嫌悪に訴える論証

嫌悪に訴える論証

Appeal to disgust / Wisdom of repugnance

論敵への嫌悪感を根拠に論敵の言説を否定する

<説明>

「嫌悪に訴える論証」とは、嫌悪を感じる論者の言説を否定するする誤謬です。哲学者の中島義道氏は、個人が他人に対してもつ一連の【負の感情 negative emotion】として、【不快 displeasure】【嫌悪 disgust】【軽蔑 comtempt】を挙げています。

このうち「不快」は受動的な負の感情であり、必ずしも合理的ではないものの、自分にとって【リスク risk】を感じる他者の行動 behavior】【状態 stateに対して発生します。不快の激しいものが【怒り anger】です。これらの感情の目的は他者の行動・状態の【改善 improvement】にあります。

個人が不快の感情を持つことは至極自然であり、これを統制することは内心の自由の侵害に他なりません。しかしながら、不快を無制限に肯定することは【差別 discrimination】を肯定することに繋がります。現在の社会規範に反しているのは、人種・国籍・門地・性別・障害といった個人の努力では変えることはできない【属性 property】を「状態」と見なして不快感を表出することです。

そもそも、変えることができない状態に不快感を表出することは、不快の目的を逸脱するものです。この場合に必要なことは、差異をなくすことではなく、それぞれの差異を認めた上で、同一の権利・義務・可能性をもつことを認めることです。

次に「嫌悪」は能動的な負の感情であり、「行動」「状態」ではなく特定の【個人 individual】を「嫌うべき対象」として意味づけてしまうことです。嫌悪の激しいものが【憎悪 hate】です。人は、特定の「個人」の不快な「行動」「状態」を改善することができないことを確信すると、その特定の「個人」を嫌い、憎むことになります。嫌悪の目的は特定の「個人」の回避 avoidanceにあり、憎悪の目的は特定の「個人」の【排除 exclusion】にあります。

不快と同様、個人が嫌悪の感情を持つことは至極自然であり、これを統制することは内心の自由の侵害に他なりません。

しかしながら、嫌悪を無制限に肯定することは差別を肯定することに繋がります。人種・国籍・門地・性別・障害といった個人の努力では変えることはできない「属性」をもつ特定の「個人」あるいは「集団」に対して、その「属性」を根拠に嫌悪感を表出して回避する行動は社会規範に反しています。

さらに「属性」を根拠に憎悪感を表出して排除する行動は「ヘイト行為」と認識されています。法の支配する法治国家で、特定の「個人」を排除するには、当然のことながら法的根拠が必要です。

さらに「軽蔑」は、上から見下して嫌悪する感情です。ここに上下関係が発生します。軽蔑の激しいものが【差別 discrimination】です。軽蔑・差別の目的は、議論の余地なく相手の劣等を確定して【拒絶 rejection】することです。再チャレンジを認めない【キャンセル・カルチャー cancel culture】のメカニズムはここにあります。

不快感をもつことは人間のリスク認識の本能であり、その経験から不快の対象を特定する人間のリスク回避の本能が嫌悪感であると解釈することもできます。「嫌悪に訴える論証」は、このような人間の本能に訴えて、嫌悪を感じる論者の言説を帰納的に否定するものです。しかしながらこのような直感による帰納推論の蓋然性は弱く、演繹推論として妥当ではありません。「嫌悪に訴える論証」は明白な誤謬です。このような思い込みの繰り返しが軽蔑となり、差別へと繋がっていくのです。

誤謬の形式

A氏には嫌悪感があるので、A氏の言説は偽である。

<例1>

A候補の選挙演説:B候補は過去に不倫をしました。不倫をするような人物の言うことなど信じられません。B候補を絶対に落選させなければいけません。

選挙におけるネガティヴ・キャンペーンは、政敵に対する人格攻撃などで嫌悪感を引き出して、その言論を否定するものです。「嫌悪に訴える論証」は論点相違の誤謬でもあります。

<例2>

SNSインフルエンサーA:税を下げるべきだ(ポスト)
SNSユーザーB:税を下げるべきではない(ポスト)
SNSインフルエンサーA:Bは好かない奴だ(ポスト)
SNSユーザーB:誹謗中傷はやめて下さい(Aへのリプライ)
SNSファネルC:お前こそヤメロ(Bへのリプライ)
SNSファネルD:クズ(Bへのリプライ)
SNSファネルE:無理(Bへのリプライ)
SNSファネルF:必死だね(Bへのリプライ)
SNSファネルG:拝金主義(Bへのリプライ)
SNSファネルH:嫉妬www(Bへのリプライ)
SNSファネルI:粘着はよせ(Bへのリプライ)
SNSファネルJ:まだいた?(Bへのリプライ)


SNSの【エコー・チェンバー echo chamber】はしばしば嫌悪と憎悪に溢れた集団であり、【インフルエンサー influencer】が「嫌うべき存在」「憎むべき存在」を示唆する犬笛を吹くと、【ファネル funnel】がその存在を回避・排除するべく攻撃するというパターンが散見されます。このエコーチェンバーがさらに過激になると、軽蔑と差別に溢れた集団となり、インフルエンサーが上から目線で「嫌うべき存在」「憎むべき存在」を非難し、ファネルがその存在を上から目線で回避・排除するべく攻撃するというパターンに変化します。以上は精神的暴力に他なりません。

 

<事例>お前は人間じゃない

<事例>国会前デモ集会2015/08/30

山口二郎氏:皆さんこんにちは、山口です。安倍首相は「この安保法制、国民の生命の安全のため」と言っていますが、こんなものは本当に嘘っぱち。まさに生来の詐欺師が誠実を語るようなものであります。安倍政権は国民の生命安全なんてこれっぽっちも考えていない。それが何より証拠には、先週、福島原発事故の被災者に対する支援の縮小を閣議決定しました。「線量が下がったからもう帰れ」「これ以上逃げるのはお前らの勝手だからサポートはしない」これは本当に人でなしの所業です。

昔、時代劇で萬屋錦之介が悪者を退治するときに「てめーら人間じゃねえ!叩き斬ってやる!」と叫びました。私も同じ気持ち。もちろん暴力を使うわけにはいきませんが、安倍に言いたい。お前は人間じゃない。叩き斬ってやる。民主主義の仕組みを使って叩き斬りましょう。叩きのめしましょう。

我々のこの行動、確実に、与党の政治家を圧迫し、縛っています。与党がやりたいこと、次から次へと先送りしてこの戦争法案に最後の望みをかけていますが、我々の力でこの安倍政権の企みを粉砕し、安倍政権の退陣、これを勝ち取るために、今日の二倍三倍の力でもって、一層戦いを続けていこうではありませんか。皆さんのこれからの努力、我々の協力をお誓い申し上げてわたくしの挨拶と致します。ありがとうございました。

安保法制に対するデモ集会において、山口氏は、安倍首相に対して極めて強い嫌悪感を根拠にして安保法制を否定しました。「叩き斬ってやる」という排除を示唆する言葉を投げかけていることから、「嫌悪」というよりも「憎悪」と考えるのが妥当かもしれません。

情報操作と詭弁論拠の誤謬感情に訴える論証嫌悪に訴える論証

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