ウクライナ情勢と「ネオコン」の亡霊

HUNG CHIN LIU/iStock

昨日、「戦争研究所(Institute for the Study of War:ISW)についてふれる記事を書いた。

吹き荒れる「親米派」糾弾と「親露派」狩りの嵐

吹き荒れる「親米派」糾弾と「親露派」狩りの嵐
政治の世界は、党派的な世界である。これに対して国際情勢の分析は、党派的である必要はない。 ただし国際法の原則にしたがって、具体的な行動の是非を論じることは避けられない。それが党派的な争いに陥っていかないようにするには、不断の反省と検証...

ロシア・ウクライナ戦争の戦況分析で、国際的に頻繁に参照されるようになったアメリカのシンクタンクだ。

昨日書いたように、この研究所の所長はKimberly Kaganという人物だが、その夫のFrederick Kaganが、ISWの媒体を用いて、主観的な意見を交えた論評を、随時発表している。

彼は、イラク戦争時に侵略推進派として活躍した「ネオコン」代表論者Robert Kaganの弟である。彼らの父のRobert Kaganがネオコンの思想的傾向を持つ人物であった。これらの人物は、単に親族関係にあるだけでなく、しばしば統一的な意見を表明する連名記事に名を連ね、時々の政権の政策に影響を与えようとしてきた。

ISWのホームページを見ると、2007年と比較的最近に設立されたこのシンクタンクが、イラク戦争後に「反乱」武装勢力に悩まされていたアメリカ軍の苦境に見かねたKimberly Kaganが、イラクにおけるアメリカ軍の「反乱」勢力との戦いに有益な情報を提供する目的で設立された経緯が書いてある。

そのISWが今やアメリカが直接関与しているわけではないウクライナの戦況分析に力を入れているのは、ISW幹部が、ウクライナ情勢をアメリカ人の政策的関心から注目すべき事例だとみなしていることを示唆する。

上記のケーガン家の人々の中でも、とりわけRobert Kagan(以下RKと記す)は、イラク戦争の直前の2002年に発表した「力と弱さ」という論文で有名な人物だ。2003年3月のイラク戦争勃発時には主張を広げた単著『力と楽園について』(邦訳題名『ネオコンの論理』[光文社、2003年])で、さらに時の人となった。

RKの主張は、今見直してみると、あらためて興味深い。「力」はアメリカ、「弱さ」はヨーロッパを象徴する。RKによれば、ヨーロッパは、アメリカのパートナーではない。なぜならアメリカの超大国としての力があまりにも隔絶しているからだ。しかもヨーロッパは、その弱さのゆえに、軍事力そのものだけでなく、軍事力を用いる意思も失ってしまった。そして冷戦後の世界は「楽園」になったと思い込み、実際にはアメリカによって支えられている平和にただ乗りして安住している。

このRKの主張は、ヨーロッパを侮蔑するものであると同時に、鼓舞するものでもあった。当時のブローディ欧州委員会委員長は、EUの全官僚に対して、RKの論文を必読文献として、回覧を命じたという。

2003年イラク戦争に、イギリスは同調したが、フランスとドイツは反対をした。当時、アメリカでは、フランスとドイツの戦争反対の姿勢を、RKが解説する「弱さ」に起因する「楽園」安住願望によるものだと解釈する者が多かった。

ブッシュ政権がウクライナとジョージアをNATOに加盟させる2008年の提案は、フランスやドイツなどのヨーロッパ諸国の強い反対によって、見送られた。これはやはりケーガンの「力と弱さ」の構図にしたがって解釈できる事態であったが、「弱い」ヨーロッパに「力」を持つアメリカが押し込まれた。

2001年からのアフガニスタンにおける戦争に加えて、2003年からのイラクでの戦争は、超大国アメリカを疲弊させていた。2008年は、「変化」を唱えるオバマ氏が大統領選挙で勝利を収めた年だ。翌2009年に成立したオバマ政権で、アメリカの外交政策には変化が生まれ、2014年にアフガニスタンとイラクからの大規模撤退が実施された。

2021年にバイデン大統領によって米軍のアフガニスタンからの完全撤退が果たされるが、撤退の規模は2014年のオバマ大統領によるものの方が大きかった。これによって米軍は、直接的に戦闘を行うことはせず、能力構築支援などに特化した活動だけを現地で行うようになった。

その2014年に起こったのが、ウクライナのマイダン革命だ。首都キーウにおける政変に怒ったロシアのプーチン大統領が、クリミアに軍事侵攻して併合し、さらにはウクライナ東部地域の分離独立運動に加担して、ドンバス紛争を仕掛けた。

ロシアに親和的な立場をとりがちだった東部地域の代表がいなくなったウクライナ政府と議会は、欧米に近づく姿勢を強める。そしてアメリカとの軍事協力も進められた。アメリカは、イラクやアフガニスタンでは、大規模撤収の結果、現地軍隊の能力構築支援を行う部隊だけを残した。それと同時並行で、今まで軍事的に関与していなかったウクライナで、アメリカは現地軍隊の能力構築支援の関与を開始した。

NATOの東方拡大がプーチン大統領の強硬姿勢を引き出した原因と言えるかどうかについては、議論がある。しかしウクライナが政権交代のたびにNATOへの態度を変化させる国であったこと、しかし2014年以降はNATO加入を目指す姿勢を強固にし続けていることは、いずれにせよ事実である。

ウクライナNATO加入問題は、アメリカの「ネオコン」にとっては、「力と弱さ」の問題であり、つまりアメリカの「力」が依然として残存しているかどうかが問われる試金石であると言ってよい。

もちろん2003年当時の「ネオコン」の影響力は、今日ではもはや存在しない。それを決定づけたのは、むしろ共和党のトランプ大統領だったと言ってよい。軍事介入主義の性格を持つ「ネオコン」は、トランプ大統領に疎まれた。共和党の大統領であったにもかかわらず、ネオコン系の人物がトランプ政権に入ることはなかった。そしてNATO構成諸国との連携を重視するバイデン大統領の時代になった。

ISWに関わるネオコン系の人々は、この時代の流れをどう捉え、そしてどのような思いで今、ISWを通じてウクライナへの支援の増強を訴え続けているのか。興味深い点である。