4月12日号のScience誌に「A university cut tenured faculty’s pay. They’re suing」という記事が出ている。タフツ大学がTenure(テニュア=任期のない)職員の年俸を減額したことに対して、減給された職員たちが不当だと訴えた裁判についての記事だ。
大学でいつまでも働くことのできるテニュア職員になるのは容易なことではない。日本のように60歳や65歳で定年を迎えると大学を去る必要もない。多くの大学や研究所では、定年を迎えると役職には就けない規定になっているのだが、教授としてのポジションで研究活動を続ける気になれば、いつまでも働き続けることができる。
タフツ大学の2017年に改定された規定によると、テニュア職員は自分の給与の半分を外部資金(研究費)でカバーしなければならないそうだ。
当然、外部の研究費を獲得できないと、この規定によって年俸を減額されるのだが、減給を受けた8人の教授が、この規定を不服として裁判所に訴え、そして、退けられたという。この8人は1970年から2009年の間にテニュア職になったと記載されていた。1970年というと今から54年前だ。当時40歳とすると今は94歳だ。
日本の大学でも、厳しく定年制を維持している大学と、教授がいろいろな形でズルズルと居座るのを容認する大学があるが、テニュア制は基本的には本人が自らやめると言わない限り、教授職を維持することができる。
私は優秀な教授が教育や研究を続けることはいいことだと思うし、現に、私の友人のネオアンチゲン治療の提唱者のシカゴ大学ハンス・シュライバー教授は80歳になったが、意気軒高で頭もシャープだ。「〇〇年に●●が何をした」という記憶力は今でも完璧だ。
日本では定年後は、純粋に研究を続けたい功績のある研究者を定年後にも残す方向性に変わっては来ているが、自分の政治的権力を維持することに固執する人が少なくないので、これは大きな弊害だ。と、私が言っていいかどうか疑問だが?念のために言っておくが、私の人生設計では、今頃、沖縄の美しい海を眺めながら、余生を送っているはずだった。
しかし、話を戻すと、テニュア制度が見直される方向性は続くと思う。平均寿命が(コロナ感染症流行時は別として)延びてきている中では、テニュア教授の数は増え、大学は必然的に経済的負担が大きくなってくる。
今回、訴訟を起こしたのは臨床系ではなく、基礎系の医学研究者のようだが、研究を行っている69の大学からなる大学協会は、「原告の言い分を認めると、大学は経済的破綻につながる」「生産性の低いテニュア教授は、給料を下げても然るべき」と声明を出しているようだ。
日本でも「生産性」という言葉で政治家が糾弾されたが、過去の実績も顧みず、「研究費を獲得していない=生産性が低い」を言うのは腹立たしい。
こんなに年寄りに敬意が払われず、「歳をとると」生きにくくなる社会でいいのだろうか?
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編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2024年4月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。