アフガニスタン北部で大雨による洪水で、多くの人々が犠牲となり、家屋を失い、飢餓が広がっているというニュースレターを先月アフガンの非政府機関の「Afghan Institut of Leraning」(AIL)の責任者サケナ・ヤコービ博士(Sakena Yacoobi)から届いた。AILはアフガンのコミュニティに教育、医療、女性と子供の支援を提供してきた団体だ。当方はニュースレターの情報をコラムでまとめようと考えていたが、ウクライナ戦争やイスラエル軍とパレスチナ自治区ガザでのイスラム過激派テロ組織「ハマス」との戦闘関連の記事を書くことに集中していたこともあって、アフガンの災害状況を書くタイミングを失ってしまった。食物には一定の賞味期限があるように、ニュース情報も報告すべき時を失うと、記事やコラムに書くことが難しくなる。特に自然災害関連の場合だ。
ヤコービ博士に申し訳ないことをしたと思っていた時、オーストリア国営放送(ORF)の夜のニュース番組で南スーダンから現地報告を放映していた。記者は「多くの住民が飢餓に苦しんでいる」と報じながら、「南スーダンの危機はウクライナ戦争や中東戦争が発生したこともあって、世界のメディアの関心から外れてしまった」と述べ、南スーダンの紛争を「忘れられた戦争」と報じていた(「アフガンから緊急援助要請のメール」2023年10月12日参考)。
残念ながら、世界各地で戦争や紛争が起きている。情報社会の今日、オフィスにいながら世界の政治情勢、紛争、自然災害などについて情報は流れてくる。アフガンで女性の教育に努力する博士の活動や状況報告は本来、貴重なニュースであるが、ロシア軍とウクライナ軍の戦闘やパレスチナ紛争のニュースの洪水の中でどうしても見逃されていく。多くの紛争や戦争がメディアの関心から外れ、忘れられた戦争になっているわけだ。
ただし、ニュースにならなくても、紛争や災害に遭遇した人々が存在し、彼らは苦しみと悲しみを背負っているという事実は変わらない。ジャーナリストにはニュースの選択権はあるが、戦争や自然災害の犠牲者には選択権はない。生き延びていかなければならないだけだ。
ウクライナのゼレンスキー大統領が「毎日、ロシアから100発以上のミサイルが飛んでくる。そのような中で生きていくことがどんなに大変かを考えてみてほしい」と述べていたことを思い出す。世界の人々はウクライナ国民の苦境をニュースを通じて知ることが出来るが、アフリカ大陸で起きている民族紛争や自然災害に遭遇した犠牲者の声は伝わりにくいのだ。
ORFが報じていた南スーダンの報告に戻る。ローマ・カトリック教会の慈善団体「カリタス」の現地報告だ。南スーダンは2011年にスーダンから独立した人口約1100万人の東アフリカの国だ。世界で最も新しい国家であり、同時に最も貧しい国(2023年)の人々が人道支援を必要としているというアピールだ。民族間の緊張と限られた資源を巡る争いは、武装集団間の衝突に発展し、無実の人々が頻繁に巻き込まれている。カリタス関係者は「南スーダンでは紛争と気候危機のダブルパンチ(「不幸な同盟」と呼ばれている)を受けている」という。
カリタスの海外援助事務総長、アンドレアス・クナップ氏は、「南スーダンのような国は、気候危機に最も関与していないがその影響を最も強く受けている」と述べていた。自然災害だけでなく、干ばつや極端な暑さの時期も増加している。戦争や紛争の再燃はまた、食糧不足と栄養失調を引き起こす。カリタス関係者によると、700万人以上が飢餓に苦しんでおり、100万人以上の子供が飢餓と栄養失調に苦しんでいるというのだ。(カリタスによると、世界中で現在7億8300万人が慢性的な飢餓に苦しんでいる。国連によれば、昨年、急性の飢餓状態にある人々の数は世界で2億8160万人で、前年より2400万人多くなった。特に深刻なのは、5歳未満の子供1億5000万人が栄養不良のために成長と発育が阻害されている)
カリタスは国際社会に責任を果たすよう訴えるだけでなく、一般の人々にも寄付を求めている。「飢餓のない世界は可能であり、小さな寄付でも大きな飢餓を解消する助けになる」と述べている。
なお、当方にはスーダン出身の友人がいる。彼とは長い付き合いだ。そういうこともあって、スーダン(南スーダンを含む)関連の情報には強い関心がある。スーダンから紛争や飢餓のニュースではなく、楽しく、喜ばしいニュースが流れてくる日を願っている(「”スーダンの春”はいつ到来するか」2013年10月5日参考)。
以下、南スーダンの「独立」から現在までの政情の流れを<参考資料>としてまとめた。
<独立から南スーダン内戦まで>(2011年~2013年)
独立(2011年7月9日):住民投票の結果、南スーダンはスーダンから独立を果たした。サルバ・キール・マヤルディ氏が初代大統領に就任した。独立直後から、南スーダンは経済基盤の弱さ、インフラの欠如、教育や医療の整備不足などの課題に直面した。そしてサルバ・キール大統領とリヤク・マチャル副大統領間で政治的緊張が高まり、キール大統領は2013年7月、マチャル副大統領を解任した。
<南スーダン内戦>(2013年~2018年)
内戦の勃発(2013年12月):キール大統領とマチャル前副大統領の支持者間で2013年12月に武力衝突が発生し、内戦に発展した。内戦は民族間の対立(主にディンカ族とヌエル族)も含む。内戦により数万人が死亡し、数百万人が難民や国内避難民となった。2015年には和平合意が結ばれたが、度々破られた(「駐独の南スーダン大使に聞く」2016年2月25日参考)。
<平和への歩み>(2018年~現在)
新たな和平合意(2018年):キール大統領とマチャル前副大統領は2018年9月、再度和平合意に署名した。この合意により、マチャル氏は再び副大統領に任命された。2020年2月には移行政府が設立された。これは和平プロセスの一環であり、全ての主要な反政府勢力が参加した。和平プロセスは進展しているが、不安定な地域が多く、武装集団間の衝突や人道危機が続いている。インフラ整備や経済再建、民族間の和解など多くの課題が残っている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年6月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。