候補者自ら危機を呼び込む
米大統領選の最中、共和党のトランプ氏が銃撃を受け、「民主主義の根幹を揺るがす暴挙であり、断じて容認できない」、「民主主義の土台を支える選挙が暴力で脅かされている状況を深く憂慮する」という声一色です。異論はありません。
岸田首相は「民主主義に挑戦する暴力には毅然と立ち向かわなければならない」との談話を発表しました。異論はありません。「ではどうしたらいいのか」。日本でも安倍・元首相の銃撃死事件、岸田首相の銃撃事件もありました。
警備の強化だけではどうにもならない。世界で最も厳しい米国の警備体制でも、隙があり、そこを突かれた。「毅然と立ち向かう」と発言したところで、暗殺、狙撃、銃撃を防げるわけではない。
銃撃を受け、耳から血を流しているトランプ氏が拳を突き上げ、警護官が必死に回りで支え、その背後には星条旗がはためいている。劇的な映画のようなシーンです。「おれは不死身だ」。劇場でしか見られないようなシーンです。
「この映像、写真は今後、トランプ氏の強さをアピールする手段として、繰り返し、使われるだろう。共和党の結束はさらに強まろう」、「トランプ氏への支持意識は高まるだろう」、「トランプ氏が大統領に当選する」との論評が早速、聞かれます。
選挙を劇場化し、有権者を引き込むことで、票を取ろうとする。そのこと自体が事件を引き寄せている。さらに候補者自身が煽って、社会の分断化を進める。分断化を煽ることで有権者の支持を取り付ける。社会を対立化させ、票を稼ぐ。
「トランプ氏を敵視するようなバイデン氏の発言が暗殺未遂事件に直結した」と、共和党の上院議員が叫ぶ。まるで主犯を差し置いて、バイデン氏をあたかも共犯者のように仕立て、選挙を有利に運ぼうとする。
政治行動の劇場化、社会の分断化にネット戦術が加わる。切り貼りしたような激烈な動画や怪しげなコメントを流す。支持者らが真偽を差し置いて、直ちに拡散する。民主主義下の選挙というより、劇場主義、分断主義、ネット戦術を駆使した選挙が民主主義を危うくするのでしょう。
大統領選の劇場化といえば、トランプ氏に扇動した疑いがかかる連邦議会議事堂の襲撃事件(2021年1月)を思い出します。連邦議会議事堂と言えば、民主主義の殿堂です。この事件で1200人が刑事訴追され、700人が有罪になりました。
トランプ氏は「大統領に当選したら議会襲撃事件(750人が有罪)の支持者らを恩赦する」と公言しています。法の秩序は二の次です。「恩赦」と聞いて、熱狂する支持者は多いでしょう。トランプ氏は大衆扇動家としかいいようがない。
各国首脳らは「民主主義にとって悲劇」、「暴力は正当化されない」と語っています。表面的すぎる見方で、政治家自身が事件化しやすい行動をとっている。ついでにいうと、ロシアの報道官は「全ての政治闘争での暴力を非難する」と述べました。よくまあこんなことが言える。政敵を逮捕し、獄死させる。あきれた発言です。
一方のバイデン氏は「病んでいる」と、事件後、記者の前で声明を公表し、「米国にこの種の暴力が許される場所はない」と強く非難しました。正論でしょう。問題は「病んでいる」との発言です。米国の政治社会は病んでいることは間違いない。
そう発言したバイデン氏自身も「病んでいる」。「認知症」の疑いと、高齢による言動と所作の不安から、他の大統領候補に差し替える動きが高まっています。選挙からの撤退を自ら判断できない。少数の側近としか接触しなくなっているため、都合のいいことしか伝わっていない「王様の耳」は「病んでいる」との論評も聞かれます。
米国は世界最大、最良の「民主主義国家」でした。その米国が「トランプもトランプ、バイデンもバイデン」だから、どうしようもない。国際情勢は自国のことは他国に頼らず、自分で守るしかなくなっていくのでしょう。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年7月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。