(終)コロナ闘病記=全快するまでにボンベ生活3か月

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急性肺炎を起こした憎きウイルス

新型コロナが感染症法の5類の分類(インフルエンザ並み)に移行し、すっかり安心していましたら、「地震と重病は忘れた頃にやってくる」でした。5月下旬にコロナウイルスが無断で私の体内に侵入し、重度の急性肺炎を起こしてくれました。

救急車で病院に搬送され、10何年ぶりかの入院生活です。入院そのものは2週間で終わり、自宅療養に移りました。肺の7割に炎症が広がっていたため、回復に時間がかかり、その間、酸素補給器で酸素を肺に送る必要がありました。体力回復を兼ねて散歩する時は、酸素ボンベを台車に乗せ、ガラガラと引く無様な姿です。

今日7月9日(発病から数えて3か月)に入院していた病院に行き、担当医の最終検診を受け、「順調に回復し、酸素補給はもう必要ありません」と言われました。ボンベ君との共同生活もこれで終りで、「コロナ闘病記」の最終回をお届けします。

コロナウイルスそのものは、薬剤の点滴で何日かで根絶できたようです。問題はウイルスが肺胞の深くまで入り込み、炎症を起こしてくれた急性肺炎の治療です。酸素補給をしないと、血中酸素濃度が下がり、生命に危険が及ぶ。

酸素濃度を測るオキシメーターで随時、チェックしました。自宅療養では、酸素補給をしなくても、酸素濃度が91→92→93→94→95(%)と改善し、ここ10日ほどは、外出時でも、ボンベなしで支障が出ませんでした。理想を言えば、98%程度ですか。

今日の最終検診では、呼吸を深く吸ったり吐いたりして、肺活量も調べました。5月末の数値はあるべき基準値の75%、それが前回検診では82%(6月11日)、今回は90%と、明らかに改善しており、「もう自然体でいきましょう」となりました。

肺のレントゲン写真も随時、撮りました。始めは、炎症部分が真っ白に広がっており、それが次第に小さくなり、今日の写真では、白い部分がほとんど消えていました。ついでに「肺がんはありますか」と聞くと、「心配ありません」。

担当医にそう言われると、気分が晴れ晴れしてくるから不思議です。「病気。病は気から」とは、うまくいったものです。

コロナウイルスで急性肺炎になり、命を落とす比率がかなり高いようです。医師によると、「私は重度9レベルの重症」だったそうですから、危ない橋を渡っていたかもしれません。

5月15日にかかった医院(発熱外来)は「陰性です」というので安心しました。翌朝(16日)、発熱が続いているので、医院(耳鼻科)を変えてみることにし、検診を受けましたら、「コロナにかかっています」と、即答する。「えっ」という、私の心配など気にかける気配は全くありません。

「よく効く薬(ゾコーバ)があります。それを1週間、飲んで下さい。治癒しなかったら、入院して下さい」と、気軽にいうのです。「ああ、その程度の話か。1錠1万円の錠剤でもしょうがないか」と、安心することにしました。

真夜中、体が動かなくなり、朝までもがいても、脳神経が指示することをききません。救急車を呼びました。「よく効く薬があります」と言われた翌々日(18日)のことです。「コロナです」と言われた16日に入院先を探していれば、重症化せず、「3か月の闘病生活」をしないで済んだはずです。

その開業医さんは、コロナにかかっている患者に医院に来られると、迷惑なのでしょう。「コロナ患者が来院している」などの風評がたつと、患者が来なくなるのを警戒しているのでしょうか。せめて「入院先の病院を紹介しましょうか」とでも言って欲しかったと思います。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。