「オッペンハイマーと『原爆スパイ』」と題した拙稿を書いた手前、ようやく封切られた「オッペンハイマー」(以下「映画」)を、拙稿を読んでくれた友人と鑑賞した。観終わった彼の弁は、「最初の1時間余りは何が何だか判らなくて眠りそうだった。後半は、眠くなることはなかったが理解したとは言い難い」。
正直な感想だろう。先の拙稿が少々マニヤック過ぎたか、予備知識としての役に立たなかったようだ。オッペンハイマーのことも原爆スパイのことも、それなりに詳しく調べたことのあるつもりだった筆者にとっても、理解しづらい構成と内容だった。その理由をいくつか考えてみた。
構成
一つ目。物語は1940年代前半から50年代半ばまでの出来事だが、まず54年の聴聞会から始まって、40年代前半のロスアラモス研究所設立当時に逆戻りする。その行きつ戻りつが繰り返されるために、時代が交錯して事の後先が混乱してしまう。カラーと白黒の映像が入り乱れることにも困惑する。
二つ目は、日本語の字幕が簡略過ぎること。長過ぎては読み切る前に次のシーンに変ってしまうから、内容が理解できるなら字幕は短いに越したことはない。が、「映画」には登場人物が大勢出てくるのに、名前が字幕に一度も出て来ない人物もいた。例えば、2~3度登場するスティムソン陸軍長官だ。
彼は、ルーズベルトの突然の死によって副大統領になってたった80日後、偶然大統領に就任したトルーマンに原爆開発の存在を教えた人物だ。45年7月16日の原爆実験成功の報を、会議に臨んでいたトルーマンにポツダムで伝えもした、原爆に纏わる最重要人物の一人である。
「投下目標は12ある、いや11だ。文化財のある京都は外す」とだけ口にする人物の字幕を見て、それがスティムソンだと判る歴史好きもいるだろう。が、そうでない方は、おそらく彼が誰だか判らないまま帰ることになる。登場人物それぞれに名札を付けてもらいたい、とつい思った。
そこへゆくと、グルー国務長官代理の手になるポツダム宣言の草稿から「皇室の存続」を保証する文言を削った(原爆を投下するまで日本に同宣言を受諾させないため)バーンズ国務長官は、オッペンハイマーがトルーマンを訪ねた際に大統領執務室にいて、トルーマンが紹介した字幕に名前が出たので、バーンズを知らない者でも認知出来たはずだ。
三つ目。これは二つ目とも関連するが、セリフの音量よりも効果音のそれがより大きいために、英語のセリフが聞き取りづらいこと。仮に聞き取れても内容の理解はできないかも知れぬが、人名くらいは聞き取れよう。だがこの不都合は字幕を読むからこそのこと、ネイティブスピーカーには生じまい。
意図
ロバート・ダウニーJr.が演じる「原子力委員会委員長ストローズ」を、主役のオッペンハイマーを食ってしまうほどの比重で描いている。「映画」の意図の一つをここに見る。「ストローズ」の独語読みは「ス(シュ)トラウス」、偶さか筆者は、この人物を戦前の日米交渉の陰のキーパーソンとして知っていた。
日米戦争を回避したい近衛文麿は、ルーズベルトとの非公式交渉を一高の同級で東大から大蔵省に進んだ井川忠雄(1893–1947)に委ねる。井川は横浜正金銀行への出向や外債発行に携わった関係で、ユダヤ金融財閥の雄「クーンローブ商会」の重役の一人だったストラウス(1896–1974)と懇意だった。
ストラウスは、ドラウトとウォルシュなる牧師二人を井川に紹介し、1940年春に日米交渉が始まる。日本側は通訳役の井川に野村駐米大使と岩畔陸軍大佐、米国側は両牧師にハル国務長官、ウォーカー郵政長官が加わった。が、交渉は1941年半ばに頓挫し、近衛とルーズベルトの会談も幻に終わる。
ストラウスの岳父は「クーンローブ商会」の立役者ヤコブ・シフ(1847-1920)の同僚重役ハノウェルだ。シフは高橋是清(1853-1936)が日露戦争の戦費調達で米欧を回った際、その外債の半分を購入して日本を応援したユダヤ人で、フランクフルトのゲットーでロスチャイルド家と軒を並べていた人物だ。
是清は、シフは帝政ロシアが行ったユダヤ人迫害(ポグロム)の意趣返しで日本を応援したと『自伝』(中公文庫)に書いている。そのシフの後継を自認するストラウスが、日米の開戦を避けようとの思いから動いたと筆者は考えている(参考拙稿「今日に繋がる『高橋是清自伝』3つのエピソード」)
ストラウスはまた、ハーバート・フーバー(1874年- 1964年)の個人秘書を1917年から19年まで務めており、二人は肝胆相照らす仲だった。フーバーは29年から一期だけ大統領の座にあった、共和党の保守派を象徴する人物の一人だ。彼の『回顧録』(草思社)の83章「日本に対する原爆投下のもたらしたもの」にはこう記されている。
日本に対して原爆を使用した事実は、アメリカの理性を混乱させている。世界中の頭を使って考える人々の理性を困惑させている。原爆使用を正当化しようとする試みは何度もなされた。しかし、軍事関係者も政治家も、戦争を終結させるために原爆を使用する必要はなかったと述べている。
執務室を訪れて涕泣するオッペンハイマーに、トルーマンは胸のチーフを差し出しつつ「責任は開発した者ではなく、落とした者が負う。それは私だ」と言う。が、部屋を出たとたんに罵声が響く辺り、短いカットでトルーマンの実像を炙り出す。「映画」にはないが、トルーマンは「正当化」の釈明をスティムソンに何度も書き直させた。
ストラウスを原水爆推進派に擬することで、「映画」は広島・長崎を契機に原水爆開発の推進に懐疑的になるオッペンハイマーと対立する人物としてハイライトする。筆者はこれに首肯しかねるが、オスカー7部門を獲得したところを見ると、こういう筋立てが赤く染まったハリウッドで支持されるのだろう。
井川は『日米交渉史料』(山川出版社)の「回想」「ストラウス」の項で、是清とシフの来歴に触れた後、大要こう記している。
自分(井川)が大正9年に紐育に赴任する時、高橋是清、若槻礼次郎の両大先輩から異口同音にこう言われた。第一次大戦後の情勢より判断すれば、当分紐育市場での日本の諸対策は英国系モルガン商会を中心に樹てねばなるまいが、この先どうなるか判らないからクーンローブを怒らせてはならないと。
交渉が一段落ついた際、岩畔大佐とストラウス夫妻を訪ねた。この頃は交渉が公知となっていたからか、ストラウス夫人には(民主党ルーズベルト政権の)国務省官僚の空気がどうも面白くないとして、国務次官ウェルズや極東局顧問ホーンベックらの態度を警戒すべきで、特に前者は本交渉の電撃を夫妻に向かって豪語していた、との注意が与えられた。
ストラウスやクーンローブ商会のこうした日本に対する姿勢から、筆者は「オッペンハイマー」のストラスの描き方に不満を覚えるのだが、「映画」の意図がそこなら仕方ない。結論に進む。
冒頭に触れた拙稿で、主なテーマは「原爆スパイ」とは別のようだ、と書いた筆者の予想は外れた。拙稿で名前を挙げたシュバリエとエルティントンの他にも、党員経験のある妻や弟夫婦、愛人のタトロック、クラウス・フックスらのスパイが登場し、ロマニッツもロスアラモスで重要な任務を担っていた。
映画「オッペンイマー」は日本でもきっと多くの観客を集めるだろう。が、米国並みの高評価を得るかと言えば疑問が残る。理由は縷説した通りで、構成が複雑だし、原爆スパイについての予備知識抜きには理解しづらい一方、知識がある者には筋立てが少し違うんじゃないか、との異論を抱かせる。
一緒に観た友人は、「オスカー7個って、アメリカ人はこの辺りの歴史をどこまで知っているんだろうか」とも言っていた。取り敢えず「うんうん」と同意した。