愛する能力のある人、ない人

黒坂岳央です。

人間は様々な能力があるが、「愛」はすべての人が当たり前のように持っているものと考えられてきた。しかし、冷静に考えてみれば当然の話なのだが、愛は能力であるが故に愛のある人、ない人にわかれるのだ。

このようなXの投稿がバズっていた。「愛する能力のない人に愛を求めるのはムダ」というものである。この言葉には個人的にとても腹落ち感があるのだ。

DGM007/iStock

熱狂的な推し活やファン

世の中には熱狂的な推し活、ファンが存在する。好きな相手に会うためにはどれだけ遠方でも、時間と資金と労力を使って会いに行く。また、好きな恋人が出来たら脳内が100%その人のことだけになる人もいる。その熱量の大きさにはただただ驚かされるわけだが、その原動力は途方もない愛が存在する。

愛する対象は人に限らない。場所、食、作品、歴史などその領域は多岐にわたる。自分自身は文章である。面白かったり興味深い文章に対しては驚異的な熱がこもることがある。動画ではこうしたことは起きない。普段はスマートウォッチを使って、睡眠時間を神経質に毎日計測して夜の9時台に寝ているのに、一度深くハマる文章に出会うとダメになる。寝不足になっても読むのをやめられなくなる。好きな作家は何十年でも追いかけ続け、世に出す作品は出た瞬間にすべて読むということをしてしまう。

思うに件の文脈における「愛」とは、人を対象に向けられる熱量の多寡を指している。確かに人によって熱量も違えば、向けられる対象も違う。万人が人に対する圧倒的な熱量を必ずしも持ち合わせているとは限らないのだ。

天才や偉人は人嫌い?

自分は歴史の偉人や伝記を読むのが好きなのだが、こうした人物の仰天エピソードに「人嫌い」が取り上げられることが少なくない。彼らは熱量がすさまじいが、それが人に向けられることは少ない。

たとえ結婚をして子供を設けても持ち時間のすべてを仕事や創作にあてており、自宅には寄り付かず仕事場やアトリエで生活をする。ある時、事情があって久しぶりに帰宅すると強盗と間違われて奥さんから銃を向けられてしまった、みたいな逸話もある。

仕事以外の人間関係はすべてシャットアウト。人間は仕事や創作のじゃまでしかない、と言わんばかりである。彼らは常人離れした熱量を持っていたが、人間ではなく仕事や創作に向けていたのだろう。仕事への愛を人に向けよ、といってものれんに腕押しである。

熱がなければ愛せない

世の中にはそもそも、熱がない人がいる。そうした人は熱狂的にハマるということはなく、淡泊でいつも冷めている様子を見せる。でもそれはダメだというわけではない。それもその人の個性で、その人なりの幸せの形を持っているのだ。また、「自分には愛する能力がない」と信じて中年期になった男性が、地下アイドルにハマって人生始めて爆発するような推し活を始めるという事例もある。これも「愛は能力」という概念で説明できるだろう。

問題が起きる時、それは「人を愛する能力」をすべての人が有している、という思い込みで人と接してしまうことだ。人を愛するのは一つの能力なのだ。よしんば愛があっても、人に向けたい価値観があるとは限らないのである。

世の中には人を愛する力もある人、ない人がいる。ごく当たり前でわかっていたはずなのに忘れてしまっていた。Xの投稿にハッと思い出させれた気持ちになった。

 

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