コロナ闘病記:重症化、急性肺炎、救急搬送、緊急入院、2週間

Jamie/iStock

肺破損で酸素供給生活の後遺症

コロナウイルスが感染症法第5類に移行し、油断していたら、感染し、重度の急性肺炎(後で判明)になりました。ある晩、身動きが取れなくなり、もがいていても、もがいても手足が全く動かない。そのうち朝になり、救急車の出動を要請しました。

5月12日(日)の未明から早朝にかけ、ベッドから何度も立とうとしてあきらめ、うとうととし、また立とうと、何度もトライした記憶は残っております。一生、世話にはなるまいと思っていた救急車を呼ぶことにしました。コロナが全盛をふるっていた当時と違い、10分ほどで救急車が到着、搬送先の病院も間もおかず、決まりました。隣接市の立川相互病院です。

入院は2週間でした。苦しかったのは2、3日で、ピークを過ぎ、「これで死ななくって済んだ」と、思いました。この間、体重はあっという間に4キロも落ち、筋力も削げ落ち、リハビリが必要となりました。

病名はコロナウィルスによる急性肺炎です。後に聞いたところ、重症度は10段階のうちの9段階程度で、きわめて危険な状態でした。肺が損傷しているため、身体の部位に酸素供給、血液供給ができず、脳はいかに指令をだしても、体は動かない。救急搬送されなければ、肺の損傷がさらに悪化し、1日遅れれば死んでいたかもしれない。コロナの恐ろしさを体験しました。

コロナが発症する場合、肺炎が最多で、基礎疾患部位とか炎症を起こす場所はいろいろです。急性肺炎で死亡した人は多いでしょう。私も1週間程度の闘病で、その1人になりかねなかった。

一体どこで、コロナウィルスに感染してしまったのか。5月11日(土)午後、大混雑するJR新宿駅経由で京王第2新線の初台に行き、趣味の音楽に集会(40人)に参加しました。第5類に移行して、全国5000の定点観測病院での受け入れ例の集計程度したチェックで終わってますから、私に対する病院側の質問もありません。恐らく、私の場合は11日(土)が第一段階だったのだろうと想像しているだけです。

翌12日(日)、悪寒がし、測ったら37度台なので、市販の解熱剤を飲んで休んでいましたら、36度台に下がり、安心していたところ、翌13日(月)朝、再び37、38度台に上昇し、体もだるい。「これはひょっとして」と直感し、地元の「さくら病院」の発熱外来の予約をとり、11時に診断を受けました。結果は「コロナウイルスはゼロに近い値、インフルエンザ・ウイルスも検知できない」で、すっかり安心してしまいました。

14日(火)、15日(水)は37、38度台で「安心はできないぞ」と思い、「さくら病院」ではなく、やはり地元の「国立メディカルセンター」の耳鼻咽喉科へ16日(木)の午前9時に行き、診断をうけたところ即座に「コロナウイルスにかかっている。喉の周辺に黄色の痰がびっしりついている」と、画像を見せられ、説明を受けました。

「ついにコロナか。この後、どうしたらいいのか」とショックを受けてると、医師が気軽そうに「コロナによく効く新薬がある。高いが処方しましょうか。10錠処方するので、初日は3錠、その後は1日1錠して7日で飲み切って下さい。1週で治癒しなければ、入院でしょう」と、のんびりした口調です。

私もつられて「そんなものか」と。この新薬は「ゾコーバ」といい、新型コロナの初の飲み薬として、22年11月に緊急承認されました。公定の薬価は一回(5日間)で5万1850円、3割負担の人は1万5500円です。私の場合は2割負担で1万円強払いました。

それがまったく効かない。17日(金)、18日(土)は夕食もとれず、ぐったりとしていたに違いない。この辺から記憶が途絶えています。

医療機関でのコロナの扱いは、5類以降で全く違ったのでしょう。「肺炎になる恐れがある」とか「継続して受診するようにして下さい」とも言わない。その結果が、重度の急性肺炎となり、2週間入院、払った医療費(2割の自己負担)は、約10万円でした。実際の医療費は50万円でしょうか。

自己責任の結果が医療費が増大しいくつかの後遺症もある。

次回は後遺症、帰宅後の対応について、書きます。(続く)


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年6月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。