世界経済のGDPシェアの推移を見て思うべきこと

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SNSでコメントが数多く付いているので目に留まった面白い記事があった。朝日新聞デジタルで「GDPは百年前に「逆戻り」 それでも日本は「強兵」路線に進むのか」という題名が付いていた記事だ。

コメントの多くは、朝日新聞らしいトーンを題名から感じ取り、それに反応していた。ただ技術的な点に関するコメントも多々あった。

上記の記事で、2022年のGDPの国別ランクが記載されており、それによると1位アメリカ、2位中国、3位日本である(日本がドイツに名目GDPで抜かれたのは2023年)。

他方、同じ記事で、2022年のGDPの大きさの関係を国旗の大きさで表現したと思われず図では、明らかに中国の方がアメリカよりも大きく、インドの方が日本よりも大きくなっている。

確かに、記事中に説明がないため、二つの図の関係は不明瞭である。この点についてSNS上で疑問が呈されていた。朝日新聞はそれに反応していないようだ。

見てすぐに推察できるのが、最初の国別ランクが「名目GDP」にもとづくもので、異なる大きさの国旗を地図上に示した図は「購買力平価(PPP)GDP」にもとづくものだな、ということである。

言うまでもなく、名目GDPは世界各国のGDPをドルで統一的に比較するための指標だが、それを各年の購買力平価(PPP)のレートで米ドル換算した値が購買力平価GDPである。購買力平価GDPでは、2022年当時、世界1位は中国で、アメリカは2位、3位はインドで、日本は4位であった。2023年の世界銀行の統計で言うと、ロシアが4位に浮上し、日本は5位に落ちている。

世界の購買力平価GDP 国別ランキング・推移(世銀) - GLOBAL NOTE
2023年の世界の購買力平価(PPP)ベースGDP(国内総生産) 国別比較統計・ランキングです。各国の購買力平価GDPと国別順位を掲載しています。各国のGDPをPPPレート(購買力平価)で米ドル換算した値。時系列データは1990-2023年まで収録。

日本では名目GDPだけがGDPであるかのように扱われることがあるが、そんなことはない。もっとも購買力平価GDPのほうが正しいというわけでもない。朝日新聞の記事にあるように、GDPという概念は、第二次世界大戦中に、各国の経済力を統一的な指標で比較する要請が高まったときに「発明」されたものでしかない。比較するための指標が二つあるからと言って、どちらか一方だけが正しいと仮定するわけにはいかない。

ただ、あえて言えば、日本では「名目GDP」だけが参照されることが多く、場合によっては「名目GDP」こそが真のGDPだと信じられている場合もあるが、そこには注意が必要だろう。特に日本の場合、購買力平価で見た場合の方が明らかに相対的経済力が低く見積もられるので、自国を甘く評価しすぎないようにするためには、購買力平価GDPも常にチェックする態度が必要である。

購買力平価で言うと、2023年の段階で、日本の経済力は、インドとロシアよりも下位の世界5位、中国の18%、米国の22%、インドの43%、ロシアの96%である。なお全ての欧州諸国が、さらに下位にしか存在していないことにも、留意しておくべきだろう。

雑駁な傾向としては、名目GDPのランクは、購買力平価GDPのランクを追いかけてくる。後者においてすでに7位、8位につけているブラジルやインドネシアは、将来の経済大国化が約束されている潜在的大国とみなしていい。

もちろん予測は予測、傾向は傾向でしかなく、必然ではない。だがそんなことは、どんな業界のどんな現象にもあてはまる言うまでもないことであろう。ブラジルやインドネシアを潜在的大国とみなすのは、つきつめると、実際にそうなると予言するかの話ではなく、確立論的な観点をふまえると、そうみなすことがとりあえず妥当だ、という話だ。そういう感覚をもって振る舞うことが、国際政治においては大切である。

もっとも確かに、現在のGDPですら、われわれの古い常識からは外れてきているとも言える。将来の展望となると、国際社会の力関係の変動をもたらすことが必至と思われる要素を多々見つけることができる。

言うまでもなく、最悪なのは、「そんなことは起こらない」と偏見だけを頼りに現象を否定してしまうことだ。あるいは「仮に起こったとしても、それは統計上だけの話だ」のような意味不明な論理のすり替えをすることだ。

ほんの10年少しくらい前までは、「どんなにGDPが大きくても中国の質は日本の質にかなわない」と声高に主張する人々がいた。現在は死滅してしまったタイプの方々と思うが、統計とそれらの方々の死滅との間には、大きなタイムラグがあった。

人類が「経済成長」というものを恒常的現象として経験するようになったのは、せいぜい過去200年程度の期間のことである。それは欧州列強の植民地主義的拡張によってもたらされた世界史における新しい現象だった。そのため経済成長=欧州の優位と、無批判的に仮定してしまいがちである。

Global GDP over the long run

しかし脱植民地化後の国民国家化がほぼ完成した現代世界において、全世界で経済成長が進み始めたら、経済成長=欧州の優位、という歴史拘束的な偏見に近い前提が崩れていくのは、むしろ不可避的なことだと言うこともできる。

朝日新聞が参照したアンガス・マディソン教授は、2000年の歴史における世界経済における各国GDPのシェアの推移、という壮大なグラフも作成している。

2,000 Years of Economic History in One Chart

ここからわかるのは、19世紀に植民地主義的拡張を果たした欧州列強が産業革命をへて急激な経済成長を進めていく前の時代には、中国とインドのGDPシェアが圧倒的だった、ということである。世界経済の半分以上は、両者によって占められていた。

もちろんこのような統計は、様々な要素を捨象した後にしか作り得ない。そもそも2000年にわたって続いた「中国」「インド」という国などは存在しない。ただし他方において、現在の中国とインドの位置に、常に巨大な経済力を持つ大国が存在する傾向があったこともまた、歴史的事実であろう。傾向だけで全てを語ることはできないが、特殊具体的な事象を振り回すだけで大きな全般的な傾向を否定することもできない。

とはいえ、アメリカ合衆国という国についてだけは、18世紀まで存在していなかった、という言うことは正しいだろう。それをふまえると、アメリカは21世紀にも新興の超大国の代表として残る。

ただし、中国はアメリカを凌駕してくる。そしてインドも超大国化してくる。

こうした推測は、急進的な発想ではなく、むしろ大きな歴史の流れのをふまえた観点から、単純にほぼ不可避的に起こるであろうと予測せざるをえない現象なのである。