祈りの道にひっそりと佇む山中の宿場町:山梨・赤沢宿へ

みなさんは身延道(みのぶみち)というものをご存じでしょうか。

みのぶ道は「参詣道」「身延往還」「身延山追分道」とも呼ばれ、かつては、身延山久遠寺から大光坊、思親閣、赤沢宿、羽衣白糸の滝、七面山敬慎院へと続く、険しい修行の道でした。日蓮宗の開祖・日蓮聖人は、身延山を信仰の中心に据え、晩年を弟子の修行に費やしました。日蓮聖人の弟子たちは七面山への道を拓き、修行を行いました。こうして生まれた道は、近世に人々が身延詣に往来する道となったのです。今もなお、荘厳な寺社仏閣、宿場の風情や門内の賑わい、鳴り響く団扇太鼓とお題目を唱える人々の祈りの声、神聖な自然の風景に出会うことができます。みのぶ道は、歴史と伝説が溢れる聖地の過去と現在に出会うことができる祈りの道です。

身延町観光情報Siteより

日蓮宗の信仰の中心である身延山久遠寺から七面山に続く参詣道だった身延道。非常に山深い道でしたが日蓮上人の弟子たちが道を切り開きました。その道はとても険しいものであったため当然一夜でたどり着くことはできず、途中に宿場町ができ栄えることとなります。今回訪ねたのはその中で最も有名な宿場・赤沢宿です。

赤沢宿は山梨県の西南部・早川町にあります。町全体が山中にある早川町の人口は960人。日本で唯一人口1000人を切る町です。

赤沢宿の集落を見下ろします。

早川町唯一の幹線である県道を折れて1.5キロほど山道を車で駆け上ります。1車線しかないうえ急な坂道なのでドライブテクニック必要です。そんな山道を抜けてようやくたどり着くのが赤沢宿。深い山の中、ここだけ今も集落が残ります。

集落の中はほぼどこもこんな坂道。ここを上るといくつかの宿屋が立ち並びます。石畳とその中央の階段がなかなかいい味を出していますね。通常このような急斜面に宿場町が作られることは少ないですが、ここでは急峻な山中を結ぶ参詣道の中に必要に迫られて形成された特殊な宿場町が形成されました。

坂の途中、宿屋の跡がありました。こちらは喜久屋さん。

ここは休憩所となっていて建物の中も自由に見学することができます。かつて多くの参詣客がここで一服した様子を窺い知ることができます。

その向かいにある大黒屋。

軒下には「講」と呼ばれる結社の名を記したマネギ板があります。参拝者は「講」ごとに決まった宿を利用してきました。

こちらは玉屋。

こんな山中に何軒もの旅館が軒を連ねていることから、かつて身延道を使っていかに多くの参詣者が身延山久遠寺と七面山にお参りに訪れていたかということがわかります。最盛期には9軒の宿屋がありましたが、七面山までの車道が整備されるとここに投宿する参詣客は激減し、宿屋は衰退していきました。現在は江戸時代から続く江戸屋1軒が営業を続けるのみとなっています。

人口数十人程度の寒村ですが観光客向けに蕎麦屋「武蔵屋」が営業しています。平日は予約が必要なようですが土日は通常営業しています。

なかなか風情のある日本家屋。

天ざる900円。えびなど海鮮はなく野菜の天ぷらですが、これがいかにも山中の蕎麦屋らしくていい。お昼時はツーリングでここを訪ねて来た人でにぎわいを見せていました。

蕎麦屋より下にはカフェもありました。食事はいらないという方でしたらここでお団子を頂くのもいいでしょう。ちなみにここはアニメ「ゆるキャン△」でも登場しています。ゆるキャン△は隣の身延町に住む女子高生キャンパーの物語。この地方の観光スポットは軒並み登場します。

赤沢宿の向こうにはまだ雪の残る七面山が見えました。かつてこの地に宿をとった参拝客たちは目的地であるこの山の姿を眺めて何を思ったのでしょうか。ここから七面山まではまだ相当あるように思えますが、信仰の力は測り知れないものがあります。

かつて多くの参拝客が祈りを捧げに石畳の坂道を歩いて行った赤沢宿。東海道や中山道などの宿場とはまた違った面影を残す参拝者のための宿場町です。往時の姿を偲びに一度訪ねてみてはいかがでしょうか。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。