「分からない」で止まる人、進む人の違い

黒坂岳央です。

自分は日常的に、人から仕事や人生相談を受けることがある。相手に対して「こうすればいいのでは?」と提案したら「それについては知識(もしくは経験)がないからどうやっていいか分からない」と返されることがかなり多い。

自分からすると「いや、分からないからこそこれまで気づかなかったチャンスがあり、率先してやってみるべきなのでは?」という意見を持っている。これは「分からないからやらない」という選択をする人の思考とは真逆である。そしてできれば分からない時こそ、止まらずに逆に進むべきだと思っている。持論を取り上げたい。

metamorworks/iStock

結局、彼らは面倒くさいだけ

「わからないからできない、やれない」と返す人が期待してる答えは多くの場合、「手軽にインスタントに解決できる方法」である。

人間には学習能力があるので、本来は分からなくても学べば良いだけだ。昨今、記事でも動画でもAIでも手順はいくらでも知る方法はある。それにも関わらず、知識不足を理由にやらないのは「分からない」をもっともらしい免罪符にしているだけである。

すなわち、「面倒くさいからやりたくない」というのはカッコ悪いので「やったことがないのでできないのは仕方がないよね。学んだことがないのだから自分のせいではないよね」と言っているのだ。知識不足が理由でできないはずだが、彼らは食べる歩きとか旅行など自分がやりたいことなら未知の店舗や観光先を調べて充実させようとする。つまり、えり好みしているだけだ。

そして彼らは一体、何に面倒くさがっているかというと、それは頭を使うことに対してだ。世の中には頭を使うこと自体を楽しいと感じる人と、面倒に感じる人がいる。人間は本能的に新しいこと、不確定性の強い対象を嫌うのでわざわざ学んでまでやりたいとは思わないのだ。

誤解のないようにいっておくと、自分はとりわけ他罰的な考えを持っているわけではない。人の生き方はそれぞれ、選択は個々人の自由にすればいいと思う。自分もアドバイスを求められたら率直に意見を出すが、相手がどう行動するかまでは追求しない。自分の役割は問われた意見を出すこと、相手の役割はそのアドバイスを受けて決断することである。

人の成長は知能指数より好奇心

人が成長するかどうかを決めるのは、生まれ持った知能指数の高さ以上に好奇心の方が圧倒的に強いと思っている。

確かに知能指数は高いほうが有利なのは否定しない。だが、未知の領域を「面倒くさい」で処理してしまうと、せっかくの知能指数が生かされることはなくすでに自身の手垢がついたプロセスが洗練されるだけに留まる。つまり、成長はそこで止まってしまうのだ。

しかし、たとえ不器用でも効率が悪くても好奇心が強ければ「分からない」という壁を喜んで進んでいける。自分自身、知能指数が特別高いとは思わないが、好奇心はとても強いと考えている。知らない、分からない対象を見ると深堀りせずにはいられない。

書店でもまちなかのポスターでも「これってどういう意味?」と感じたらその場でスマホでメモをして後で時間を取ってしっかり調べる。検索して記事や動画で見て理解できたら「ではこのケースの場合はどうなのか?」と次の検索をする。最近ではAI相手にひたすら深堀りをする。

この一連のプロセスはとても楽しい。学ぶこと自体が楽しい。そこに経済的な何らかのリターンは求めない。知らないことを知ることが楽しいのである。だから知らない言葉を見かけると嬉しくなる。「後でじっくり勉強しよう」と楽しい時間が待っているからだ。

人の生き方は自由だし、自分も他人に講釈できるほどえらい人物ではない。しかし、分からない時に止まってしまう人と、さらに進む人とでは時間の経過とともにとてつもない差になってしまうことは論理的に導けるのではないだろうか。そう考えると、知能指数より好奇心が人を成長させると思うのである。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。