「風評加害」は如何にして行われてきたか?アーカイブとして、歴史教科書の副読本として、そして全国の図書館に残しておくべき本。
福島第一原子力発電所の処理水の件で、2年前の6月に当時ツイッターで以下のように呟きました。
僕はかつて1990年から1999年までの9年間、日立製作所で福島第一原子力発電所を含めた沸騰水型軽水炉の核燃料の研究開発に携わっていました。そんな僕にとって、あまりにも非科学的なデマで原子力発電が批判され、世の中が反原子力発電に動いていくことは僕の人生を否定されているように思え、憤りを感じたからです。
「風評加害者」という言葉を使ったのは、その当時ふと目にした本で「風評加害」という言葉を知ったからでした。
林智裕(はやし ともひろ) (著)「『正しさ』の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か」
この本「『正しさ』の商人」には「風評加害者」という聞き慣れない言葉があり、当時の僕のモヤモヤとした感情を代弁してくれているように感じました。そこで思い切って書評動画を作ることにしたのです。その書評動画は、言論プラットフォームアゴラでも取り上げていただきました。
そんな林智裕さんの「情報災害」と「風評加害」に関する本の第二弾が、2年間の時を経て「「やさしさ」の免罪符」として出版されると聞いて、アマゾンでキンドル版の事前予約をしました。本は出版当日の2024年4月1日のの深夜1時、日本時間の午前0時に僕のキンドルオアシスの中に配本されました。
林智裕 (著)「「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」」
本書は、前作に比べより多くの書籍や影響力のある著名人や政治家、政党の発言を集めて、その証拠としてのリンクも示し、「暴走する被害者意識と「社会主義」」へ警鐘を鳴らす本だとの印象を受けました。特に特定の個人や政党を直接的に批判している点は、前作よりも数段エネルギー状態が高い林智裕さんの熱意と執念、そして憤りをより直接感じるものでした。
おそらく名指しされた特定の個人や政党は猛反発するか、本書が売れないように、人の目に触れ何ように何らかの行動を起こすようにも思えます。全国の書店で本書をあまり取り扱わないということが起こっているようですが、脅しなどの違法行為がない限り、書店が仕入れるか、仕入れないかの判断に文句を言うことはできません。つまり紙の本だと、書店の一存で読者の目にとまるか否かが決まるわけです。
その点、アマゾンのキンドルだと読者が自分の判断で発売直後に購入して本書を読み、自分の頭で考えることができます。つまり、電子本の真骨頂を示すことができる本だとも思えます。
前置きが長くなってしまいましたが、全7章と「はじめに」と「おわりに」「謝辞」を含めた10の章の僕の感想は以下のとおりです。
はじめに
本書の「つかみ」部分は、現在大きなニュースとなっている熊による被害のことです。冬眠から覚めた熊たちが住宅地にやってきて人的被害が頻発しています。人間の命や資産は熊の命よりも優先して守られるので、その熊たちは駆除されています。この身近な問題に対する一般の人々の感想から「やさしさの免罪符」は始まります。
第1章 「被害者文化という侵略者」
この章では、「被害者文化」を定義、一般化するために多くの書籍を引用されています。その多くが海外、特にアメリカのものであり、読みはじめに直接福島の話になるのかと予測していた僕は意表を突かれました。
プラックローズ、リンゼイ (著)「「社会正義」はいつも正しい」など、僕も読んだことがある本も多く引用されて、主に先進国でのポリティカル・コレクトネスとそれに反発する言動を紹介されています。つまり、「「やさしさ」の免罪符」は日本固有の問題ではなく、世界中、特に先進国において一般的に起こり得る現象だということを作者の林さんは仰りたいのだと感じました。
そして問題点を指摘された風評加害者特有の反応を列挙されています。
- 謝罪にならない他責的な言い逃れ
- 詭弁を用いた批判や論点のすり替え
- 批判や証拠を徹底的に無視し、ダブルスタンダード的な他者批判を繰り返す
- 単なる事実の提示や反論さえ「加害」と訴え、「被害者性」「弱者性」で開き直る
これは、「風評加害者あるある」反応として、本書に出てくる事例のみならず、自分の身近な会話や仕事関係でも体験するものです。
第2章 「処理水海洋放出と情報災害」
この章は主にメディア関係の人々、文化人などに関する話です。特に平素から「すべての差別に反対します」「弱者の人権を護れ」「戦争反対!世界に平和を」など「社会正義」を強く掲げている人々こそが、風評加害の中心勢力だったとのショッキングなことを多くの事例を挙げて、その実態を炙り出しています。林さんはメディア関係の方なので、そのメディア業界にいる同業者の方々への批判には相当勇気が必要だったのでは?と心配してしまいます。
第3章 「海外からの加害行為」
ここで驚いたのは、国連の機関である「国連広報センター」が処理水へのフェイクを拡散したということです。そして、こともあろうか、そのツイートに対して「科学的根拠に基づかない主張である。」とのコミュニティーノート(デマや誤情報、誤解を招く表現などにユーザーが反論や注釈をつける機能)までつけられて、ツイートは大炎上したとのことです。それに対して国連広報センターが行った行動には正直驚かされました。内容は本書をじっくりお読みになることをお勧めします。
第4章 「風評加害との対峙」
この章は読むのが辛かったです。風評加害者には科学が通じません。それが個人ではなく、政治団体になると尚更です。科学的事実に基づかない、デマを根拠とした政策を主張される政党の方針は民主主義を著しく毀損するものだとこの章を読んで改めて怖くなってしまいました。
例えば、「相次いだ立憲民主党への批判」と題して「おしどりマコ」問題に言及されています。そこでは、
言論プラットフォームアゴラでの池田信夫さんの記事「おしどりマコは放射能デマの元祖」
も引用されているので、言論プラットフォームアゴラの執筆陣の片隅にいる僕は、その状況が手に取るようにわかりました。
美味しんぼの原作者の「鼻血」問題の経緯も詳細に記載されていてます。グルメ漫画「美味しんぼ」はオーストラリアが舞台となることもあり、結構好きな漫画だったのですが、当時の「鼻血」エピソードから僕はこの原作者を軽蔑して、それ以降の漫画を読まなくなりました。いくら本人が2年間かけて福島を取材したとしても、放射線を浴びて鼻血が出やすくなること(つまり血小板の減少)は科学的にありえません。
第5章 「「やさしさ」は福島のためか」
ここで怖かったのは、中学生への授業で生徒を科学的根拠に基づかずに「ALPS処理水」を「汚染水」と表現、誘導させるような教育が行われている可能性があることです。教師による思想教育の怖さを考えさせられました。逆に、ALPS処理水についての地元高校生などが科学的事実を学び伝えようとする様子を、「高校生を利用したPR」だとする反原子力団体の存在も炙り出しています。
よく、「地獄への道は善意で舗装されている」といわれますが、メディアや教育を通じて、もしくはアジテーションによって、知らず知らずのうちに一般の人々の「善意」や「やさしさ」が「風評加害」になってしまうことの恐ろしさもこの章からは感じ取れます。
第6章 「はずれた予言がもたらすもの」
この章では宗教団体とのやりとりがメインですが、「中世の聖職者が物質主義に異を唱えたように・・・「皆で貧しくなろう」的な主張を公言するインテリはこれまで無数に見られてきた。」という部分は印象的でした。
エネルギー問題や地球温暖化問題の解決の最終目的は、「現在生きる人間が(精神的にも物理的にも)より豊かで安全な生活を送ること」のはずです。貧乏になると科学技術も衰退し、豊かで安全な生活を送るのが難しくなってしまいます。現在生きる人間が貧乏になると、未来に生まれてくる子供たちも不幸になりますし、もしかしたら生まれてこなくなるかもしれません。宗教は主に精神的な豊かさを人間にもたらすものだと思いますが、物理的な豊かさとトレードオフの関係にあるわけではないということを再認識させられました。
終章 「能登半島地震と情報災害」
この章では、「風評加害者」に対してどう対処していけば良いのかの対応が示されています。それらは、
- 政府や行政機関が正確な情報発信に留まらず、積極的に「反論」をしていくこと。
- 一般人もSNSなどを駆使して反論すること。弱者に寄り添う「やさしさ」を装いながら、実際には風評を広めたり、当事者の自立を阻(はば)んだり、問題の解決を遅らせているような人々に対しては、ファクトとエビデンスを示したうえで、「風評加害者」と指摘すること。
- 社会を希望で照らすこと。これが一番重要で、なぜなら、災害時など、生命の瀬戸際にある人間を最後の最後に繋ぎ止めるのは「希望」だから。
おわりに
「おわりに」では、「個人や組織が自ら誤りを認め、軌道修正する勇気が求められる。社会側にも、人の過ちと謝罪を許容できる社会の寛容と冗長性」が必要との提案。これは、まさしくネガティブケイパビリティのことで、僕もその「おわりに」に共感しています。
言論プラットフォームアゴラで紹介していただいたネガティブ・ケイパビリティに関する書評動画は
「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」帚木蓬生(著) アゴラ
【研究者の書評】與那覇 潤(著)「歴史なき時代に 私たちが失ったもの 取り戻すもの」 アゴラ
にあります。
謝辞
そして、おそらく問題視されるであろう本書を僕も豪州から購入して読むことができたので、勇気を持って出版された徳間書店の編集者の方に、僕も感謝しています。最後に、実は僕の名前も「豪州クイーンズランド大学の野北和宏教授」と謝辞に入れていただいています。これは、前作「『正しさ』の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か」の書評動画に対してだと思いますが、僕は誰にも忖度することなく、思ったまま、感じたままに書評を動画にしただけなのに、謝辞に入れていただき、すごく光栄に思っていることろです。
『「やさしさ」の免罪符』 脚注・参考資料集は、以下のリンクにあります。
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豪州クイーンズランド大学・機械鉱山工学部内の日本スペリア電子材料製造研究センター(NS CMEM)で教授・センター長を務めているノギタ教授のYouTubeチャンネル「ノギタ教授」。チャンネル登録よろしくお願いいたします。