岸田チャイルドとしての松井一實・広島市長

広島市が8月6日の広島平和記念式典にイスラエルを招待していることが、波紋を広げている。雰囲気を悪くしているのが、松井一實・広島市長の記者会見における受け答えである。その高圧的な態度は「広島市長」のイメージに合わない、と多くの人々がSNSなどで表明している。

広島市の松井一實市長らの表敬訪問を受ける岸田首相
令和4年7月 首相官邸HPより

今年の式典では、立ち入り禁止地域を広げて、平和記念公園内だけでなく、原爆ドーム周辺でも集会等が開けないような措置をとることが決まっている。松井市長としては、一部の過激な左翼系の人々が騒ぐためだ、というストーリーで完結させたいところだろう。今後も、左翼勢力が、平和指揮敵の祈りを妨害した、といったストーリーを展開していくだろう。だが、長崎市がイスラエルの招待を見合わせたため、広島市がイスラエル招待に伴う問題を抱えていることは明らかとなっている。

私の知り合いには「イスラエルにも平和のために祈ってもらえばいい、だからパレスチナの人も呼べばいいし、ロシアやベラルーシも呼べばいい」、という意見を持っている人が多い。私自身も、それができたら、普遍主義を標榜する広島のアイデンティティにふさわしかっただろうと思う。

しかし松井市長の頭の中には、そのオプションもない。日本政府の方針に追随することが、基本姿勢だからだ。

2022年のロシアのウクライナ全面侵攻以降、広島市はロシアとあわせてベラルーシも式典に招待していない。日本政府がロシアとベラルーシを制裁対象にしたことを受けての措置だ。パレスチナは、日本政府が国家承認していないというような理由で、招待しないのだろう。

だがパレスチナは、日本国内に代表部を持っている。140カ国以上がパレスチナを国家承認している。日本政府が国家承認しない限り、その存在自体を認めず、式典に招待もしない、という立場は、地方自治体として、あるいは「広島平和記念都市建設法」の精神からも、偏狭すぎる、と言わざるをえない。

松井市長は、京都大学法学部卒業後、30年以上にわたり、労働省=厚生労働省畑でキャリア官僚として霞が関で役職を歴任した。2011年から広島市長を務めている71歳である。東大法学部・経済産業省出身の湯崎英彦・広島県知事(2009年就任)と同様に、地元広島には高校まで在籍したが、大学からは東京で居住してキャリアを形成した人物だ。

松井市長も湯崎県知事も、現在首相の岸田文雄氏が広島1区の自民党の衆議院議員としなった後、自民党の広島県支部連合会長となったことによって生まれた首長だ。岸田氏が広島出身の中央官庁キャリア官僚を洗い出して口説いた結果、広島の自治体の長になった人物たちだからだ。

松井市長の場合には、革新系政党の支持を得ていた人物であった前任者の秋葉忠利氏の引退時に、自民党が背水の陣で安定感のある候補を選ぼうとする過程で、岸田氏に口説かれて広島市長になった。2006年当時の記事を見ると、次のような記述があり、興味深い。

広島1区の岸田代議士が秋葉広島市長に挑戦か

来春(筆者注:2007年市長選のことで結局これは自民党が有力候補を立てられず秋葉氏が三選)の広島市長選で自民党衆院議員広島1区選出の岸田文雄氏を擁立する動きが本格化しそうだ。地元では経済界など保守層の間で革新系現職の秋葉忠利氏に勝てる候補への待望論が根強い。少ない残り時間や地元での知名度から「岸田氏しかいない」という見方が急速に強まっている。二世議員の岸田氏は当選5回の49歳。早大卒後、旧日本長期信用銀行に入り、衆院議員だった父の死後、後を継いだ。ハンサムな容貌と若さから、地元では「全国区の人気者になる」と期待されていた。当選を重ねて安定感は出たが、永田町では「その他大勢」の中に埋没したままで存在感がない。閣僚経験も副大臣止まりで、「中央では先が見えた」との声もある。一方、現職の秋葉氏は、社民党の元エース。63歳。数学者として米国の大学で教鞭を執り、CNNの番組でキャスター経験もあるなどの国際派。・・・

広島県は自民党王国と言われる。特に、宏池会の創立者である池田隼人元首相が広島に選挙区を持っていた経緯もあり、岸田首相がなお会長を務め続けている宏池会の牙城である。ただ広島市長だけは、その特別な性格から、革新系政党の支持を得て当選する「国際派」秋葉氏のような者も現れる。2012年に広島1区衆議院議員として宏池会の会長に就任した岸田氏にとっては、市長と県知事のポストを保守系にしたことは、少なからぬ重要性があったはずだ。

事実、「中央では先が見えた」などと地元・広島で酷評されていた岸田氏は、2007年に第一次安倍政権で内閣府特命大臣(沖縄担当)に、2012年に第二次安倍政権で外務大臣に就任し、長期政権の外交政策を支えたという評価を得て、自民党総裁候補となっていった。

岸田外務大臣の絶頂期は、2016年のオバマ米国大統領の広島訪問であったと言える。米国大統領の初の広島訪問は、米国側に「謝罪要求をされるのではないか」という懸念があった。それを、安倍政権側が「絶対に大丈夫だ」と説得をした。結果として訪問が大成功となったため、日米同盟の精神的紐帯が高い次元に到達した、と言われた。

その安倍首相の自信の背景には、岸田外相が広島1区を地元としている事実があったと言える。オバマ大統領の広島訪問は、安倍氏が岸田氏を外相に任命したときから始まっていた事業であった。その岸田氏にとっては、松井広島市長と湯崎広島県知事が、自らが野党時代に口説いて中央官庁からリクルートしてきた人物たちである、という事実が大きかった。

「(政令指定都市の)広島市と広島県がこんなに一致団結して協力して仕事をしたのは初めてではないか」と地元でささやかれるほど、岸田=松井=湯崎体制は盤石であった。

広島の普遍主義的な平和主義の精神の中で日米同盟強化を位置づけたことは、第二次安倍政権の大きな成果の一つとなった。現在の岸田政権も、やはり日米同盟=米国の同盟諸国との連携強化を外交成果としており、2016年のオバマ大統領広島訪問の重要性がうかがい知れる。

ただ日米の高次の相互信頼を達成したオバマ大統領訪問に比して、その延長線上にあると言える2023年G7広島サミットは、いささか異なる意味を持った。岸田=松井=湯崎体制は、相変わらず盤石であった。

しかしG7広島サミットは、普遍主義を標榜するものというよりも、ロシアを非難し、ロシアに対抗するG7の結束、そしてG7の友好関係諸国の拡張を狙ったものだった。国際社会の「法の支配」を標榜しようとする努力はあったが、なぜそれが広島なのか、については、整理がなされないままだった。

インド、ブラジル、インドネシアなどの有力国が参加したが、岸田首相はそれらの諸国を「グローバル・サウス」といった十把一絡げの概念の中に入れ込んで扱っただけだった。岸田首相はむしろNATO加入を国是とするウクライナのゼレンスキー大統領に対して特別な歓待をした。

今回の広島平和記念式典におけるイスラエルに対する気遣いの仕方は、松井市長の広島市が、普遍主義的な平和主義を標榜する立場を減退させ、岸田首相が率いる日本政府の下部機関であるかのような性格を強めてきた経緯の結果であると言える。