戦略的「曖昧さ」が引き起こす不安

21世紀の今日、「曖昧さ」が恣意的に広がってきている。ハーフ・トゥルース、イン・ビトゥイーンといった中間的な立場を意味するのではなく、「曖昧さ」というはっきりとした選択肢として台頭してきているのだ。「イエス」か「ノー」か、それとも「曖昧さ」か、といった3者選択の世界だ。

米CNNはファクト・チェッキングという番組で政治家の発言の真偽を確認している。そのターゲットは主にトランプ前大統領の発言だ。正しいか、間違いか、ファクトかフェイクか、の2者選択で判断するわけだ。ここでテーマとするのは「イエス」でも「ノー」でもない第3の選択肢「曖昧さ」がここにきて主流となってきている、という点だ。

「曖昧さ」を考える場合、軍事用語の「戦略的曖昧さ」(strategic ambiguity)を考えれば一層理解しやすい。敵に対して恣意的にはっきりとした手の内を明かさない。分かりやすい例を挙げれば、パレスチナ自治区ガザでイスラム過激テロ組織「ハマス」と戦闘中のイスラエルは核兵器を保有しているか否かだ。イスラエル側は過去、一度も公表したことがない。これなどは明らかにイスラエル側の恣意的な「戦略的曖昧さ」というべきだろう。

ただ、興味深い点は、イスラエルが核保有しているか否か、完全には分からない状況下では、多くは「保有している」と考える傾向があることだ。ちなみに、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所(SIPRI)などによれば、イスラエルは約200発の核兵器を保有していることになっている。

ウクライナを侵略したロシアのプーチン大統領はこれまでも何度もウクライナや欧米諸国に対し、核兵器の使用をちらつかせている。

プーチン大統領は2022年9月21日、部分的動員令を発する時、ウクライナを非難する以上に、「ロシアに対する欧米諸国の敵対政策」を厳しく批判し、「必要となれば大量破壊兵器(核爆弾)の投入も排除できない」と強調し、「This is not a bluff」(これははったりではない)と警告を発している。

ロシアが核大国であることは周知のことだが、いざとなれば核兵器を使用すると威嚇したわけだ。「使用しない」「使用するかもしれない」という2者選択の中で、プーチン氏はどちらとも断言せず、結論を受け手に委ねているのだ(「プーチン氏『これはブラフではない』」2022年9月23日参考)。

その結果、相手側はロシアの真意を巡って不安になる。「プーチン氏は使用すると断言しなかったから、ロシアは使用しない」と結論を下す人より、多くの人は「ひょっとしたら使用するのではないか」という結論に傾きやすい。プーチン氏はそのことを知っているのだ。

プーチン大統領 クレムリン公式サイトから

「戦略的曖昧さ」は自軍にとって攻撃に幅を付ける一方、敵側は負担が増すことになるわけだ。「曖昧さ」が大きな武器となるのは、決して新しいことではないが、現代人が世界の動向に対して楽観的より、悲観的に考える傾向が強まってきていることも手伝って、その効果が増しているのだ。

バイデン米大統領はウクライナ戦争が勃発すると、ロシア側を批判する一方、「北大西洋条約機構(NATO)は戦争には関与しない」と即発言している。バイデン氏の発言は世界の指導者としては愚の骨頂だ。戦争の動向次第ではNATOはモスクワを攻撃する、と示唆する発言をしていたならば、プーチン氏は考えざるを得なかったが、バイデン氏は早々と「米軍は戦争に関与しない」と言ってしまったのだ。「戦略的曖昧さ」を自ら葬ってしまったのだ。

ちなみに、バイデン大統領の任期中、ウクライナ戦争、そしてガザ紛争と2つの大きな戦争が勃発したが、決して偶然ではないだろう。バイデン氏は外交専門家を自負しているが、残念ながら実際は外交音痴、戦争音痴と言われても仕方がないだろう。世界最強国の米国の指導力はバイデン氏の任期中、急落してきた。

身近な例を挙げる。北朝鮮は先月28日から約1000個の「汚物風船」を韓国に送り込んだ。北風に乗って韓国に入った汚物風船に対し、韓国側は撃ち落とすといった対応はとらず、国民に風船に触れないように警告を発した後、落下後、防備服を着た軍隊が慎重に風船を処理した。なぜならば、ひょっとしたら汚物風船の中に化学・生物兵器、放射性ダーティ爆弾が入っているかもしれないからだ。

北側は韓国側が「汚物風船」に不安と脅威を感じることを織り込み済みだったはずだ。北側は事前に「風船の中はたばこの吸い殻やゴミが入っている」とは言っていない。これなどは低次元だが、北側の戦略的曖昧さといってもいいだろう(「『汚物風船』を巡る北の戦略的曖昧さ」2024年6月2日参考)。

いずれにしても人は「白」か「黒」か判定できない曖昧な状況下では不安、恐怖を感じるものだ。「ヨーロッパに幽霊が出る―共産主義という幽霊である」……これはカール・マルクス(1818年~1883年)とフリードリヒ・エンゲルス(1820年~1895年)によって書かれた書籍「共産党宣言」の冒頭に出てくる有名な一節だ。それに真似ていうならば、「世界に幽霊がでる。曖昧さという幽霊だ」ということになる。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年6月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。