自分が担当のときに変えるという動機をその担当者が持つことはほとんどない。気付いたとしてもそれを止めればこれまでできたことができなくなるので、それを他の手段で埋め合わせる必要が出てくる。
現実と向き合ったときにその選択肢しかないと分かれば、前例踏襲になる。そもそもそのような問題に気付こうともしないであろう。引き継いだものをそのまま行い、次に引き継ぐというのが一番楽だからである。どこにコンプライアンス上のリスクが潜んでいるか、と考えながら、疑心暗鬼になって業務を行なっては身がもたない。現状維持のバイアスはコンプライアンスの最大の敵であるが、「法令の知識」の有無で話が終わってしまうようでは、このバリアに跳ね返されてしまう。
時事通信は日本商工会議所の小林健会頭の発言を以下のように伝えている(「日産の下請法違反「極めて遺憾」=経営トップ自ら説明を―日商会頭」)
日本商工会議所の小林健会頭は7日の記者会見で、日産自動車が下請け業者に支払う納入代金を不当に引き下げたとして公正取引委員会の勧告を受けたことについて、「極めて遺憾なことだ」と述べ、強く批判した。
小林氏は、下請法違反は購買担当者だけの責任ではないとの見方を示した上で、防止するためには「経営トップが関与しなければ駄目だ」と指摘。日産に対し、「トップが出てきて説明する責任がある」と訴えた。
「経営トップが関与しなければ駄目だ」というが、どう関与するのか。その関与もお座なりのものになってしまえば意味がない。
コンプライアンスで一番愚かなのは法令を守るために「あれもこれもだめ」という極端な反応をしてしまい、実際には適法で、かつマーケティング上重要な活動まで抑制してしまう事態を発生させることである。しかし一方で、経営トップによる「コンプライアンス宣言」で終わってしまい実際には何も機能しないという事態になれば、それもまた不毛である。
企業にとって最も生産的なコンプラアンス活動とは何だろうか、残念ながら筆者も十分な解答を持ち合わせていないが、日産の対応が一つのヒントを与えてくれるかもしれないし、そう期待したい。