デューイの「沈黙」が生んだFDRの4選

投票日まで半年を切った米大統領選の話題は、トランプがバイデン政権による「司法の政治化」と難じる4つの訴訟が話題の中心になっている感がある。選挙戦はもっぱら批判合戦の態で、国益のために一致結束して事に当たるといった姿勢は、ウクライナや中東の戦争対応にすら窺えない。

そこへ行くと、今を遡る80年前の1944年に民主党ルーズベルト(FDR)と共和党デューイが争った大統領選の裏には、一致結束して事に当たったこの共和党候補の政治生命を賭した沈黙があった。時あたかも第二次大戦の最終盤、それには41年12月の日本による真珠湾攻撃が関係していた。

筆者は19年3月の拙稿で、日本の外交暗号「パープル」と「JN-19」、海軍暗号「JN-25」のうち「JN-25」だけが米国による解読成否が不詳だったが、NSAが07年に公開した文書に、解読に成功した英国のチャーチルが41年11月26日、FDRに真珠湾攻撃の可能性を伝えたとの記述があると書いた。

このことは、FDRが真珠湾攻撃を事前に知っていたことの極めて有力な証拠であり、また同文書には、米国によるJN-25の解読は42年2月とも書いてあることから、42年6月のミッドウェー作戦が「パープル」と「JN-25」の解読によって米国に筒抜けだった可能性にも触れた。ここまでのことは既に人口に膾炙していよう。

左:ルーズヴェルト 右:デューイ
Wikipediaより

そこで80年前の6月のことになる。真珠湾攻撃を逆手に取った「Remember Pearl Harbor」を合言葉に米国民を結束させたFDRは、自称を「Dr. New Deal」から「Dr. Win the War」に変えて4選を目指した。一方、対応馬のニューヨーク州知事デューイには、FDRの容共姿勢と健康問題ぐらいしか攻撃の材料がなかった。

デューイ陣営には、真珠湾での不手際の咎で解任されたショート将軍とキンメル提督、そして左遷されたスターク提督の擁護論を展開すべきだとの論があった。が、大勢は対日戦が継続中ゆえ控えるべき、との声だった。そこへ6月、議会が陸海両省に真珠湾の大惨事の原因調査を命じる法案を可決した。

法案に基づき、スティムソン陸軍長官やマーシャル陸軍参謀総長らを含む陸海軍合わせて190名の証人喚問が行われた。その結果、米国民の間には、暗号解読者がFDRに真珠湾奇襲の可能性を事前に伝えていたのではないかとの噂が流れた。デューイ自身もまたFDRによる事前の暗号解読を確信した。

そして9月半ば、フォレスタル海軍長官がFDRに、「デューイが演説でパールハーバーに言及するとの情報がある」と伝えて来た。これを聞いて動いたのがマーシャルだった。彼は日本軍が真珠湾以降も暗号を変えていないことの公表が生じさせる影響を、デューイが全く理解していないことに仰天したのだ。

連合国側にとって、大島駐独日本大使が東京に電信を送り続けていた、ヒトラーの計画を満載した真珠湾以来の暗号電文は宝の山だった。が、FDRが真珠湾奇襲を知っていたことをデューイが公然と演説した日には、欧州のアイゼンハワーの任務が更に困難なものになるとマーシャルは直感したのだった。

熟考したマーシャルはデューイに手紙を認めた。手紙の添え書きにはこう書かれていた。

親愛なる知事殿

この手紙に関してはキング提督以外の者には相談しておりません。キングと私はパールハーバーを調査する議会の政治的な反発にどのように対応すべきか準備しています。

私が貴殿に申し上げる事柄は最高機密に属するものです。貴殿が手紙の内容を他の誰にも知らせず、読み終えたら返却するか、あるいはこれ以上は読まずに使いの者にこの手紙を返すか、どちらかを選んで頂きたくお願いいたします。

デューイは手紙を持参した使者に、これ以上は読まずに返却すると告げた。そして手紙の意図を知っているかのように、珊瑚海やミッドウェーの戦いの前に破られた暗号を使い続けるほど日本は愚かではないとも述べ、FDRは出馬を取りやめて弾劾に備えるべきだとも口にした。

デューイは二日後、同じ使者から新たな添え状付きの同じ手紙を受け取った。彼が、沈黙を守るという要請には答えられないこと、手紙の写しを保存したいこと、の二つを告げると、使者はその場からマーシャルに架電して申し出を伝えた。マーシャルはそれに同意し、電話口のデューイに要旨こう述べた。

  • 大島駐独大使と東京のやり取りは、現在も「真珠湾」当時と同じものである
  • 珊瑚海とミッドウェーの方針は、日本の通信を傍受して決められた
  • 暗号解読のことを日独が知れば、極めて悲劇的な結果がもたらされる

デューイは暗号解読のことに沈黙した。そしてFDRが大勝した。もしデューイがFDRの暗号話を暴露していたら、結果はどうだったろうか。トランプが負けた20年の選挙でも、「ニューヨークポスト」によるハンター・バイデンのラップトップ事件のスクープを知っていたら、バイデンに投票しなかったとする有権者が大勢いた。

デューイは48年の大統領選でもトルーマンに敗れ、55年までニューヨーク州知事を続けた。が、4選はFDRをして、翌年2月のヤルタ会談で取り返しのつかない密約をさせてしまい、自身の命も縮めてしまった(4月逝去)。彼が開発に着手した原爆とヤルタ密約によるソ連参戦は日本に大惨事をもたらした。

そしてデューイを沈黙させたマーシャル。彼の共産主義への無知・無警戒が共産中国を生んでしまったことをマッカーシーやウェデマイヤーはその著書で述べている。デューイには「FDRは知らない」と述べたが、トルーマンの中国政策を忠実に実行する様子を見れば、FDRに知らせていなはずがない。

が、デューイもFDRもマーシャルも、その時に彼らが考えた自国の国益、今でいう「America First」に基づいて、一致団結して行動していたことは想像できる。ニッキー・ヘイリーもこの22日、「トランプに投票する、バイデン政権が大惨事だからだ」と述べた

【参考文献】

J・W・ジョーダン「FDRの将軍たち」国書刊行会22年11月初版
G・モーゲンスターン「真珠湾」錦正社99年12月初版(原著47年刊)
J・マッカーシー「共産中国はアメリカが作った」成甲書房05年12月初版(原著51年刊)
A・C・ウェデマイヤー「ウェデマイヤー回想録」講談社学術文庫97年7月初版(原著58年刊)