トランプ狙撃事件をどう読むか:2つの教示(古森 義久)

顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久

アメリカのドナルド・トランプ前大統領への狙撃事件をどう解釈すればよいのか。その意味するところは何なのか。

大統領選挙の真っ最中の前大統領暗殺未遂という出来事は、全世界を震撼させた。凶弾が文字通り、間一髪で標的をかすめたという点だけでも、衝撃的だった。血を流したトランプ氏が右手を振りかざして「闘うぞ」と叫んだ反応も、全世界に強烈なインパクトを与えた。さてこの狙撃事件はいまのアメリカの政治や社会で何を意味するのか。

アメリカ東部のペンシルベニア州の小さな町バトラー市でのトランプ候補の政治大集会で7月13日午後6時(現地時間)過ぎ、8発のライフル弾が発射された。そのうちの1発は会場の壇上で演説を始めたトランプ氏の右耳を貫通した。他の弾丸は近くにいた50歳の元消防士の男性を撃ち、即死させた。他の2人の男性もそれぞれ重傷を負った。

野外の会場は本来、農業産品の展示場だった。銃弾は会場のすぐ外にある倉庫のような建物の屋根から発射された。屋根からトランプ氏が立つ壇上まで直線距離で140メートルほど、ライフルを発射したのはペンシルベニア州内に住む20歳の青年だと判明した。動機や背景はまだわかっていない。

しかしアメリカ全体としての反応や眼前の大統領選挙への影響などはかなりの程度、読むことができる。事件から1週間が過ぎたこの時点で私自身の長年のアメリカとのかかわりに基づき、いま明確となった事実を考察し、その示唆する方向を追ってみよう。その教示は大きく分けて2つある。

まず第1はアメリカ全体の団結だと言える。

大統領経験者の暗殺企図というこの事件はアメリカ全体を揺らがせるとともに、連帯させた。一定限度を超えた政治的暴力つまりテロを非難する点での超党派の一致である。アメリカの民主主義の根幹での団結だとも言える。

アメリカでは銃器を使っての政治的殺傷は多いが、大統領やその経験者を標的とした事件は意外と少ない。1900年代に入ってからの百数十年にわずか2回、1963年のジョン・ケネディ大統領の暗殺と1981年のロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂だけだった。今回が3回目なのだ。

私は前述の2事件が起きたとき、いずれもアメリカにいた。ケネディ暗殺事件当時は留学生だった。だが大学での講義を含め国内のすべての行事が凍結され、残酷な殺戮を徹底して非難する点でアメリカ全体が団結した。あくまで暴力を排する民主主義の根幹が再強調された様子はよく覚えている。

レーガン狙撃事件の際は私は新聞記者としてワシントンにいて、至近からその後の政治展開を見 た。やはり民主主義の大原則から暴力を排する国内の団結が強烈だった。レーガン大統領への支持が一気に高まった。同大統領はソ連共産主義政権の崩壊を導き、アメリカの歴史でも最も人気の高い大統領として名を残した。

それから43年後のトランプ狙撃事件でも、トランプ、バイデン両氏が暴力排除という基本線で融和をみせた。民主党側はこれまでトランプ氏に対して浴びせてきた「民主主義の敵」とか「ファシスト」という過激な言葉のキャンペーンを一時中断すると言明した。共和党側でも一部には「今回の銃撃は民主党側の過剰なトランプ氏攻撃が温床となった」(副大統領候補に指名されたJ・D・バンス上院議員)という声もあるが、当のトランプ氏はバイデン氏の労いに謝意を表明し、指名受諾演説でも民主党批判を和らげた。

この融和がどれほど続くかは不明だとしても、今回の事件はこれまでの民主、共和の対立をこれ以上に険悪化させないという合意を浮上させたと言える。この点をさらに進めればアメリカ民主主義の根本の機能の健全さにもつながる。だから日本側の一部の「この事件はアメリカの分極をさらに深める」という断定には同意できない。

第2は、この狙撃事件で示されたトランプ前大統領の個人の政治資質である。

銃弾を耳に受けたトランプ氏はまさに九死に一生を得た。弾丸がほんの数センチずれれば、即死だった。まさに奇跡だといえた。トランプ陣営の研究機関「アメリカ第一政策研究所」(AFPI)のブルック・ロリンズ所長はこの奇跡に神への祈りを捧げ、「トランプ氏を実際に救ったのは彼の頭の小さな動きと現場に吹いていた風だった」と述べた。

銃弾が発射された瞬間、トランプ氏は演説用に手にした資料を見るため、頭をちょっとだ右下にひねった。その上に現場に吹いた風が弾丸の軌道をほんの少しだけ変えた、というのである。

いずれにしても銃撃を受け、自らかがみ、さらに大統領警護のシークレット・サービス5人ほどに体当たりのように囲まれたトランプ氏はそれでも右の拳をあげて、「私は屈しない」「闘う」と叫び続けた。その顔の右半分は血にまみれていた。しかも自分を車に運ぼうとする警護の要員たちを「待て、待て、待て」と押しとどめて支持者たちへさらに健在の意志を伝えた。

自分の命を奪おうとする銃弾を受けた直後の人間の何人がこうした果敢な態度を取れるだろうか。パニックに襲われ、うずくまったまま、という人も多いだろう。

だがトランプ氏は異例の強さを明示した。その光景は後の歴史のシンボルとなることが確実な公表写真の図のとおりだった。その言動がトランプ氏への支持を共和党層だけでなく一般国民の間で高めることの予兆はすでにある。

前回、狙撃を受けたレーガン大統領はその直後から支持率を大幅に高めた。トランプ氏と同様に九死に一生を得たレーガン氏は重賞からの回復でも、強く、明るく対処した結果だった。レーガン氏はその結果、当初の「カウボーイ大統領」とか「三流映画俳優の政治ごっこ」という民主党側の酷評をあっというまに霧消させ、アメリカ史上でも最も超党派の人気の高い大統領へと成長していった。

もちろんトランプ氏がレーガン氏のそんな軌跡を同じようにたどるとは言えない。だがトランプ氏が狙撃という非常事態に直面して、意外なほどの強靭さ、果敢さを発揮した事実は単なる人間の強さという次元で見ても、賞賛されることになろう。

古森 義久(Komori  Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2024年7月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。