暗殺未遂事件はゲームチェンジャーだ

長谷川 良

トランプ前米大統領が13日、東部ペンシルベニア州での選挙集会で演説中、銃撃を受け負傷した時の映像は全世界に放映され、大きな衝撃を投じた。特に、銃撃を受けた直後、立ち上がって拳を振りあげ、支持者に「ファイト」と呼び掛けたトランプ氏の姿は国民に感動すら与えた。欧州のメディアは翌日、「トランプ氏は大統領選に勝利した」と報じるほど、暗殺未遂事件でトランプ株が急上昇中だ。

トランプ前米大統領(左)とともに共和党大会に姿を現したJ・D・バンス上院議員(2024年7月15日、米ウィスコンシン州ミルウォーキー、桑原孝仁撮影)

バイデン米大統領はトランプ氏の暗殺未遂事件を受け、ホワイトハウスから国民に向けて演説し、「政治的戦いは暴力ではなく、投票で決めるべきだ」と強調、国民が民主党と共和党に分裂している米社会の現状に言及し、国民の統合を呼び掛けた。

一方、米共和党は15日、中西部ウィスコンシン州ミルウォーキーで開催した全国大会でトランプ氏を正式に大統領候補者に指名。それに先立ち、トランプ氏は副大統領候補者にJ・D・バンス上院議員(39)を任命したことを明らかにした。

トランプ氏は18日、党大会で指名受諾演説をする予定だが、一部のメディアとのインタビューで「受諾演説のテキストは暗殺未遂事件前の時に書いた内容を大幅に修正した」と述べ、バイデン大統領や民主党への激しい批判を抑え、米国民の統合、和解を促す内容となることを示唆している。

ところで、バイデン米大統領とトランプ氏の大統領選を大西洋の海洋を挟んでフォローしてきた欧州では、トランプ氏の暗殺未遂事件に衝撃を受ける一方、「米大統領選でトランプ氏が優位に立った」といった論調がメディアで報じられてきた。「もしトラ」ではなく、トランプ氏の再選が更に現実味を帯びてきたという認識だ。

メディアではここ数日、高齢のバイデン氏の職務履行能力問題が大きな話題となっていたが、「トランプ氏の暗殺未遂事件が生じて、メンタル問題で激しく追及されてきたバイデン氏は一息ついただろう」と、少々皮肉に報じるジャーナリストすら出てきた。

オーストリアの代表紙「プレッセ」は16日、一面トップで「銃撃事件はゲームチェンジャー」という見出しで、暗殺未遂事件の「前」と「後」では選挙戦のダイナミックは激変し、トランプ氏が断然有利に立ったと受け取る一方、バイデン氏には「秩序ある撤退の機会が開かれる」と報じている。

ドイツのケルン大学の政治学者トーマス・イェーガー教授は15日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューで「トランプ氏はあのような危機的状況下でも本能的にどう振舞えばいいのかを知っていた」と指摘、「トランプ氏は政治的コミュニケーションのマイスターだ」と述べている。

ウクライナ戦争問題と対峙する欧州では、バイデン氏ではなく、トランプ氏がホワイトハウスの住人となった場合、米国の対ウクライナ政策に大きな変化が生じることが予想されてきた。トランプ氏はこれまで「北大西洋条約機構(NATO)の軍事費支出で加盟国にGDP比2%を要求し、それを果たさない加盟国に対して米国は防衛する義務がない」と脅かしただけではなく、米国の対ウクライナ支援をカットし、欧州の加盟国に委ねる可能性も示唆してきたからだ。

ドイツの野党第一党の「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)のフリードリヒ・メルツ党首は15日、ntvとのインタビューで「わが国は第2次トランプ政権の発足に対する準備が全くない」と指摘、ショルツ首相の危機管理の欠如を批判している。

ちなみに、ショルツ首相は対ウクライナ軍事支援ではバイデン米政権と連携し、主要戦車「レオパルト2」のウクライナ供与問題でも米国のウクライナ支援に歩調を合わせてきた経緯がある。しかし、バイデン氏ではなく、トランプ氏に代わった場合、ショルツ首相はウクライナ支援では消極的なトランプ氏とどのように渡り合っていくかが大きな課題となる。

実際、ウクライナのゼレンスキー大統領は既にトランプ政権の誕生を予想して、対応の健闘に入っている。トランプ氏はロシアの占領地を認める一方、ロシア側に軍事行動の停止を要求する案を側近の間で検討させているという。ちなみに、ゼレンスキー氏は自身の「平和の公式」の中でウクライナの完全な主権回復、ロシアの占領地からの撤退を絶対に譲ることが出来ない条件としている。

米国で大統領が民主党から共和党に代わった場合、単に大統領だけではなく、全省・関係機関のリーダーだけではなく、ほぼ全スタッフが入れ替わる。例えば、国務長官はいうまでもなく、次官から補佐官、次官補佐官、それらを支えるスタッフは代わる。ドイツ外務省が米国務補佐官、次官補佐官と人脈を構築し、情報の交換をしてきたとしても、大統領が代われば、その瞬間、ニューカマーとの人脈を構築するために最初からスタートしなければならなくなる。退陣した次官級、外交官はシンクタンクの研究員に再就職するか、大学教授のポストを得るなど、新しいジョブを探すことになる。

繰り返すが、暗殺未遂事件後、トランプ氏の再選が一段と現実味を帯びてきた今日、共和党との関係強化、人脈構築に乗り出さなければならない。ドイツだけではない。世界はポスト・バイデン(トランプ氏のカムバック)に備えるべきだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年7月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。