イスラム過激派テロリストの3人が起こした仏週刊紙「シャルリーエブド」本社とユダヤ系商店を襲撃したテロ事件について、同国の穏健なイスラム法学者(イマーム)がジャーナリストの質問に答え、「テロリストは本当のイスラム教信者ではない。イスラム教はテロとは全く無関係だ」と主張し、イスラム教はテロを許してはいないと繰り返した。それに対し、「世界でテロ事件を犯しているテロリストは異口同音にコーランを引用し、アラーを称賛している。それをイスラム教ではないという主張は弁解に過ぎない。彼らはイスラム教徒だ」と反論する声が聞かれた。
著名な神学者ヤン・アスマン教授は当時、「唯一の神への信仰(Monotheismus)には潜在的な暴力性が内包されている。絶対的な唯一の神を信じる者は他の唯一神教を信じる者を容認できない。そこで暴力で打ち負かそうとする」と説明し、実例として「イスラム教過激派テロ」を挙げていた。すなわち、イスラム教とテロは決して無関係ではないというのだ(「『妬む神』を拝する唯一神教の問題点」2014年8月12日参考)。
なぜ突然、パリのテロ事件でのイスラム教イマ―ムの言葉を思いだしたのかを説明する。日本の最大言論プラットフォーム「アゴラ」で加藤成一氏(元弁護士)が「共産党一党独裁は『自由な共産主義』と矛盾する」というタイトルのコラムを掲載し、志位和夫議長が出版した「Q&A共産主義と自由:資本論を導きに」(新日本出版社)に言及していたが、その中で赤旗(2024年7月11日)の志位氏の発言「旧ソ連や中国に自由がないのは、指導者が誤っていたこと、社会主義への出発が自由も民主主義もない後進国であったからであり、先進国である日本における社会主義建設とは根本的に異なる」という箇所の内容を読んだからだ。志位氏によれば、旧ソ連・東欧共産諸国の共産主義は‘本当’の共産主義ではなかったというのだ。
旧ソ連・東欧諸国の共産政権はいずれも崩壊した。共産主義の敗北が明白となった時、日本の共産主義者やそのシンパの中から「旧ソ連、東欧の共産主義は本当の共産主義ではない」と、崩壊した共産主義国を修正主義者と糾弾する一方、「共産主義はまだ実現されていない」と、その希望を未来に託したことを思い出す。イスラム法学者の「テロリストは本当のイスラム教徒ではない」と反論する論理と何と酷似していることか。
先のイスラム法学者も極東の共産主義者も「どこに“本当”のイスラム教、“本当”の共産主義世界が存在するか」といった疑問には答えていない。崩壊した旧ソ連・東欧の共産主義国は少なくとも共産主義思想を標榜した国であり、テロを繰り返すイスラム過激派テロリストも、少なくともアラーを崇拝するイスラム教徒である、といわざるを得ないからだ。
共産主義は生産手段を国有化し、資本家による労働者の搾取をなくした社会の建設を標榜し、プロレタリアートの独裁と暴力革命をその運動の中核に置く点で今も現在も大きな変化はない。そのような国家建設を目標に掲げてきた旧ソ連・東欧共産圏では本当に「自由な共産主義」が実現されただろうか。ロシア革命以来、明らかな点は共産圏の歴史は人権弾圧、粛清の歴史であったことだ。
加藤氏はそのコラムの中で共産主義社会では「言論の自由」は存在しないと指摘していたが、「言論の自由」だけではなく、「信教の自由」もそうだった。旧ソ連・東欧では憲法で「言論・信教の自由」は一応明記されていたが、実際は共産党独裁政権を震撼させる如何なる言論も宗教も認められなかった。ちなみに、中国の習近平国家主席は国民の宗教熱を完全には抑えられないとして、ここにきて「宗教の中国化」を求め出している。
旧ユーゴスラビア連邦のチトー政権下で副大統領を務めたミロヴァン・ジラス(1911~1995年)は共産主義者の生き方を見て「彼らは赤の貴族だ」と喝破し、反体制派に転身していった。共産主義では人間の自由が開花する理想的な社会となる、といった掛け声は実際は空言に過ぎなかった。マルクス・レーニン主義は人間が持つ理想への羨望を巧みに扇動する似非宗教思想だといわれる所以だ。
志位氏は新著で「自由な共産主義」が存在するかのように述べているが、マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」が発表されて以来、抑圧のない、自由な共産主義社会はいまだに現実化していない。それに対し、学生たちに共産主義を擁護し、アピールするのならば、説明する責任がある。「旧ソ連・東欧の共産主義は本当の共産主義ではなかった」という説明では納得できないだろう。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年7月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。