ゲンロンカフェで松本清張イベントに出ます(6/2)

お世話になっている五反田のゲンロンカフェで、作家の松本清張をめぐる鼎談イベントに出ます。夜開催が多い同カフェですが、今回は 6/2(日)15:00~の開催。「帰りが終電!」「むしろ朝まで?」の心配はご無用の、健康的なイベントです。公式サイトはこちらから。

オリジナルの選集『時刻表を殺意が走る』を編まれるなど、歴史研究者として屈指の清張好きで知られる原武史さん、全50作品を論じるブックガイド『松本清張はよみがえる』を今年刊行された酒井信さんという「プロ」のお二人に混じって奮闘しますので、ぜひご来場ください(もちろん配信もあります)。

酒井さんとは昨夏、やはりゲンロンカフェで司馬遼太郎と対比しながら清張を論じるイベントもありましたので、さらなる発展形としても楽しんでいただけると思います(たぶんだけど、再配信あるんじゃないかな)。

2023年8月イベントのパワポより。
なお清張は「出生地」は広島、「地元」が小倉が正確なようです

実は同イベント以来すっかりハマってしまい、時間が空くと清張ミステリーばっかり読んでまして、今年元日の能登震災に接した際にも、真っ先に『ゼロの焦点』を思い浮かべて、note を書いたりしていました。

その後、こちらの記事でもご紹介したとおり、原先生には未完に終わった遺作の結末を「推理」する研究もあるので(『松本清張の「遺言」』)、私もイベントのために清張の同作に飛びついたのですが、いや、これは実に面白く深い「昭和史」です。

平成初頭の1990年から連載された『神々の乱心』は、軍靴の音が高まる30年代前半の日本が舞台。構造としてはW探偵ものなんですが、ひとりは特高警察の刑事で、もうひとりは華族の次男坊の高等遊民。

貧しい家庭で苦労し、共産主義者だと疑われて拷問されたこともある清張さんからすると、絶対嫌いなタイプを二人も主人公に起用している。そうすることで、あらゆる日本人にとっての「昭和なる体験の本質」はこれだ! というものを示す意気込みだったのだと思います、たぶん。

月辰会なる(架空の)カルトが、宮中や軍上層部に浸透を始めており、そのルーツはどうやら満洲にあるらしいことが二人の捜査で見えてくる。途中で舞台が過去(張作霖時代の満洲)に飛び、教団のはじまりが明かされるシーンに、こんな描写があります。

〔吉林の日本人会の〕会長はちらりと横倉を見た。それからすこし躊ったあとで答えた。
「じつは、江森警部補もそういう調略を使われていたようです。あのくらい討伐に頻繁に出ていると、馬賊と顔馴染みになり、ふしぎに自然と親しみが湧くものらしいです。ちょうど内地でも、やくざ担当の警官がやくざの一部と友だちのようになって組織の内情をつかむのと似たところがあります
(中 略)
しかし、馬賊で江森巡査部長を憎む者がいたのです。江森は仲間に裏切りの内通者を作った悪い奴だ、ああいうやつを生かしておけば味方の組織がガタガタになるとね。江森さんは長白山の森林の中で狙い撃ちにされたのです。それも内応者と話しているときだったらしく、内応者もいっしょに射殺されています」

『神々の乱心』文春文庫・下巻、110-111頁
強調は引用者

帝国主義の先端での植民地的な「統治」のあり方を、警察が暴力団を飼いならす様子と重ねて理解するのが清張さんらしいセンスですが、色んなことを考えちゃいます。日本人の警察官に内応し、相互に利用し合ってそこそこに共棲しようとする馬賊の内応者とは、後の用語でいえば「親日派」。

で、そういうダーティな共存はあってはダメで、純粋な「正義」だけが圧勝し100パーセント敵を排除するべき! と唱える人が、帝国の側にも抵抗する側にもいる。でも彼らが近代的かというとそうでもなく、権力を握ると妙にファナティックで、宗教がかって、「これなら前の方がマシだった」みたいな事態を起こしたりする(長白山の周りにも、いまそういう国があります)。

有史以来初めて、アジアへの大膨張を続けた果てに破綻した近代日本の「闇」の源泉を、そうしたところに求めていたのかなと、『荒れ野の六十年』でちょっと重なることを書いた者としては、改めて思ったりもします。

この拙著、1冊売れるごとの印税なので
買ってください(迫真)。
Webで読める書評も
朝日読売nippon.com
そして最初の担当編集者のものがあります

そんな意識を持ちつつ、いま松本清張をどう読むべきか、より詳しいお二人の胸を借りつつ掘り下げる会にできればと思います。多くの方のご参加をお待ちしております!


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年5月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。