映画「オッペンハイマー」(以下、「映画」)に係る3本目の論考を書く。1本目は封切り前にオッペンハイマー博士(以下、「博士」)とソ連の「原爆スパイ」に搦めて「映画」の内容を予想したもの、2本目は「映画」を観た後の感想だった。
本編では「映画」を機に日本国民が考えるべきことを書く。
先日、2度目を見に行った。2本目で『原子力は誰のものか』と『ヴェノナ』を読んでいた筆者にとっても、登場人物が沢山いて解り難かったと書いた手前、再度確かめたかった。原子力委員会委員長ストローズ(ストラウス)の回想録『真珠湾から核実験まで』(時事通信社 以下「ストローズ本」)を読んだせいもある。
その2本目で、『井川忠雄関係文書』で知っていた筆者のストローズ像とかなり異なる「映画」の脚本を「首肯しかねる」と書いた。その時は「ストローズ本」を知らなかったのだが、後でフーバー元大統領の『裏切られた自由』を読み返していたら、脚注に『Men and Decisions』(「スローズ本」の原著)としてあるではないか。
フーバーの盟友だったストローズは、旧知の井川忠雄をして日米交渉に導いた陰の人物でもある。そのストローズの回想録を読まない訳にはいかないとAmazonで探すと、何と15000円の値が付いていた。因みに『原子力は誰のものか』も45000円の超高値だったが、こちらは4月下旬に復刻される。これも「映画」の威力か。
大枚を叩いた「ストローズ本」は、訳者に依るとストローズが62年に編んだ、500頁余り全19章の回想録『Men and Decisions』のうち、「日本人にとって興味深く関心の強い」(訳者)第1〜5章までを翻訳したもので、63年に初版2000部が200円で刊行されていた。
以下、「ストローズ本」も参考にしつつ「オッペンハイマー事件」(以下、「事件」)をなぞってみる。
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原子力委員たちが、グレイ査問委員会の速記録、同委員会の多数派・少数派の裁定、原子力委員会ニコルズ事務総長の勧告、そして「博士」側弁護人の最終弁論などを入手して、原子力委員会顧問としての「博士」の資格認可について検討し、再認可しないと裁定した、というのが「事件」の骨子だ。
「博士」は、グローブス将軍が責任者を務めた、米英加の科学者・技術者を総動員した米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」のロスアラモス研究所長だった。グローブスは、原子力委員会が「事件」に関して設置したグレイ委員会の聴聞会で1954年5月に次のように述べている。
1943年に直面した一切の事情を考慮してオッペンハイマー博士の資格を認可したことを悔いてはいないが、現在の「原子力法」の諸条件の下では、博士の資格を認可しないだろう。
「マンハッタン計画」に関わる人物の資格認可は、国防と安全保障を危険に陥れないことを確認し、その人物の性格、交渉範囲、忠誠などを基礎として原子力委員会が行い(「原子力法」46年制定)、更に、被雇用者の雇用継続が国家安全保障の利益に明確に合致することの保証を求めている(「大統領令第10450号」)。
当時、グルーブスの部下でマンハッタン管区技師長代理だったニコルズは、原爆開発にかけがえない人物だった「博士」は、いわば「危険を覚悟」で所長に選ばれたと「覚書」に書き、ストローズも、保安将校たちが資格認可に反対したため、「博士」が計画に参加してから数ヵ月経った43年7月に私自身が認可に署名したと述べている。
回想録が往々にして潤色されることを勘案しても、「ストローズ本」を読む限り、彼と「博士」に「映画」のような敵対関係は窺えない。ストローズは、「博士」と意見は対立したが個人的な敵意はなく、互いの宅に滞在し合ったとし、また国防上の理由で顧問資格の再認可はしなかったが、他の高等研究所長への再任を支持した。
原子力委員会の裁定後に「博士」擁護の議論が沸騰し、いわゆる判官贔屓の多くの投書や社説が新聞に掲載されたという。が、委員会宛のニコルズ「覚書」(グレイ委員会の裁定要約に自らの賛成意見を付したもの)を読めば、「博士」の資格を再認可しないとの原子力委員会の判断は止むを得なかったと思われる。
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検証のため、以下に「原爆スパイ」のシュバリエについて、博士が「弁明」で述べていることとニコルズの「覚書」の記述とを対照してみる。
「弁明」
私が結婚した40年当時交際していた物理学者や大学職員の中に(彼が)いた。43年初め頃私を訪れたシュバリエが、エルティントンから技術的な情報をソ連の科学者に伝えることができるか聞かれたとの話をして来たが、私は強く拒否した。彼が私の仕事に気付いていないと確信している。
「覚書」
所長をしていた43年8月、「博士」は米陸軍諜報将校パッシュ大佐に、ソ連スパイ機関のために働くシュバリエが原爆情報を入手する目的で接近してきたことを詳しく打ち明けた。現在(54年)の「博士」の話が正しいとすれば、43年に虚偽の陳述をしたことになる一方、43年の話が正しいとすれば、シュバリエがスパイ犯罪に連累していたことになり、「博士」自身に重大な影響が及ぶ。
が、43年8月の会見記録を再検討した結果、「博士」が今述べていることが正しいと結論するのは難しい。また、46年にシュバリエ自身が連邦捜査局に語ったことを彼から聞いた直後に、「博士」が現在話している内容を語り出したことを想起すべきだ。「博士」とシュバリエが口裏を合わせたのである。
更に「博士」は、53年12月に至るまでシュバリエと親しく交際するという、資格認可に適するかどうかが疑われることを続けていた。シュバリエは「博士」の資格認可の件でパリの米国大使館と接触していたが、その際、パリでシュバリエと会っていたことを、「博士」は54年の聴聞会まで明らかにしなかった。
私(ニコルズ)の考えでは、シュバリエ事件に関する「博士」の振る舞いは、彼が当てにならぬ、信頼できない人物であることを示している。「博士」の証言は、彼がパッシュ大佐との会見または査問会で、故意に事実を偽り伝えたことを物語っている。この様な行為は犯罪的な、不誠実な行為である。
ニコルズは「覚書」の結論を次のように書いている。
私は博士の生涯の記録や過去の諸貢献、あるいは将来国家のために貢献できることなどを、博士の資格認可を続ける場合に生ずる保安上の危険と良心的に比較考量してみた。そればかりか、私は我が国が共産主義および共産ロシアと戦っている冷戦の性質や、我が国が全面戦争を余儀なくされた場合の恐るべき水爆戦争の見通しをも考慮した。その結果、国防または安全保障を危険に晒す人物、あるいは雇用し続ける場合、国家安全保障の利益に明確に合致しない人物を機密の仕事から排除すべきだという結論に達しない訳にはいかなかった。オッペンハイマー博士の資格を再認可すべきでない。
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折しも日本政府はこの2月末に「セキュリティクリアランス」(「SC」)を閣議決定した。NHKはこれを、経済分野の重要な情報を取り扱う人の身辺調査を行う新制度で、国の安全保障に関わる重要情報にアクセスできる人を、国が「外部に漏らすおそれがない」と確認し「お墨付き」を与えた人に限定する制度、と解説する。
経済分野が「SC」だとすれば、防衛や外交、スパイ、テロなどの分野で、特に秘匿が必要な情報を「特定秘密」に指定し、アクセスできる人を限定する法律が「特定秘密保護法」だ。10年前の14年12月、第2次安倍内閣の時に成立・施行された。
「オッペンハイマー事件」は、まさに国防と安全保障の観点から、「マンハッタン計画」に関わる人物の資格認可を、原子力法と大統領令に基づいて検討した結果、「博士」を再認可しないと裁定した事件であり、「博士」が「原爆スパイ」クラウス・フックスのように逮捕され、懲役刑(14年)に処された訳ではない。
目下、市井では「映画」をきっかけに「博士」への同情論や原爆の是非論が盛り上がっている。この種の議論は「事件」の当時から尽きないが、ストローズは次のように書いている。
強力な在来兵器が存在していたにも拘らず、二つの世界大戦を防ぐことが出来なかったのに対し、核兵器の方は少なくとも本書を執筆している時点(62年)まで、世界戦争を防止する役目を果たしている。・・核兵器にこうした性格を与えたのは、その恐るべき破壊力である。
筆者はケネス・ウォルツの「核の拡散抑止」支持なので、ストローズの言い分に賛成だ。ここ80年来の「核廃絶」論は、核保有国が安保理常任理事国である以上、実現し得ない。それよりも、「映画」を契機に国内の論議が、共産主義の脅威やスパイ防止の法整備に向かうことの方が好ましかろう。