中国が仕掛ける「超限戦」:宣戦布告なき米中アヘン戦争(藤谷 昌敏)

Dilok Klaisataporn/iStock

政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏

米国政府は、2023年12月、米国で大きな問題になっている医療用麻薬フェンタニルを巡り、密売組織「ベルトラン・レイバ」注1)と関係があって、米国への密輸に関与したとの理由で、メキシコ企業2社と個人15人に制裁を科した。同時に米司法省は、国際的な麻薬密輸の罪でメキシコ人など60人を訴追した。

密売組織「ベルトラン・レイバ」は、世界で最も強大な麻薬密輸組織と見做されており、米国へ大量のコカインやフェンタニルを密輸している。米国政府は、麻薬密売組織とフロント企業への資金の流れを断ち切ることを目指し、メキシコ側と緊密に連携している。

米疾病対策センター(CDC)によると、フェンタニルは7分ごとに米国市民1人が命を落とすほどの危険な薬物で、過剰摂取による死者は21年に全米で7万人を超えた。18~49歳の死因では銃や交通事故を上回る。

フェンタニルは癌患者の苦痛緩和などに用いる医療用麻薬オピオイドの一種だが、不法入手した若者らの中毒死や自殺が後を絶たない。オピオイドの過剰摂取で死亡した有名人としては、ロックスターのプリンス、大リーグ・エンゼルスのピッチャー、タイラー・ウェインなどが挙げられる。

メキシコルートで流入する麻薬の原材料は中国が原産地だ。米麻薬取締局によれば、2022年に押収されたフェンタニルは粉末で4.5トン以上、錠剤で5,060万錠に上った。これは3億7,900万人分の致死量に相当し、3億3,000万人の米国民全員の命を奪うのに十分な量だ。

中国政府はトランプ政権時の2019年に米国の要請によりフェンタニルの取り締まりに乗り出したが、米中貿易戦争の激化で取り組みは大きく後退した。さらに2022年8月のペロシ元下院議長の訪台後は対話そのものも途絶えていた。

こうした事態を打開しようと、米国政府は中国政府に働きかけて、2023年11月に米中首脳会談の実現に漕ぎつけた。同会談では、途絶えていた両国の国防対話の再開に加えて、合成麻薬「フェンタニル」の規制を巡る協力が話し合われた。

中国の習近平国家主席はバイデン大統領にフェンタニル対策への協力を約束し、会談後に参加した米企業経営者らとの夕食会では「米国の若者のフェンタニル中毒に深く同情している」と語った。さらに首脳間の合意に基づいて作業部会を設け、米国の薬物対策を支援すると説明した。

中国と麻薬の深い関係

麻薬と中国の歴史は長く根深い。現在の中華人民共和国を創設した毛沢東は、共産軍の増強に備えて武器や弾薬を手に入れるためにアヘンを育てて売っていた。当時の共産党軍は、陝甘寧辺区で大規模なケシの栽培を始めていて、一時はアヘンの売買による利益が党中央の財政収入の約半分を賄っていたとも言われる。その後も中国とミャンマー、ラオスなど周辺諸国を含めた麻薬サプライチェーンは深い繋がりを維持している。

最近になって、カンボジア政府は、首都プノンペンなど3ヵ所で、メタンフェタミンと幻覚剤のケタミンなどの違法麻薬1.5トンを押収し、これらの麻薬を台湾に密輸しようとしていた中国と台湾のマフィア組織の5人を麻薬密輸容疑で逮捕している。背後に中台の大掛かりな麻薬製造・密輸組織が絡んでいるとみて、捜査を進めているという。

カンボジアの主要都市シアヌークビルには、中国マフィアが管理するメタンファタミンを製造する工場があり、今回の中台マフィア組織の摘発直前に、同工場で7人の中国人が違法薬物製造の容疑で逮捕されている。

カンボジアでは近年、中国資本が多数進出しており、その流れの中で中国マフィアも入り込み、麻薬製造・密輸やカジノ経営、人身売買などの凶悪犯罪を主導している。カンボジア国内においても、メキシコのように政府内の腐敗が進み、中国マフィアに積極的に協力する有力者も存在している。

中国が仕掛ける第2のアヘン戦争

米国軍事専門家は、「フェンタニルは致死性の高い軍事目的の化学兵器で、その蔓延には中国が水面下で深く関わっている。これは米国に向けられたアヘン戦争だ。中国は『超限戦』注2)の一環として『薬物戦』を米国に仕掛けている」と見做している。

また、「中国の超限戦は、これまでの戦争の概念を打ち破ったルールがない戦争だ。中国は、いかなる手段を用いてでも戦争に勝たなければならないという強い意志を持っている」と分析する。

こうしたフェンタニルをはじめとする米国における薬物乱用の影響は、単に死者や廃人を大量に生んでいるだけではない。薬物中毒により、20歳から60歳ぐらいまでの働き盛りとされる貴重な労働者層が大量に離脱しており、米国経済界に労働力の衰退という深刻な影を落としている

2023年の米中首脳会談の後、中国で麻薬対策を担う国家禁毒委員会弁公室が国内企業にフェンタニルの生産に関与すれば法的措置をとると警告する通達を出すなど、会談の成果は一定の効果を見せた。

だが、中国国内では、フェンタニルを巡る米中合意は、報道で大きく扱われることはなく、話題にもならなかった。会談を大きな成果と自画自賛していたバイデン大統領とは、大きな温度差を見せ、米中アヘン戦争の行方は未だ不透明だ。

注1)ベルトラン・レイバ・カルテル
メキシコの犯罪組織で麻薬カルテルの一組織。シナロア・カルテルの幹部だったアルトゥロ、カルロス、アルフレド、エクトルのベルトラン・レイバ4兄弟が、内部抗争を経て2008年に創設。シナロア・カルテルと対立するガルフ・カルテルなどと手を組んだため、政府のみならずシナロア・カルテルとも激しい抗争を繰り広げた。政府や警察、軍関係者の中にも強い協力関係を持つ者が存在し、取り締まり機関の腐敗を助長した。

注2)「超限戦」
この「超限戦」とは、これからの戦争を、あらゆる手段で制約無く戦うものとして捉え、その戦争の性質や戦略について論じたものだ。この中で25種類にも及ぶ戦闘方法が提案され、通常戦、外交戦、国家テロ戦、諜報戦、金融戦、ネットワーク戦、法律戦、心理戦、メディア戦などを列挙している。

藤谷 昌敏
1954(昭和29)年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程卒、知識科学修士、MOT。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ、サイバーテロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、金沢工業大学客員教授(危機管理論)。主要著書(共著)に『第3世代のサービスイノベーション』(社会評論社)、論文に「我が国に対するインテリジェンス活動にどう対応するのか」(本誌『季報』Vol.78-83に連載)がある。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2024年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。